第三十三話
数メートル飛ばされた女はそれほどダメージを受けている様子はなく、地面に叩きつけられたがすぐに立ち上がり衝撃の正体を見た。
「私を忘れてない?」
ハナが体当たりをしたのだ。すでに体の一部を機械化しており、増加した体重によって体当たりの威力はかなりのものとなっていた。
「ああ、あんたね。アウトオブ眼中だったわ」
それでも余裕の態度で女が不敵に笑う。
ハナはこの女を知っていた。『凍らせる能力』を使う人造人間だ。ナンバーは39。裏の世界で活躍する殺し屋だ。
イガラシクの持つ情報によると女の名前はラン・ドン。同業者からヘイルストームと呼ばれ、中国中央部を拠点としているはずだがなぜここにいるのか。できるならば生きて捕えて情報を聞き出したい。だがハナにとって今のネネは足手まといでしかならない。こちら側が殺されないように動くならばうっかりランを殺しかねない。下手を打てない状況だった。
「こっちは二人。大人しく投降したほうが身のためだと思うけど?」
通常、一対二は戦闘においてかなりのアドバンテージだ。もしランにろく考える頭がなければこの一言で決着がつく。
「バッカじゃないの? あんたは怪我人抱えてるだけでしょ」
ハナは心の中で舌打ちをした。ランの言う通り、ネネは邪魔な存在だ。これから二人で襲い掛かると脅したところで、ちょっとケンカが強いだけの短気女がいるだけではなんの役にも立たない。やはりランは小細工ありの話し合いで解決できる相手ではない。ハナは戦うことを選び、両手の拳をぶつけ、ガンガンと音を立てた。
「ネネはそこにいて。ここは私がやる」
「おい待てよ。あたしだってこいつを殺してぇんだ」
ハナの背後で座り、血が流れる太ももを押さえて止血するネネの声から余裕を感じられない。
「だったら再生能力取り戻してから出直してきて。死にたくなければ参加しないでよ」
念を押すとハナはランに向けて飛び掛かった。拳を振り上げてから、顔面を目掛けて振り下ろす。
「うはは」
歯を見せて笑うランにピンチという言葉はまるで当てはまらない。飛んでいる間は無防備だと知っているからだ。そして誰が見てもハナの暴力は簡単にかわされてしまう、そんな単調なものだった。
ランは手のひらから冷気を作り出し、ハナではなくあえて地面に放射した。ランとハナ、その周囲に雑だが氷のフィールドが出来上がる。
「滑るのって楽しいんだよ!」
言ってランはハナの足元をスライディングして通り抜ける。対するハナは攻撃と着地どちらも失敗し、氷に顔を派手にぶつける無様な姿をさらしてしまった。
「凍ってみる?」
ランが急いで態勢を立て直そうとするハナの小脇に手をやり、彼女の体温を下げていく。それはじわじわと言った生易しいものではなく、液体窒素の如く触れたものを瞬間的に凍り付かせる恐ろしい攻撃だった。
「くっ」
瞬時に危険を察知したハナは両肘を機械化、ブースターへ変形させ一気に射出しその場から脱出を試みる。
「逃がさないってば」
ランはブースターの発射口を手で塞ぎ、出力が全開となる前に凍らせてしまった。絶体絶命のハナ。体を動かしてその場からなんとかして逃げ出そうとするが、あっという間にハナの体温が奪われ、全体に氷の膜が張り始めた。
「やばい、これ」
引きつった表情でハナは背後にいるネネを見る。もうどうしようもない、そう言いたげなハナの顔もすぐにピクリとも動かなくなり、全身が凍った。
「おい、しっかりしろ!」
ネネが声をかけるも返事をしない。少し離れた位置にいるネネからはハナは死んでしまったのかわからない。一仕事終えたランに突き飛ばされて彼女の体は地面に転がる。
「こいつはまだ死んでないよ」
ネネの方へ振り返ったランはそう言ながら近づいてくる。
「内臓とかはまだ凍ってないけど、それでも長くは持たないね。今すぐお湯をかけたら助かるかもよ?」
