第八十二話
ツインタワーの64階、尋問室。正確には尋問をするための部屋ではなく、もともとは応接間として広々と使っていた部屋だった。一昨日、この部屋で殺人が起き、血しぶき内臓その他諸々の処理が不可能ということで、尋問専用の部屋へ変化を遂げた。汚い部屋から汚いことをする部屋になったのだ。
「奴らが来たようだ」
シドナムは白衣のポケットから手を出して眼鏡を直し、客へ視線をくれる。
「お前の家の住人とその友達がやってきたぞ」
天井から延びる鎖に両手を縛られ、硬い床にひざまずく女は虚ろな目でどこでもないどこかをぼんやりと眺めている。
先ほどからシドナムはこの女に対して自白剤を用いた尋問をしていた。彼は耳に装着した小型の無線機でネネ達がやってきたことを知った。
「続けよう。薬はいくらでもあるからな、なんせここは医療の島だ」
ゆっくりとした歩調で女へと近づき、無防備なその腕を手に取る。もう一方の空いている手には注射器がある。
「このタトゥーといい、お前の経歴といい、ネネだけじゃなくてお前も何かを隠している、そうだな?」
そう言ってシドナムはためらいもなく女の腕に注射針を打ち込む。
「……あ」
女の腕には無限を意味する記号が彫られている。そこまで目立つものではないが、おしゃれにしては素っ気無く、我が足りていないようである。
「白銀 海。答えろ。お前はネネを家に置いている」
「ええ……」
力なく答えたのは拓海の母親であった。彼女は拓海と共にこの島に拉致され、こうしてネネに関する情報を吐き出していた。
「ネネは人造人間か」
「……うう」
すでにわかりきっていることをシドナムは敢えて質問していた。これには理由がある。ちゃんとした理由が、マニュアルに書いてあるような理由があるのだ。
「ネネは誰と行動している」
「……ハナ。たぶん、ハナが一緒」
これが自白剤を用いた尋問の手順だ。薬の効果を確かめるため、そして簡単な質問に答えさせ、相手の心に少しの隙を作る。隙が確認できたところで間髪入れずに相手にとって大事な情報を聞き出す。これを繰り返し薬漬けにして最後はぼろ雑巾のようにしてしまう。権利やモラルなど知ったことではない。どうせ死ぬのなら、と考えれば効率がいい。
「ハナというのはどこの人間だ」
「人間じゃない。人造人間。イガラシクの」
そこまで聞くとシドナムは踵を返し、部屋の出口へと向かっていく。
「いいか、尋問はこうやるんだ」
空になった注射器を出口で見守っていた職員に押し付け、彼は出て行った。残された職員の男は尋問はおろか、こういった犯罪行為自体に臆してしまっていた。だが次はやらなければならない。なぜならこの部屋にいるもう一人の人間、BTUの武装した男にライフルの銃口を向けられているからだ。どこの誰だかわからない母親を痛めつけ、意味のわからない質問が並んだ書類通りに質問していく。やらなければ、ここで逃げ出しでもすればこちらが殺される。BTUの人間に連れていかれた同僚たちのように。たまたまシドナムと仲が良かっただけでこうして生きていられるのは幸運か不幸か。
「ごめんなさい。こうするしかないんです」
罪悪感を噛み殺して、職員の男は拓海の母親にまたしても注射器を突き刺した。
拳には十分な手ごたえがあった。しかしそれはハナも同じである。
「何をしているの? ネネ」
ハナは怪訝そうに言う。二人とも同じタイミング、同じ場所に対して殴りかかり、二人の拳がぶつかり合っていた。どちらかが遅れれば致命的な一撃になっていたに違いない。ハナの拳は一見してなんともないが、ネネの威力に負けそうだと彼女は自覚していた。
「意味もなく人を殴るイカレがいるかよ。てめぇも聞こえたんだろ、誰かの声がよ」
二人はゆっくりと拳をおさめ、睨みあう。
「ええ、はっきりと聞こえたわ。近くにいるってレベルじゃない。目の前にいてもおかしくないほど近距離だった」
「そいつが人造人間だとして、この状況はあたしたちはすでにそいつに一回殺されてるようなもんだな」
これからどうするべきか、一瞬の猶予もないなかネネは考えを巡らせていると、二人の視界の端に一人の女がいることに気が付いた。
「すごい! 本当に逃げないんだ!」
その女はこの暗く不愉快な雨の中、明るい笑顔を振りまいてこちらに話しかけてくる。
白髪のベリーショート、白色のラッシュガードを着たその姿は少し変わっている。おしゃれとしてもこの場から浮いているし、殺し合いの場と化している現状においても明らかだ。そんな姿ではどこへ逃げても目立ちすぎる。
「おい見ろハナ! こいつは面白れぇ! あたしの敵が自分からやってきたぞ!」
笑顔のネネの口元は歪み、目は笑っていない。本気で笑い話をしようとしているのではなく、自分なりにこちらへのペースに持ち込もうとしている。
「私のことはきっとあのヘタレのナナから聞いているはずだから自己紹介はしないね」
ネネの挑発に流されずに自分の話を始める女。ゆっくりと両手を腰に回すのをハナは見逃さなかった。
ネネ&ハナvsオルビド、開戦。




