第八十五話
ちょっとグロい。
「ずるいぜ。先に教えてくれたっていいのによ」
否、その手で銃弾を掴み取っていた。ネネの手は頑丈だが、ハナのように鉄製ではないので指の肉が弾けて骨が折れる。
それでも毎秒250メートル以上で進む銃弾を上手く、命に係わる傷を負わずに掴んだ。
「わかってきたかしら」
こちらを見ることなくハナは言う。顔は見えずともきっと彼女は薄ら笑っているに違いない。
「コツを掴んだ。掴んじまった。だからよ、あたしはもうやられねぇ。やられないんだ」
二人は感じる。圧倒的な殺意を。オルビドの復讐心から生まれる殺しの意思を。
大きく膨れ上がったそれは、まともな人間なら感知することもなく死なれてしまうだろう。
だが二人は違う。二人とも人造人間だ。
ハナはいくつもの戦場を乗り越え、死について過敏になっていた。ネネはこの場で死を重ね、見えない殺しの意思を感覚することができるようになった。
オルビドの『消える能力』は人間相手なら無敵だが、いかんせん相手が悪かった。悪すぎたのだ。死なない相手をいくら殺そうとしても勝てるわけがなかったのだ。これは学校でも社会でも決して学ぶことのできない敗北の条件だ。
だからオルビドは負ける。
ネネが駆けた。なにもないところへ。
「そこッ」
手を伸ばし、『何もない』を掴んだ。そのまま地面に押し倒す。
「げぇっ」
うめき声がした。当たりだ。地面に血が飛び散る。ネネのものではない。『それ』の血だ。
「うらァ!」
力任せに『そいつ』を正面にぶん投げる。まっすぐ飛んで行った『彼女』は宿舎の壁へとぶつかり、ひび割れと共に血の落書きを描く。
血がずるりと落ち、地面に落ちる。そうしてやっと、『オルビド』は姿を現した。目玉が、脳が飛び出てしまうのではないかと本能で思ってしまうほどに強烈な投擲をされたオルビドは、もうどうしようもなく能力を解除してしまう。
「げぼっ、がっ、げっ」
吐血し、立ち上がれない。手に持っていた銃はすでに落とした。足首にナイフを隠し持っていたものの、激突の衝撃でホルダーが歪み、自分の足に刺さり折れて使い物にならない。
「なんで、なんでッ……!」
見えない者に襲われる恐怖を彼女は知らない。しかしながら怖いということは知っている。それはきっと怖いのだろう、それだけはなぜだか理解している。今まで殺した人間はオルビドの存在に気が付くことなく逝った。だからこの能力が破られることなどなかった。ないはずだった。だというのにすぐ目の前に立ち、彼女を見下すネネとハナは破った。まるで理解できない。
「あ、あ」
「あ、こいつ漏らしやがったぞ」
オルビドは初めて恐怖からくる絶望感を味わった。家族であり彼氏でもあったホフマンが死んだと知らされたとき以上に最悪の気分だった。消えて無くなりたかった。だがそれは叶わない。例え『消えた』としてもこの二人はすぐに見つけ、またしても自分自身を追い詰めるだろう。
「泣いても漏らしても、喚いたところであたしは同情しねぇ。一度決めたらきっちりやり遂げたいからよ、あとはわかるか?」
自然と涙を流すオルビドの髪の毛を掴んで引き寄せるネネ。
「わ、わ、わか、わかんない」
「あたしは言ったぜ。殺すってな」
ネネの目は本気だ。冗談や脅しではなく、本当の本当に殺すときの冷徹な鬼の目をしている。明鏡止水の瞳に映るは自分自身の無様な泣き顔。
「ネネ、弱いものいじめはほどほどにしてもう行きましょう」
優しい、天使のような提案をするハナ。ネネが嫌そうな顔をしてそれを受け入れたような気がした。
「ちっ、時間がねぇ。残念だ」
助かった。これで命は救われる。尊厳を失い、オルビドの心は粉々に砕かれたが、人として一番大事な奥底だけは守られた。安堵して息を吐く。
「だからあたしはテメェを殺す。一回だけ殺す」
「は?」
ネネがなにを言ったのか理解しきる前に、オルビドは重力を失う。
彼女はオルビドの頭を掴みなおし、思い切り地面に叩きつけた。痛みが体の限界を超えたのか、もはや何も感じない。ただ砕けた己の歯が口の中をずだずたに引き裂いたことだけはわかった。顎がもげ、眼球が破裂し、鼻は潰れ、脳に頭蓋の破片が突き刺さる。
そうしてオルビドは死んだ。間違いなく死亡の経験を積んだ。
「ハナ、なにか縛るものねぇか」
「あの処刑された人たちのを借りるしかないわね」
「なんだっていいよ」
そんな会話がオルビドの意識の最後に残り、やがてすぐに『消えて』なくなった。
ネネの勝ち!いぇーい。




