第三十話
男は人造人間だ。それも作り出された当時は最先端の技術である複製の複製として産まれた存在。人造人間そのものを造る技術はとっくに失われており、裏の世界では独自の技術を編み出すしかなかった。
彼はノーマルな人間から人造人間を造り出せずにいた技術力の無いどこかの組織が、やっとの思いで造り出した粗悪品だ。人間から作れないなら人造人間から複製したらどうだろうか、そんな考えだった。結果は成功。しかしただの人間とそう変わらない身体能力とあまりに使えない特殊能力でろくな扱いを受けなかった。
男の能力は『植物を成長させる能力』。苗木から数日で花を咲かせる程度のものだ。こんな能力が裏の世界でどう生かせるというのか。
男の後に作られた人造人間は『残留思念を読み取る能力』だったので世間で大いに役に立つとして探偵事務所を構えうまくやっていたようだ。
ネネを襲ったこの男は組織からいつ死んでも問題ない使い捨ての暗殺者として育てられ、いくつかの失敗と成功を積み重ねた。先日、模造品が死んだ報告を受けたので彼らが残した情報を漁り、なんとかネネを見つけ出した。しかし組織に発見の報告をすることだけが仕事だった。戦う必要はない。
が、こうして戦闘になっている。何度も石のような拳で殴られて勝てる相手ではないと理解していた。それでもなお、ネネに見つかり、殺されかけていて男はここから逃げるつもりがない。それはなぜか。
―――――彼の心は疲れ切っているからだ。
文字通り使い捨てとしての人生を送り、組織から逃げることも許されない。ネネに見つかることなく組織のもとへ戻り、情報を届けたところで一生このような生活が続く。華やかな出来事もなく、夢もなく、希望もない。面識はなくとも弟だと内心思っていた人造人間も殺された。
なら弟を殺した相手を殺す。仮に殺されたとしても誰も悲しまない。残る物もない。安心して男はネネと対峙したのだ。復讐が達成できなくとも死ねれば本望。弱いのは自分が一番知っている。ネネが挑発に弱いことは簡単に見抜けた。攻撃すれば必ず殺してくれると信じて、男はもう一度だけその手に握られたナイフを振り上げた。
ネネは男のナイフを避けようとはしなかった。かなり速度を落とし、絶対に当たらないように手加減を加えた攻撃なら、ネネに当たる前に反撃されるだろうと考えていた。しかしあろうことかネネはナイフに向かって手を伸ばした。
「何をッ」
その手は男の手を弾くわけでもなく、そのまま刃を掴んだ。ネネの手が切れ、血が地面に落ちる。そんな彼女の目はきつく男を睨んでおり、うっかり避け損ねたのではないようだ。ネネはわざと刃を握りしめたのだ。
「テメェ、なんのつもりだよ」
「離せ、殺してやる」
「うるせぇ! やる気ねぇ奴ぶちのめしても胸糞わりいんだよ」
ネネには男がまともにやる気がないことを見極めていた。殺し合いのはずのこの現場で、そんな状態の人間がいたら別の意図を疑うのはごく自然なことだ。
「何が目的だ。なんであたしに近づいた」
手首を捻り上げ、ネネは男からナイフを奪い取ってその場に捨てる。男は力なくその場に跪き、がっくりとうなだれる。
「俺は、死にたい」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ。質問されたことに答えやがれ」
「もう人を殺したり命がけで誰かのために動くのは嫌なんだ。奴らから逃げられないとわかっているから、なおさら疲れてしまって、ああ、いや、なんでもない、気にしないでくれ、ただちょっと休みたい」
「クソ、こんな時どうすりゃいいんだ」
ネネは頭をかきながら呟く。男はどうみても戦意を喪失している。精神的にかなり参っている様子だ。おそらく今の発言も意識しないうちに本音が漏れているのだろう。かなり不安定だ。このまま殺すのはとても簡単だが、情報を引き出そうとするなら苦労するかもしれない。
「わかった、こうしよう」
ネネは腹をくくり、大きな賭けに出ることにした。男の前でしゃがみこむ。さりげなくナイフを後方に放り投げ簡単に取れないようにする。
「あたしのバックにはな、って聞けよおい」
下を向いたまま、こちらを見ようとしない男の頭を両手で掴んでこちらへ視線を向けさせ、無理やり目を合わせる。
「てめぇみてぇな人造人間の面倒を見てくれる組織があんだがよ、よかったらこっち側へ来ねぇか?」
「また組織か」
「悪い話じゃねぇと思うぜ。疲れてンならそこでしばらく休めばいい。てめぇの持ってる情報を教えてくれればそれだけで身の安全は保障してやる。あたしが責任を持ってやんぜ」
ネネの言う組織とはイガラシクのことだ。ネネ自身もまだ訪れたことのない組織だが、ハナがネネの面倒を見ると言った。彼女を信用するにはまだなにかが足りなかったが、これではっきりする。
イガラシクとかいう組織がネネの頼みを聞いて男を保護するならば、そのときはネネもハナの言うことをすべて信用することにしよう。イガラシクにとってもネネを追う存在についてできるだけ情報が欲しいに違いない。もし断るならば、その時はハナを殺し、この街から消えるだろう。白銀家にこれ以上迷惑をかけられない。
「俺はただ、落ち着いて生きていたいだけ。そんな生活を知らないから」
「ああ任せとけ。そこへ行けばひっそりと生きられる、なんなら人を助けることもできるはずだぜ」
人助けができる確証はないがボランティア団体を名乗っているならなにかしら仕事はあるはずだ。
男はネネと目を合わせる。ネネの言葉が彼の心の闇に光をもたらした。
「人助け、それもいいな。わかったよ。なんでも話すからそこへ連れて行ってくれ」
「よし交渉成立だな。立つんだ、こんなところに長居する意味はねぇ」
ネネは男の手を掴み立ち上がらせる。ネネより男の方が背は低かったので簡単に立たせることが出来た。
「長い付き合いになりそうだ。あんた名前は?」
「俺はグリニッジ。コードネームだが本名が無いからそう呼んでくれ」
「本名なんて後からいくらでも名乗れる。誰かにつけてもらえ」
「じゃあネネ、あんたにつけてもらいたいな」
期待に胸を膨らませるグリニッジへネネは口角を上げて見せる。
「そいつは落ち着いたころに考える。とにかく今はイガラシクと合流するのが先だ。ちょっと応援を呼んでくるからここで待ってろ」
応援とはハナのことだ。ネネはハナ以外にイガラシクの人間を知らない。今の時間ならもしかしたら校内に残っているかもしれない。そう考え、ネネはグリニッジをその場に残してすぐ近くの高校へ走って戻った。
この年になると風邪が全然治らない。