「くそったれが」
「でもそんなこと私がさせるわけないじゃん? あんたたち二人ともここで粉々砕け散るんだからさ。あんたを殺した後、あの女も砕いてあげるから安心しなよ」
目と鼻の先までやってきたランに拳を突き出す。不意打ちと言っても過言ではない角度から繰り出される素早いパンチ。しかしランはそれも片手でいなし、空いている手の平に瞬時に氷の塊を作り出す。
「これとあんたの頭、どっちが固いかな?」
ランの作り出した氷塊はバレーボールほどの大きさを持ち、中身がぎっしりと詰まっている。彼女の言葉から今からネネの頭にぶつける気のようだ。こんなサイズが直撃すればどこに当たったとしてもしばらく後を引くケガをする。
「くっ」
ランの氷塊が頭を砕かんと迫ってくる。勢いをつけて側頭部を狙っている。ネネは腕を上げ、肘の辺りでガードする。砕け散る氷塊の硬度はかなりのもので、腕から肩、そして頭の芯に来る衝撃がネネを襲う。
「ううっ」
ネネは思わずうなり声を上げてしまう。ガードしてもなお、体が悲鳴を上げている。これ以上食らえばまともに片腕を動かせなくなる。足が傷ついているからといって動かないわけにはいかなくなってしまった。
まだ動く方の腕でランの服の袖を掴む。得意の頭突きをお見舞いするつもりだ。しかし足に違和感を覚え、なによりも下を見ることを優先した。
「お、察しがいいね」
ランはネネのケガした足の傷口に手をやっていた。何かを仕掛けてくるのは間違いない。そこから冷凍させられるのは危険だ。慌てて手を離し、大きく後退する。
「マジか」
後退する際、傷口から血が伸びていた。ネネとランの手をつなぐように、血が凍り彼女の手から再び氷が作られている。やはり足から凍らせるつもりのようだ。足から伸びた血の橋を折り、構える。
「あんたの血のつららを目ん玉に突き刺してやりたかったよ」
中途半端な武器を作ることを止め、ランは地面に手をつく。
「次はこれでどう?」
地面が凍り付き、そこから巨大な霜柱が出現した。尖っていないので突き刺さる心配こそないものの、ネネの足元を崩すのは十分だった。
「うおっ」
よろけた隙にランは瞬時に迫りくる。
「うははははっ、死ねや!」
氷でコーティングし、破壊力を上げた拳がついにネネの側頭部を叩いた。殴るという言葉よりも雑に、そして力任せなその一撃はネネが想像していた以上に威力があり、地面に何度も体を叩きつけながらすぐ近くの木の幹に背中から激突した。木が振動し、葉が落ちる。
「あんた思ったより軽いんだね。吹っ飛びすぎ」
そう言って歩み寄ってくるランは拳の氷を変形させ、さらに巨大化した。グローブというよりはもはやスレッジハンマーのようなものだ。まともに殴られれば脳を潰されることは避けられないだろう。
だがネネの体が言うことを聞かない。今まで受けたダメージが深刻となり、膝が笑ってしまっている。おまけに頭の傷口が開き、流れ出る血で視界が塞がれた。
「もうボロボロじゃん。安心して、次で死ぬから」
ランはすでに目の前だ。万事休す。ネネは己の死を決め込んでランのことを睨みつける。これ以外になにもできないからだ。
次の瞬間、ランが吹き飛んだ。真横から来たそれに吹っ飛ばされたのだ。
「だからさ! 私を忘れないでってば!」
ランを飛ばしたのはハナだった。彼女は全身を濡らし、蒸気を上げている。ネネはすぐにわかった。氷を解かすため、ハナが能力を使って熱を発生させ、自分のことを温めたのだと。
「まったく、暑いのは好きじゃないのに!」
そう言ってハナは額の水分を拭う。この短時間で汗をかくほどまでに体温を上げたようで、体力的にかなりつらそうに見えた。少なくとも寿命を削っているはずだ。
寒い季節になってましたね。熱燗が飲みたくなるね。




