第九十二話
「なんだ、何が起きた……?」
彼は助けを求めていた。必死の形相を張り付けたまま、棒立ちで動かない。先ほどまで両手で首をもとの位置に戻そうとしていたが、すでにその手はぐったりと力なく垂れさがっている。
だがなぜ彼の体は立ったままなのだろうか。どこからどうみても死んでいるとしか思えない状況で、なぜ立っているのか。
これではまるで『見えない手』が彼の頭を掴んで離さない様ではないか。
「ヴぎゅっ」
太めの枝を折る音がして、シドナムはそちらを見ると隣にいたはずのBTUの傭兵に何かが起きていた。
今度はすぐに理解できた。彼の首はもげ、頭と胴体が離れ離れだった。強い力で無理やり引きちぎったような残酷な殺しのやり口に、シドナムは今まで自分のしたことを棚に上げて気分が悪くなった。
このタイミングで吐かなかったのは幸運であった。なぜなら首の後ろに見えたのは安全ピンの抜かれた手りゅう弾だからだ。BTUの人間の装備として誰もが持っているものだ。
もしこれを見逃せば、何一つ行動することなくシドナムも粉々になるしか道はなかっただろう。彼は体が自由に動くうちに首のねじ曲がった研究員を盾に隠れた。シドナムは知っていた。手りゅう弾を防ぐことができる一番身近で効果的な盾を。それは人体だ。人体を破壊するほどの威力があるならこの狭い部屋のどこへ逃げても結果は変わらない。だからこれしか方法がない。
「くそっ」
鼓膜が破れそうなほどの爆音とともに恐ろしくなるほどの衝撃が死体越しに伝わってきた。シドナムは壁と死体に挟まれ、血と様々な破片をその身をもって体感した。
背中を打ち付け、息が詰まって呼吸ができない。ひどい耳鳴りにパニックになりそうになるも唇を噛んで意識を覚ます。
「お前は……」
煙と埃が視界を邪魔してよく見えないが、シドナムは海の姿を捉えた。
「あなたは私が手を下す必要すらない。ここで死ね」
暗い瞳がシドナムを一瞥してから、彼女は爆風で破壊された壁から飛び降りる。ここは地上六十四階だ。まともな神経をしていたのならばまず飛び降りるなんてことはできない。自殺か、それ以外のなにか か。
海が姿を消す瞬間、意味深なことを言っていた。シドナムに向けてはっきりと死ぬと言った。私が殺す、ではなくすぐに死ぬとはどういう意味か、彼にはわからない。
「ははっ」
体に覆いかぶさった死体を乱雑にどかし、シドナムは立ち上がる。白衣が血で濡れてしまい不愉快だった。だが気分は不思議と悪くなかった。
「あれはすごい! やっぱり本物だったんだ!」
シドナムが先ほど日ごろから世話になっている人物に海の正体の確認をしたところ、その答えを知ることができた。
『白銀海、またの名を人造人間ナンバー8『ナシェリー』。能力は不明だが、破壊と殺人に関してこれ以上ないほどの害悪を流す非常に危険な存在だ』
「ははははっ、やったぞ! 初期型が二人もいる! これは奇跡だ! まったく悪夢のような奇跡だ! 欲しいなぁ、二人とも俺の国の住人にしてぇなぁ!」
シドナムの脳はアドレナリンで溢れて止まらない。ただの人間が人造人間に出会うことはおろか、それが初期型ならば人生を何度繰り返せばあり得るのだろうか。おまけに二人も現れた。シドナムの運は人ならざるほど強力で、ツイていた。
「おい、今の爆発なんだってんだ」
部屋に誰かが入ってきた。振り返ればその人物はハヴァであった。
「拷問はどうした」
「爆発があったから飛んで来たんだ。ってかなんだ、この有様はよ!」
ハヴァは部屋を一瞥する。首のない残酷死体。首が捻じれた破片まみれの死体。そしてこんな状況でもなお血を浴びて笑顔の絶えないシドナム。奇妙な状況だ。
「いいこと教えてやるよ、ハヴァ。あの女な、ナンバー8だったんだよ」
ようやく理解した。あの女の腕の入れ墨の意味を。あれは無限を意味するのではなく数字の8だったのだ。なんて単純なことだろう。シドナムは自分の視野の狭さに少しだけ後悔した。
「それは、間違いないのか……?」
ハヴァの目に光が宿る。その意味をシドナムは理解していない。
「ああ、間違いない! 『あいつ』が言っていたんだからな!」
「なぁ」
小さく息を吐いてからハヴァは続ける。
「俺に初期型と戦わせてくれ。みんな化け物じみた強さだって聞いて俺はわくわくしてるんだ。ネネだってさっきまでただの人間だったが、今じゃ暴走した電車みたいに何もかもぶっ飛ばしてこっちに向かってる。こいつは俺の夢でもあるんだ。頼む。あんたが命令してくれれば俺は今すぐにでも戦えるんだ!」
おあずけを食らった飼い犬のようにキラキラした目で、ハヴァはシドナムに頼む。一生のお願いというのがあるならば、まさにこれだ。ハヴァの生きる意味は戦うことにある。『不良品』としての彼の価値なのだ。
「ダメだ」
だがシドナムは残酷だった。ハヴァのお願いを一蹴し、部屋の外に出ようとする。
「貴重な『初期型』はどちらも生け捕りにする。麻酔が効くんだ、何度だってトライして見せるさ」
外に出る前に、彼はハヴァの方を振り返る。
「だからお前は無駄な戦いはせず、不意打ち的に奴らを……」
シドナムはそれ以上話すことができなかった。
会話がここで終わったわけではない。
終わりにさせられたのだ。
シドナムの胸にハヴァが飛び込んでいた。青白い光が彼の白衣を貫き反対側まで到達している。
「おまっ、え……!」
口から血があふれて止まらない。シドナムの体はもはや自分で自由に動かすことはできず、ハヴァに寄りかかる形となっていた。
初期型人造人間ナンバー8、ナシェリー登場。




