第六話
「……きて」
誰かが声をかけている。
「……起きて」
せっかく寝ているというのに拓海は誰かに起こされているようだ。なんだか悪い夢を見ていた。体もだるい。さっさと起きて風呂でも浴びようと、拓海は目を開けた。
目を覚ますと目の前にはいつも見慣れた自室の天井。すぐ横には彼の母親が椅子に座っていた。
「よかった! 目を覚ましたのね」
「俺、生きてる……」
「もう目を覚まさないかと思っちゃった」
「俺どうしたの?」
「なかなか帰ってこないから探したのよ。そしたら拓海くんったら近所の山で倒れてたの。びっくりしたわぁ」
拓海はベッドから起き上がり腕の傷を見る。
「あれ?」
腕に異常はなかった。傷跡すらない。綺麗な肌のままだ。
「お母さん、俺ケガしてなかった?」
拓海の部屋から出ていこうとする母親を引き留め質問する。
「んーん。ケガなんてしてなかったわよぉ。服は泥だらけだったから捨てちゃったけど、なんで倒れてたのかしら」
そう言って母親は部屋から出ていこうとする。
拓海は思った。あれは夢だったのではないかと。人殺しに襲われるなんて現実的ではない。それに加え死体が蘇って助けてくれるなど、もっとありえない。ありえないことはありえない。そんなわけがないのだ。これまでの出来事は全部夢ということで片がつく。
「それじゃあお母さんは『あの子』の看病をしてるわね」
「うん、わかった」
今、彼の母親はとんでもないことを言ってのけた。拓海が夢で済まそうとしていたことを覆したのだ。
拓海はそれに気づかず、もう一度ベッドに潜る。部屋の時計を見るとすでに朝になっていた。今日が高校の創立記念日でよかった。休日を満喫するため、二度寝をすることにする。
そして……。
「あの子……?」
拓海はようやく違和感に気が付いたのだった。
拓海は無駄に緩やかな階段を駆け下り、一階のリビングへと向かった。拓海の母親はいつもここにいる。『あの子』とは一体誰のことか、それをどうしても確認したかった。
「お母さん! 今誰かいるの?」
ノックもせずにリビングのドアを開ける。自宅なのだからノックはしない。当たり前だ。だが今回ばかりはノックをしておくべきだった。
「……あ?」
まず反応したのはあの女。死体から蘇った非現実がこちらを見ている。
「……あら?」
次にリビングに入ってきた拓海を母親が見つめる。
「……あ」
最後に拓海がやってしまったと顔を引きつらせながら立ちすくむ。
彼の母親は人造人間の体をタオルで拭いていた。もちろん服を着たまま体を拭くことはできず、女は上半身が裸であった。丁度背中を拭いていたところで、リビングの入り口へ顔を向けて座っている。
「てめぇ……」
人造人間の女は顔を赤らめながら歯をむき出しにし、眉間に皺を寄せて近くにあったクッションを掴んだ。
「ご、ごめん! ごめんなさい!」
クッションが飛んでくる前に拓海は大声で謝りながらリビングのドアを閉めた。
拓海がバタバタと音を立てて階段を昇っていく音がリビングにまで聞こえた。
「なんだあいつ」
人造人間の女は握りしめたクッションをソファへ放り投げ、拓海の母親の世話を受け続けていた。
「あの子は私の息子よ」
「息子か……。なんだか弱そうだな」
「もちろん。あの子は普通の人間だもの」
女は拓海の母親の言い回しが引っかかった。普通の人間なんて言い方はあまり聞かない表現だ。
「なぁ、あんた、何者なんだ?」
「何者って、おかしな子。それはこっちのセリフよ」
言いながら、体を拭き終わり、女にシャツを着せる。
「あたしは……」
女はシャツを着ると目を瞑って記憶を思い起こす。自分は誰なのか。ここはどこで、なにが今起きているのか。
「……クソ、思い出せねぇ」
これ以上考えていても女は頭に何も思い浮かぶことはなかった。むしろ心が揺さぶられ、動悸が激しくなってくる。パニックになりそうだった。
「ネネ」
何を言うべきか女は考えていると、不意に拓海の母親が口を開いた。
「この名前を聞いても何も思い出せない?」
「あんた……あたしを知ってるのか?」
「それはどうかしら。知っているかと言われればほとんど知らないと思う。ただ、あなたの名前はネネ。私はそれくらいしか知らない」
女の着替えたシャツを手に持ち、拓海の母親は洗濯機のある浴室へ向かうためリビングを出ていく。
「……ネネ」
この場に残された人造人間の女、『ネネ』は自身の口元を手で押さえ、考え込んだ。自分に何が起きていて、今まで何があったのか。ヒントになる手がかりは彼の母親にしかない。
少女の名前は、ネネ。