第三十二話
「ったく、帰っちゃったのかと思ったわよ」
「悪い悪い。たまには外でボコることもあるんだよ」
ネネは高校に戻ると、今まさに帰ろうとしていたハナを昇降口で発見し、そのままグリニッジと戦った雑木林の前まで連れてきていた。
「で、話ってなによ? こんなとこまで連れ出すくらいだわ、そこまで人に聞かれたくない話なの?」
「おうよ、あたしの今後に関わる大事な話があるんだ」
ネネは明るく元気にそう言った。ハナがグリニッジを受け入れなければここで殺す。受け入れればイガラシクを信用する。どちらかはっきりするまではハナをこうして騙す形になるのは仕方ないことなのだ。
畑のある民家の角を曲がるとそこでグリニッジが待っている。
「おーい、グリなんとか! 連れてきたぜ!」
ネネとハナ、二人そろって角を曲がる。
「かっ、はっ、あ」
そこには胸から腹にかけて氷に覆われ、仰向けに倒れるグリニッジの姿があった。
彼は呼吸こそしてはいるものの、口から白い息が小刻みに吐き出されている。今の季節は五月だからまるで冬のような光景にネネとハナは違和感を覚えずにはいられなかった。
「あらぁー、もう戻ってきちゃったの? 思ってたより早いんだけど」
倒れたグリニッジを看病することなく横に立つのは、見たこともない女。かなり若いようだが顔つきだけで性格が悪いとすぐにわかる。目が笑っておらず、それでいて口元が歪んでいる。そんな人物がまともなわけがない。
白のTシャツに黄色のミニスカートというラフな格好、手首にはジャラジャラとブレスレットをつけている。髪は黒だがぼさぼさで手入れをしているようには見えない。パンク系と言えばそれまでだが、少なくとも小奇麗とは言えない恰好の女だった。
「……なにしてやがる」
笑顔を止めてネネは女に対して睨みつける。グリニッジの体はまともな状態ではなかった。体の正面のほとんどが凍り付き、下手に立ち上がらないほうが良さそうに見えた。
「ネ、ネ」
グリニッジが息も絶え絶えにこちらを見てネネの名前を呼ぶ。左腕が凍り、指が何本か欠けていた。残った右腕を彼女たちに向けて伸ばす。
「おい、大丈夫か!」
声をかけるもどうみても大丈夫とは遠く離れた状態であることは一目瞭然だ。それでもそう言わずにはいられなかった。
「俺は、もう駄目だ。逃げろ」
息も絶え絶えに警告を発する彼からはすでにそこから逃げる意思を感じられない。もう動けないと悟っているからだ。
「逃げろ? 何ってんのさ、逃がすわけないじゃん。全員まとめてこの場で粉々にしちゃうから」
そう言うと女は足を上げ、凍り付いたグリニッジの胸を踏みつけた。
ガラスの割れるような透き通った音が辺り一面に響き、ネネとハナは衝撃を受けた。
グリニッジの凍った胸が割れてはじけ飛び、女の足の形そのまま貫通していた。どうみても致命傷。死は免れられない大ケガだ。
グリニッジは何かを言おうとしたがすでに肺が潰れ、息ができなかった。ネネの方を見るがそれだけだ。
「なに? まだ生きてんの、お前。しぶといなー」
女は膝をつき、倒れたグリニッジの空いた胸に両手を突っ込む。少しだけまさぐるとそこからを何かを力任せに取り出した。
「ほら、これで死ぬでしょ」
立ち上がった女の手にはすでに止まった臓器が握られていた。それは誰もが持つ大切な臓器。心臓だ。凍り付いた心臓がグリニッジから離れれば持ち主はどうなるか簡単に想像がつく。
「グリニッジ!」
ネネが叫ぶ。だがグリニッジにその声は届かず、指先から粉状に変化し、風で流されるとすぐに存在そのものが消えてなくなった。
「私達を裏切るからこうなるのよ! バカな奴!」
サラサラと粉になった心臓を乱雑に捨てると女はそう言った。
「さぁて、ネネだっけ? あんたも殺さないと私の仕事が終わらないのよね。隣にいるクソダサヘアーの女にも見られちゃったし大人しく一緒に死んでくれない?」
「…………せぇよ」
ネネがぼそりとつぶやく。隣にいたハナすら聞き取れない小さな声だ。
「ええ? 聞こえないんだけど。オタクじゃないならはっきりしゃべってくれない?」
「うるせぇって言ったんだ、くそったれの尻穴野郎!」
グリニッジの死はネネを怒らせるのに十分すぎるほどの出来事であった。彼女は青筋を浮かび上がらせ、拳が音を立てるほど強く握りしめ、殺意を持って女に走り寄っていった。
「なに? 私とやるつもりってわけ? 手っ取り早くて助かるわ」
女は両手を開き、構えを取る。するとみるみるうちに手の平から氷柱が発生していく。空気中の水分を集め、それらを急速冷凍しているのだ。
ある程度育ったつららをイノシシのように突撃するネネに向けて放つ。人間離れした芸当がネネの体のあちこちに直撃し、彼女はその場で立ち止まってしまった。太ももに刺さったつららのせいで動けなくなったのだ。
「その程度? 記録にある破壊者ネネはこんなしょうもない田舎で私に殺されて終わりってわけ?」
「くそっ」
精一杯の悪態をつくネネ。太ももに突き刺さったつららは見た目より深いところまで抉っている。下手に進もうとすると本当に歩けなくなってしまう。
「それじゃあ終わりにしよっか」
言いながら女がネネのもとへ歩み寄る。女の右手が凍りつき、周囲の空気が冷やされていく。
「テメェが殺したあいつはなァ! 未来があったんだぞ!」
「だから何さ。もう死んだんだから未来なんてないでしょ」
「テメェは殺す。あたしが殺してやる!」
じわじわと近づいてくる女。ネネはケガをした足を引きずりながらゆっくりと後退するが速度に差がありすぎてすぐに追いつかれてしまう。すでに女はネネの目の前だ。
「ネネは無残にも顔面を砕かれて殺されてしまいましたとさ!」
自由に動けないネネの顔に手をかけようしたとき、女の体に何かが衝突した。あまりにも重い衝撃に、女は空中にいる間、車に撥ねられたような表情をしていた。
もしグリニッジが死ななければ、彼はきっと誰かのために生き、そして幸せになっていた。だがもう叶わない。




