第八十六話
倫理的にアレな回です。
場所は変わってタワー64階。尋問室では状況が大きく変化していた。
「あー、あー、あー」
あれから十数本ものメスカリンを注射され、もはや意識のはっきりしない拓海の母親、白銀海とひたすらに注射器を撃ち続ける研究者。
「まだ耐えるのか。まるで人間じゃないな!」
当初は嫌々、そして命がけで他人に対して危険な薬物を使用し続けていたが、それが彼の研究魂に火をつけた。数本で死に至る行為をその倍以上打ち込み、それでもまだこうして目を開けていられる白銀海に興味が湧いてきたのだ。
用意された質問はとっくに終わり、今頃は対象を休ませる時間となっているはずだが、ここまで頑丈な人間に興味を示し、もう止まらない。
「あとどれくらいで君は死ぬんだい? 次は違うものを使ってみようか? 逆にどんな気持ちなんだい? このシチュエーションに絶望はしているのかい? それともさすがに頭がおかしくなって何も考えられないのかい? まさか希望がまだあるというのかい? ああ興味深い! 人間はこれだから面白い! こんな頑丈なら研究してみたい!」
好き放題人体実験を繰り返し、テンションが上がりっぱなしの彼は先ほどまでの怯える人間とは完全に別人となっていた。
「変態め」
そんな彼を見張っていた武装する男は小さな声で悪態をつく。どう考えてもやりすぎだ。人質にするというから連れてきたのに、ここまで手荒に扱うならいっそ見せしめに殺してしまったほうが効果がある。これでは悪趣味の極みと言わざるを得ない。それに研究者の男の豹変ぶりに反吐が出る。結局ここはいかれた社会のはみ出し者の集まりだったようだ。
「だが、いい」
だがしかし、彼もまた変態のようなそれであった。拘束されて身動きの取れない一人の女、それもかなり若い。薬で痛めつけられ、今まさに生き死にが掛かっている壮絶な状況に、男の奥底にはおぞましい劣情が湧き上がる。
聞くところによれば白銀海という女は経産婦なのだという。それを思い起こすだけで興奮が止まらない。
「おい」
男は研究者の肩に手をかけ、小さな声でつぶやく。
「こいつはこのまま俺が処分する。お前は出ていけ」
「え、でもまだ尋問は終わってないぞ」
「尋問はとっくに終わってるだろうが。テメェだけ楽しむのは『ズル』ってもんだ。俺にも楽しませろ」
研究者の男はその言葉ですべてを察した。自分のしていたことのいかれっぷりを理解してから、目の前でギラギラとした欲望の塊を見て、急に怖くなった。
この島がおかしくなり、そしてとうとうすべての人間がおかしくなってしまったのだ。自分も含めてどうにかなってしまった。
「ぼ、僕は出ていくよ」
「そうだ、それがいい。俺は一人のほうが好きだ」
片方が踵を返し、片方が女の前でひざまずく。
「お前ら何してんだ」
声がして二人は部屋の出口を見る。二人とも変な汗をどっとかいた。
「そういうことは認めていない。次にそんな素振りを見せたら殺すぞ」
眼鏡と髭の男、シドナムがいつの間にか部屋に入ってきていた。これまでのやりとりを聞かれていたのかと思うと恥ずかしさと情けなさから二人そろってうつむくことしかできない。
「尋問は終わりました。私はこれで」
最高に居心地の悪い研究者の男は眼鏡のずれを直して歩き出す。
「どこへ行くんだよ」
シドナムの横を通りすぎたとき、そう声をかけられて立ち止まる。
「お前らの居場所はここだ。もし外に出てみろ。俺が雇った怖い兵士どもに間違って撃たれちまうぞ」
シドナムは数時間前に大勢の人間を迎え入れていた。中国で暗躍する武装集団BTUを誰の許可なく雇い、コンテナに乗せて密入国させた。彼らは人を殺すことにためらいがなく、金のためならいくらでも殺して見せる危険な集団であった。
BTUはまずこの島において邪魔な存在となる人間を掃除し始めた。従業員、研究員、警備員、全員まとめて効率よく皆殺しにした。次にこの島にやがて乗り込んでくるであろう人造人間を倒すよう指示した。まだ接敵していないようだがいずれ訓練された彼らは発見し、始末してくれるだろう。
「だからよ、変態同士仲良くこの部屋にいろよ。もっと別の何かに目覚めるかもしれないぜ?」
くくくっ、と口元を歪ませて笑うシドナムは、懐から煙草を取り出して慣れた手つきで火をつけて一服する。
「ところでよ、海さん。あんたのことを調べさせてもらったぜ」
いまだに意識が朦朧とする海はまだ話ができる状態ではない。しかしシドナムは構わず話を続ける。
「おかしいんだよな。何もかも。あんたの産まれた場所は記録に残っていないし、免許証、クレジットカードの履歴もない。銀行口座すらないってのはまともじゃない。だがそんな奴は世界の裏側に結構いるもんだ」
海の前までやってくるとシドナムはしゃがみ、彼女の顔に煙を吹きかけた。反応はなかった。
「だから俺のボスに連絡してみたんだ。だが奴は知らないと言っていた。もしかしたらと思ってその腕のタトゥーのことも話してみた。そしたらビンゴだ。ボスはお前のことを知っていたよ」
海の目に光が宿る。しっかりとシドナムの目を見て、次に話す言葉を待っていた。
「そいつを自白してくれなきゃ困るんだ。私は誰々ですって自己紹介してもらいたくて俺は仕方がない。だが俺はお前の正体を言わない。絶対にだ。もし俺から言っちまったらお前は適当な嘘をつくかもしれないからな。だからさ、本当のこと言ってくれよ」
海の耳元でささやく。これくらいの距離で聞こえなかったと言い訳ができないように。
「私は、誰でもない。からっぽの、抜け殻」
海の言う言葉は意味ありげなそれだが、求めていた答えが聞けず、シドナムは思わず彼女の頬を張る。
「薬が効きすぎて会話もできないか! だったら目を覚まさせてやる」
静かに激昂する彼はポケットから無線機を取り出し、誰かと通信する。
「おい、出番だぞ。やれ」
倫理的にアレな回だった。




