第八十九話
人肉BBQ。
「ったくよぉ、いてェじゃねぇか。殺す気かっての」
「本当に殺す気ならとっくにやってるし」
「それもそうだな。それに、これくらい実力差が圧倒的じゃないと俺が勝っても実感沸かねぇ」
ハナは無言で鏙の体を放り投げた。タワーの巨大なガラス窓を破り無様に床へと転がり落ちる。蒸発していない彼の血が辺り一面に飛び散って凄惨な現場へとなり果てた。
「最後にもう一度だけ言うわ。降参して」
うつ伏せになって動かない鏙に歩み寄り、言い聞かせる。彼女の手は機械のままだ。
鏙は動かない。人造人間は死ねば粉状となり消えて無くなる。ならばこうして形を保っている以上、まだ彼は生きているのだ。だが動かない。気絶しているのだろうか。あれだけの攻撃を受ければどんな人間だって意識を失っていてもおかしくはない。
「ちょっと、聞いてるの」
少しだけ、ほんの少しだけ鏙のことが心配になったハナは彼のもとへと一歩踏み出した。
それがハナの運の尽きであった。
動かない彼へと近づき、息を吐き、手を伸ばしたハナが一番油断した瞬間を狙って鏙が急に動いた。
うつ伏せから仰向けへと姿勢を変え、手に握られていた一発のパチンコ玉が彼の手から離れる。転がすかのように床に落ちようとしていたパチンコ玉は鏙の能力によって急加速、角度を変えてハナの脇腹へと命中、貫通して天井の照明を破壊した。
「っは、あ」
あまりに素早い動き、そして油断していたがゆえにハナは自分に何が起きたのか理解するのに少しだけ時間がかかってしまった。
「なん、で」
「俺は長い戦いが好きじゃない。だから一発で終わらせたいんだ。勝つのも負けるのも一瞬がちょうどいいんだ。ギャンブルも、ケンカも。負け越しからの一発逆転なんて天にも昇る思いだ、最高だ。たまんねぇ」
そう言って立ち上がった鏙には傷一つついていなかった。新型の人造人間の自己再生は初期型以上に高速だとナナが言っていた。まさにこれだ。あれだけ痛めつけたというのに、もう何事もなかったかのように立ち上がり、こうして服の乱れを直しているのだ。
対するハナは旧型のなかでも贋作とそう変わらない。能力はそこまで強力でもなければ自己再生もない。あるのは長年生き続けてきたことで得た戦闘の経験だけだ。それも体が無傷であることが条件であって、こうして負傷してしまえばほとんど無力な人外なだけになってしまう。
「ふっ……ふっ……」
変な汗が止まらない。不思議と穴の開いた脇腹からの出血が少ない。臓器を傷つけられたわけではないようだが、殴られたのとはまた違う強烈な鈍い痛みがハナを襲う。妙に体が強張って、震えてくる。とにかく今は傷口を押さえ、相手の出方をうかがうしかない。
「これで終わりだな」
ハナより背の高い鏙が見下す。やろうと思えばいつでもハナを殺せるだろうに、彼はあえてそれをしない。ただ見下すだけだ。
「あいにく俺は女を必要以上に痛めつける趣味はねぇ。やられたらやり返すこともしねぇ。ただこうやって勝ちの余韻に浸れれば、それで満足だ」
「まだ勝ち負けは決まってないんだけど!」
鏙は目を剥いた。ハナが傷口から手をどかしたとき、そこに傷口はなかったのだ。
「なんだ! 自己再生はしないはず!」
まだ焦ってはいないものの、鏙にとってこれは不測の事態だ。確実に脇腹に穴を開けて、風の通り道を作り上げた。
「なッ、こいつ!」
よく見ればハナのその箇所に傷跡があった。傷口はなくとも、痛い目に遭った名残がある。傷口を押さえていた手のひらは赤く光り、危険な予感を鏙の本能が訴えてくる。
「お返しよ!」
高速。あまりに素早い五本抜手が鏙の顔を貫かんとする。だが鏙は間一髪のところで顔の中心への一撃を避ける。それでも頬の肉は削げ、その断面が高熱で焼ける匂いが辺りに充満した。
ハナの手は今や熱した鉄そのものだ。そんな手で傷口を押さえればやけどで小さな穴は塞がるだろう。後々苦しくとも、今は出血を抑えられればそれでいいのだ。
「あぶねぇな! なんだよそれ! ありなのかよ!」
鏙は悪態をつきながら大きく後退し、ハナとの距離を取る。その間にも焼け焦げた頬は自己再生してもとに戻っていた。
「そっちこそ、再生なんてしたら手間がかかるじゃない。負けを認めてくれたほうがありがたいんだけどさ」
「まったく、怖ぇ姉ちゃんだ。マジのガチで何度でも半殺しにするつもりだろ」
「わかってるなら話が早いわ。答えを教えて」
二人は笑っている。口元が歪み、決して綺麗な笑顔とは呼べない笑顔を浮かべて向かい合っている。戦いが楽しいのか、それともアドレナリンでハイになっているからか。もしくはそのどちらでもあるのかもしれない。
ガラス張りの入り口は破れ、今や外の雨風が吹き込んできている。五月の夜はまだ寒い。
「俺はあんたの足止めを命じられてる。だから答えはノーだ。降参しねぇ。絶対にな」
「残念」
ハナはあきらめた。鏙との和解の道を。だから足を踏み出し、高熱の両手でもう少しだけ人肉バーベキューをする羽目になった。
ハナが迫るというのに、鏙は笑う。声を上げずにただニヤニヤと笑う。




