第六十二話
お風呂回。男だけど。
現在午後五時。拓海にできることはなく、今日のところはもう帰れとハナに言われてしまい、おとなしく彼は自宅に帰った。
「ただいま」
返事がない。といっても拓海の他にこの家にいるのは彼の母親だけだが。声がないということはどこかへ出かけているのだろう。そういえば最近また恋愛ドラマにハマっていると言っていた。近所のレンタルビデオ屋へ出かけているのかもしれない。
「今のうち」
拓海は誰もいないというのにそろそろ歩きで自室に戻り、着替えを手にすると風呂場へと向かった。昼間の人造人間の襲撃で全身がびしょ濡れになってしまっていた。ハナの家では誰もが生乾きのようで気にしていなかったが、いざ帰るとなると服の臭いが気になって仕方ない。急いで着替えたかったのだ。
「臭うな、俺」
着替えるだけにしようと思っていたが、それだけでは臭いが落ちるとは思えない。せっかくなのでこのままシャワーを浴びることにした。服を脱ぎ、洗濯機へ放り込む。
「あれ、風呂沸いてる。ラッキー」
風呂場のドアを開けると蒸気が立ち込めており、湯船のお湯が張ってあるようだ。母親が早めに入れておいたのかもしれない。
シャワーを浴びている間、拓海は考えていた。ネネが帰ってこない理由を。拓海の母親はネネがいなくなったとしても心配するタイプとは思えなかったが、聞かれて答えられないというわけにはいかない。
正直に連れ去られたと伝えるのはよろしくない。ケンカで入院した、これも苦しいだろう。保護者が呼ばれなければいけない状況はなしだ。
そもそもネネは昨日から帰宅していない。腕を折り、ハナのところで一夜を明かしたからだ。
二日間戻ってこられず、なおかつ警察沙汰にならなそうな理由。そんな都合の良い展開ははたしてあるのだろうか。
「そんなのあるわけねーだろーなぁ」
どうしても思いつかず、一人ぼやく拓海。
顔を洗い、シャワーで流す。
と、脱衣所の外で物音がした。すぐにそれは足音だとわかり拓海は安心する。母親が帰ってきたのだろう。
しかし足音は脱衣所の前で止まり、中に入って来る。手でも洗いに来たのかと考えるや否や、風呂場の扉が開かれた。
「拓海くぅん、ネネちゃんは~?」
「ぎゃああ! かかか、勝手に開けんじゃねぇ!」
照れながら拓海は風呂場のドアを勢いよく閉めた。
「ああ~ん、大きな声出さないでぇ、目が回るからぁ~」
母親の間延びした声でフラフラと頭を揺らすシルエットが擦りガラス越しにこちらから見える。対する拓海は風呂場のドアを押さえ、肩で呼吸する。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「もぉ~、そんなに必死にならなくてもいいじゃない。私が産んだんだから気にしなくていいのよぉ」
「わざわざ見に来る親がいるか! マジでビビったから!」
「はいはい。それでぇ、ネネちゃんはぁ?」
「あ、ネネは、えーと」
まだ考えがまとまっておらず、どう答えるべきか視線を泳がしていると、母親の影が動いた。洗濯機の方を見ているようだ。
「ん~?」
母親は洗濯機の中に手を入れ、拓海の服を取った。濡れているのを不思議に思ったのだろう。
「あ、それは」
拓海が何かを言うよりも前に母親は洗濯物をもとに戻して脱衣所から出ていこうとする。
「いいのよ言わなくてぇ。若いっていいわねぇ。青春してるじゃない」
それだけ言うと拓海の母親は脱衣所のドアを閉めて出て行ってしまった。一体どんな勘違いをしているのかわからないが、とにかく拓海は助かった。これで言い訳までの時間が稼げそうだった。
「へぇっくしょい! 寒い!」
一瞬だけだが風呂場を開けられてしまったので浴槽の室温が一気に下がった。続けてくしゃみを二回する。風邪をひく前に湯船に浸かろうと拓海は体に残った泡を洗い流す。
そんな拓海の体は傷一つなかった。まるで生まれてから一度もケガをしたことがないかのように。
拓海は覚えていなかったが、昼間の人造人間の襲撃で背中を大きく切っていた。
しかし今はそれがない。
傷跡すらなかった。
それが何を意味するのか、それはまだ先の話だ。
久しぶりにタバコを吸ったら具合悪くなったし胸が痛いしでいいことが何もない。




