第百四十二話
短編。季節は冬。同じ世界の別の場所で起きたとある出来事。
アメリカ、ニュージャージー州。時刻はすでに深夜二時を越えており、その静けさは孤独を感じさせるには十分すぎるほどだ。
そんな時間に営業する店がある。ダイナーと呼ばれるプレハブのレストランだ。その土地のとあるダイナーは二十四時間営業で、人の入りこそ少ないが常に誰かしら客がいる程度には地元では必要とされている店となっている。
「でよォ、そいつが俺のこと殴りかかってきやがってよ、俺はどうしたと思う?」
「知らねぇよ。やり返したのか?」
「その通りさ。ボコボコにしてやったよ」
ダイナーのテーブル席で他愛のない会話をしている男が二人。元気に武勇伝を語る男の名はスコット。そしてその話を聞き流してコーヒーをすする男はバックリー。二人は倉庫仕事を終えるとこのダイナーに夕飯を食べにやってくる。
「へぇ。スコット、お前がか? デブでのろまなスコット君が? そりゃあ笑えるね」
「なんだと。マジだかんな」
「はいはい」
バックリーはスコットの顔にできた大きな青あざを見て適当な返事を返した。彼は毎度のことだが話を盛る癖がある。どうせ今回のケンカ話も実際のところは惨めに負けただけなのだろう。だがそこを深く突っ込まないのが長年友人としてやってきたうえで大事なことだ。
カランカランと入り口のベルが鳴る。
「おい誰か来たみたいだぞ」
興味津々に身を乗り出して誰が来たか確認しようとするスコット。入り口に背を向けていたバックリーは誰が来たかなんてどうでもよかった。どうせ常連客の誰かだ。
「この時間ならネイサンじゃないか? いつもここに逃げてくるからな」
二人の顔見知りであるネイサンは真夜中に嫁とケンカすることが多々ある。その度に家を飛び出しては朝までダイナーで時間を潰すのだ。
「いいや違うみたいだ。女だぞ」
「はぁ?」
スコットの言葉に半信半疑ながらもコーヒーを飲みながら振り返ってその姿を見る。
今の季節らしい厚着は適当な着こなしだが、黒髪のボブには気合いが入っていて、手入れがされているように見える。横顔からでも美人だと一目見て分かった。
「ほう」
「なかなかイケてるよな」
こんな時間に客が来ること事態珍しいのに、さらに女が一人で来るなんてなおさらだ。
「お前話しかけてみろよ」
スコットがけしかけてくる。が、それもまんざらではない。野郎が二人いつも一緒だとどうにも女に餓えてくるものだ。二人とも結婚どころか彼女がいたためしがない。このまま独身で人生を終えるつもりはないし、ここはあえてスコットの言葉に乗ってみるのも悪くないだろう。
「やれやれ。お俺がアタックしてみよう」
「マジでか」
まさか本当に腰を上げるとは思っていなかったスコットは目を丸くして、立ち上がるバックリーの姿を見た。
「お、俺のことも紹介してくれよな」
女に近づきつつ振り返り、背後の乞食に向かって中指を立てる。
「自分でやれ」
女はダイナーのカウンター席に座るといつもの不愛想な店員にコーヒーを注文していた。
「やあ、見ない顔だね」
笑顔で女の隣の席に座る。かなり攻めたつもりだが女は全く動じていなかった。
「そうね、たまたま寄っただけだからね」
女の英語のアクセントには癖がある。アメリカ人の発音ではない。これは外国人の発音だ。バックリーはそこを突っ込むことにした。
「どこから来たんだい? アメリカ人じゃないよね」
「私ロシア人なの。仕事で来ててね」
「ロシア人か。それは思いつかなかったな」
これからどう話を発展させていくべきか考えていると店員の女が不愛想にコーヒーを運んできた。客の女はコーヒーを飲み、ふぅとため息をつく。
「あなたたちはどんな仕事をしているの?」
女から質問が来た。もしかして脈ありなのではないかと勘違いしてしまいそうだったが、まだこれは世間話だ。
「あなたたち?」
「あなたの隣にいる彼は友達じゃないの?」
女の視線はバックリーの後ろを見ている。釣られて背後を見てみると、バックリーの隣の席にスコットが座り、こちらに笑顔を振りまいていた。
「やあ!」
「あー、こいつはただの仕事仲間だよ」
「仕事仲間って、確かにそうだけどよ。まぁいいや。俺はスコット。あんたの名前は?」
「私? 私はリリア。リリア・ナフカよ」
「俺の名前はバックリーだ」
それぞれが自己紹介をしたところで各自が仕事の話を始めた。
続きます。




