第四十四話
「い、いやだ!」
ナナは恐怖に足がすくみそうになったが、なんとか正気を保ち、道から外れ茂みの中に飛び込んだ。小さいとは言え森が広がっている。逃げるならここしかない。
(なんで、私が!)
草木をかき分け森の中を進みながらナナは考える。殺されそうになっている理由を。簡単だ。そう考えこむ必要はなかった。
ナナはシドナムにとって邪魔になった、それだけなのだ。
彼のやり口は前々から気に入らなかった。いつか口に出して否定してやるつもりではいたが今日ではなかったのかもしれない。
「いたっ」
木の枝で腕が切れる。なんの考えもなしに声に出したのが間違いだった。
「そこか」
ランヂの声がどこかで聞こえる。しかし木の枝を折る音が全く聞こえない。つまり彼は森の中におらず、それでいてナナの位置を探していることになる。
ナナにはこれがどういうことがわかった。ランヂは自分の能力を使い、ナナを探しているということだ。
(死にたくない!)
「逃がさないぞ。楽に死にたかったら動かないほうがおすすめだ。逃げたら殺す」
(あいつヤバイ。言ってること意味わかんないよ!)
ランヂに恐怖しつつも逃げ道を探すナナ。ふと視界の隅に人工物が映り込んだ。この島にとって大事な施設。駅だ。日本本土へ逃げるなら駅から地下鉄を使うしか方法がない。
(あそこなら!)
一目散に駆け出し、駅を目指す。茂みから飛び出してホームまでの短い距離を走る。
「あれ、ナナちゃんじゃないか。おはよう」
駅を担当するこの島の警備員に見つかり声を掛けられる。ナナはこの島において研究対象という名目で滞在しているので、なにも知らない人間にとってただのか弱い女の子が散歩をしているだけにしか見えないのだ。
「どうしたんだい、そんなに急いで」
しかし警備員は全速力で走るナナに違和感を覚えないはずがなく、彼女の目的を考える。
ナナが目指すのは地下鉄。それもかなり急いでいる。
なぜ?
ナナの後に続くのは見覚えのある男。
確か彼も研究対象だ。
だがなぜナイフを手にしているのか。
危険だ。
誰が?
ナナと自分が。
ではどうすれば?
「邪魔だどけ!」
「げぇっ」
考えているうちに従業員はあっという間にランヂに殺された。ランヂが通り過ぎる際に喉をナイフで切り裂かれていた。
「なんで人を殺すの!」
ナナはすぐ後ろで人が殺されたことにショックを受け、感情が不安定になり始めていた。逃げながら、目から涙が溢れ出してくる。パニックになるまで時間の問題だ。
「いいから殺されろ! 死ね!」
「嫌だ!」
ナナはなんとか駅のホームにたどり着き、そこに止まる電車の先頭にやってきた。運転手はいない。自動運転なのだから当たり前だ。だからナナは先頭車両の窓を力を込めて叩き割り、小さい体を生かして無理やり乗り込んだ。顔から車両の床に落ち、鼻血が噴き出す。
「くそっ」
遅れてランヂが襲い掛かってきた。ナナの入り込んだ小さなガラスの割れ目に腕を突っ込んでナイフを振り回す。しかし腕の長さが足りずナナにかすりすらしない。
仕方なくランヂが腕を引っ込めてガラスを割ろうとしたときだ。
「私はもう戻らない。シドナムさんにそう伝えて」
電車が動き出した。ナナが電車を緊急発進させたのだ。操縦室には手動で動かす手段も用意されている。島での有事の際、要人を急ぎで脱出させるためにボタン一つで誰でも発進させることができるようになっている。一般人を乗せない電車だからこそ搭載されている機能だ。
「お、おい待て! 待てってば!」
置いて行かれたランヂの声が小さくなっていく。リニアの力で動く最新の電車は初速が本土のものとは比べ物にならないほど速い。ましてや政府要人のための緊急発進となれば快適性を捨てた本物の加速をする。大の大人が走って追いかけることなど不可能なほどの速さでナナを乗せた電車は24区から遠ざかって行った。
「私、これからどうしよう」
運転室で膝を抱えて座り込み、顔をうずめる。静かな機械音だけが耳に入る。
帰る家を失い、命まで狙われ、安全に生きる道がなくなった以上、ナナは決断を迫られていた。誰もいないような山奥でひっそりと暮らすか、それとも戦うか。しかしナナにはどちらもできない理由があった。24区の人造人間たちは物心ついた時から誰かに生活のすべてを任せて生きていた。今更一人で生きるなど到底できそうにないだろう。50年間牢獄で暮らした人間のレベルで世間のことを知らないのだ。何が起きているかニュースで知ってはいたとしても、現代の生き方を知らない。ルールもマナーも何一つわからないのだ。
だからと言ってナナは戦うのも嫌だった。わがままかもしれないが、戦うということは殺すこと以外にないと思い込んでいる彼女にとって、殺す人の未来を奪うことはとてもできない。
「ネネ、もしかしたら助けてくれるかな」
ナナはポケットから携帯を取り出し、集会のときに送られてきた情報を読み返す。まだ送信データを消されておらず、端末に保存することができた。
「怖そうな人」
目つきの悪いネネが簡単に人を助けるような人間には見えなかったが、それでもナナが頼れる存在は彼女しかいない。危険が迫っていることを伝えれば助けてくれるかもしれないからだ。そんなイチかバチかの賭けをするために、ナナはこれから『小さな冒険』をすることにした。
そのとき、後部車両からガラスの割れる音がした。
「ナナ、どこにいる!」
ランヂの声。
「え、嘘」
信じられないことに、彼は300キロで走る電車に追いつき、そして乗り込んできたのだ。彼の能力を使えば可能かもしれないが相当消耗しているようで声が疲れ切っている。
「クソガキィ! どこにいんだ、手間かけさせんなよぉ!」
「どうしよう、もう逃げられないよ……」
再び恐怖が襲い掛かり、ナナは震えが止まらなかった。だが今度こそどうにかしなければナナはここで殺されてしまうだろう。
立ち上がって窓ガラスに目をやる。遠くのほうに駅のホームが見えた。到着まであと数十秒といったところか。それよりも先にランヂが先頭車両にやってくるのは間違いない。あと数十秒だけどうにかして耐えるだけでいい。
「よし、逃げ切ってみせるから」
自分に言い聞かせ、こちらに向かってくるランヂをドア越しに見る。
これからナナは人造人間として成長し、人として最低な部類に入ることとなる。それは今からでなくとも近いうちにだ。戦うこと拒み、常に逃げることを選ぶ彼女にはいつか必ず重い罪が覆いかぶさってくる。
彼女への『罪』は明日やってくる。
長い長いイントロでした。
ここから本番だからよろしくね!




