第三十四話
「ぐうぅっ、痛いな。痛いじゃないか」
再び交通事故のような体当たりを食らったランはふらつきながらネネとハナのことを睨む。よく見れば左腕の肘の辺りが不自然に歪んでいた。外側に曲がり、折れているようだ。
「なにしてんのネネ、早く立ってよ」
「ああ、わかってる。それよりもあいつ腕折れてんぞ」
急いで立ち上がったネネはすぐさま伝える。こちらが有利になるならどんな些細なことも共有するべきなのだ。たとえ相手がつい先ほどまで信用ならない人物だとしても。
「そうみたいね、一気に畳みかけるわよ」
「おうよ」
勝利への活路を見出すと途端にやる気に満ち溢れてきた。血まみれになろうとも体がボロボロになろうともまだチャンスはあるのだ。
「私をなめんなよ。腕なんざ折れたところでなんでもないんだよ」
ランが自分の折れた腕にもう一方の手をかける。能力を使って凍らせていた。
「まずいわね」
その様子を見てハナは余裕を感じられない表情を浮かべている。
「あいつなにしてんだ」
「たぶん腕を凍らせてギプス替わりにしようとしてる。弱っている今ならあいつを楽にぶちのめせるわ」
「くそったれ、なんでもありかよ」
ネネは悪態をつくとランに向かって走り出した。続けてハナも駆ける。ネネが途中で曲がり横から攻め、ハナはそのまま正面から挑む。
「操你妈!」
先にランに相対したのはハナだった。二人はお互いの手のひらを重ね、力くらべが始まった。凍り付く手と熱を持った手が異常なほどの蒸気を発生させる。
「まだこんな力があるのね!」
「うるさいな! あんたこそその程度かよ」
折れた腕から出ているとは思えないほどの力でハナとやり合うラン。骨折をその場しのぎ程度の補強をしたのみなので、こうしてぶつかり合った瞬間に再び折れるものだとハナは考えていた。
が、予想を上回っていた。ランの腕の氷のギプスはすぐに壊れた。ネネとハナがすぐに襲い掛かったので全くと言っていいほど補強が間に合っていないのだ。それでもなお、ランの力がハナと渡り合っている。アドレナリンが出ているせいか、それとも相当無茶しているのか。
「私だって疲れてんのよ! いいからくたばった方がお互い楽なんだけど!」
「うるさいうるさい! あんたが死ねば終わるんだから!」
ヒステリックに叫ぶランは気が付いていない。背後から迫るネネのことを。ハナは疲れているうえにこれ以上力を出すと自身が熱暴走してしまう恐れがある。だからネネに賭けていた。わざと大声を上げてランの意識をこちらに向けさせる。
「死ぬのはテメェだクソヤロー」
ネネの手には走る途中で拾った大きめの木の棒が握られている。人を殴るにはちょうど良い大きさの優れモノだ。
それを大きく振りかぶり、ランの後頭部へためらいなく叩きつける。
「ぐあっ」
背後からの強襲にランはもろに攻撃を受けた。折れた枝がはじけ飛び、地面に落ちる。彼女の体がぐらついている。そこをハナは見逃さず、できる限り最大のパワーでランの体を引き倒した。
「そのまま押さえてろッ」
ハナはネネに言われた通り、すぐに逃げられないように仰向けに倒したランの両手を掴んだまま維持する。
「死んだあいつの分だ食らっとけ!」
ネネはランへ馬乗りになり何度も何度も拳を顔面に叩きつけた。ランに殺されたグリニッジのことを思うと怒りでさらに拳に力がこもる。
何度も殴るうちに血が辺りに飛び散りネネとハナの体が染まっていく。
非常に暴力的だがいずれはランの抵抗する力も弱まり、無力化できるはずだ。だがそうはならないのが長い時間殺し屋として生きてきたランの経験の差だった。
「ネネ、抵抗してない! もうやめて!」
これ以上殴れば死ぬと判断したハナがネネを止める。
「まだ足りねぇ!」
「殺さないでってば!」
「殺すって何度も言ってんだろ! 邪魔すんな」
「生け捕りにしないとなにもわかんないでしょ!」
焦るハナを無視し、ひたすら無抵抗のランを殴るネネ。
しかしランは演技をしていた。弱り、抵抗する意思を見せないという演技を。ネネとハナはランへ意識を向けているせいで周りが見えていない。まるで何も見ていない。少なくとも彼女たちの『上空』は全く気が付いていない。
ラン・ドンのあだ名はヘイルストーム。意味はあられ。それも大降りのあられだ。あだ名は意味もなくつけられることはなく、彼女の『ヘイルストーム』というあだ名にもきちんと理由がある。
ミスターおねむ。いつでも眠いのだ。




