第三十六話
「…………」
怒り狂うネネをよそにハナは顎に手をやり、何か考え事をしていた。真剣な表情だ。
「ネネ、ちょっといい?」
「ああ? なンだよ!」
「落ち着いて聞いて。あの女、ランはどこかの誰かにネネが生きていることを伝えるはず」
「だからなんだってんだ」
「あなたのその性格だからきっとあちこちから恨みを買いまくってると思う。すぐにでも襲撃があってもおかしくないわ」
「誰が来ようとも全部返り討ちにすっから安心しやがれ。それともなんだ? あたしが殺されるかもしれねぇってか?」
「ええ。今回の戦いもほとんど私のおかげじゃない。今のあなたは弱すぎるのよ」
ハナがいなければランに凍らされていたかもしれない危険性は確かにあった。二人がかりでようやくランを倒したのはネネも否めずにいた。
「私から二つ提案があるんだけど、聞いてくれる?」
「……」
ネネは黙っていた。
「今すぐ私と一緒にイガラシクに行って保護してもらう。これが選択肢のひとつ。でもネネはそんなの嫌がると思う。でしょ?」
「当たり前だ。これから襲ってくる奴らみんなあたしを知ってんだろ。記憶が戻るかもしれねぇ相手から逃げるなんざごめんだね」
「そう言うと思った。じゃあ選択肢その二。私と一緒に戦う。ネネの力は少しずつ戻ってきている。だから敢えて危険に身を置いて勘を取り戻すの。私といれば殺されなくて済むわ。つまり私がインストラクターとして戦いのサポートをする。どう?」
「はっ」
鼻で笑うネネ。彼女の言うことの意図は少し前からなんとなくわかっていた。
「構わねぇ。ただ一つだけ聞きたい。大事なことだ。答えによっちゃあこの辺りはもう少し血に染まるぜ」
「ネネのくせにもったいぶるつもり? 早く言ってよ」
「どうしてあたしに関わる? あたしがネネだと分かっていても他人のふりを貫くこともできたはずだ。無理に守る必要だってねぇ。仕事が人造人間の管理ってだけならあたしを拉致ればいいだけだろう。そこが引っかかってすっきりしねぇ」
「あんたが昔馴染みだからあいさつしてあげたのよ。それ以上に理由はないわ。これで満足?」
意外にもハナは悩むことなく即答した。まるでその質問の答えを以前から考えていたかのように淡々と発していた。その顔からは恐ろしいほど感情が読み取れず、喜怒哀楽すべてが抜け落ちた業務的な顔であった。
「そうか、そうだよな。昔の知り合いだって言ってたもんな。何年振りか覚えてねぇが、そんな久しぶりならあたしだって声かけるかもしれねぇし、そういうもんだよな」
ネネも自分に言い聞かせるように何度も同じことを呟いてこの話を終わらせた。これ以上掘り返しても自分にとって良いことが起きるとは思えなかったからだ。
だが同時に心のどこかでハナに恐怖しているとは認めたくなかった。自分だけが知らないことを彼女は知っている、間違いなく。例え過去を教えてくれたとしてもそれが真実とは限らない。嘘は所詮嘘なのだ。
だがネネは誰を信じればいいのか分からず、心配でならなかった。今までハナのことを疑ってきたが、それもそろそろ終わりにしなければ、いつまで経ってもネネは不安の中を生きていかなければならなくなってしまう。いつか気持ちが疲れた時、ネネはどうすればいいのだろうか。まともな記憶もなく、信頼できる人間もいない。そんな寂しい状況だけは避けておきたい。今は仲間がいれば気が晴れる。
だからネネはこれ以上ハナを疑うことを止めることにした。過去はこれから少しずつ思い出し、そしてたまに教えてもらえば問題ない。
「よろしくな、ハナ。これから世話になるぜ」
ネネはハナに向けて手を差し出した。
「やっと名前を呼んでくれたわね。こちらこそよろしく、ネネ」
ハナもそれに応じ、二人は握手をした。が、その時間は長くはなく、誰かが来る前にそこにいた形跡を完全に消しすぐにその場から退散した。立ち去る前にネネは振り返ると最後まで残っていたグリニッジの血はいつの間にか消えてなくなっていた。
人造人間ナンバー9。ネネは白銀家に居候しながらハナと共にこれから襲い来る『敵』に対して備えることになる。たくさんの血を流し、殺すことになるだろう。死にかけることも決してないとは言えない。それでもネネは戦い続け、自身の記憶を取り戻す。記憶が完全に戻ったとき、どうするかはその時彼女が決断する。
今日は白銀ネネにとって重要な一日となった。
あと一話残ってます。あと一話だけ。




