第百三十八話
「そんなに驚かないでくれるといいんだけど。やっぱり大学休めば良かったかなー」
「あ、当たり前だろ! そんなケガしてたら普通休むって!」
「でも先輩が大学はちゃんと行けって言ったし」
「アホか! それとこれは別だから! とにかく具合がよくなるまで休んだほうがいい」
「サークル関係ないのに先輩って本当に優しいんですね」
「知り合いがそうなってたら誰だって心配するから!」
「うはは……」
乾いた笑いをするとランは光明の横を通り過ぎて去ろうとする。彼の友人たちが何事かとこちらを見て何やら話しているのが見えた。
「悪い! 俺こいつ送っていくわ。また明日!」
距離があるなかで声を張って友人たちに謝ると、光明はランの隣を歩き始めた。
「なんですか、先輩」
「ちゃんと帰るかどうか確かめるんだよ」
「優しいというか、お節介さんなんですね。鬱陶しいくらいに」
彼女は片足を引きずっていた。ここは一階なので階段を利用することはないが、外に出るなら苦難は多数待ち受けていることだろう。
「そんな言い方しなくてもいいだろ。これは親切だって」
「生憎だけど外の駐車場に送り迎えを頼んであるんだよ」
「じゃあそこまで送るから」
「はぁ」
ため息一つだけついて、ランはそれ以上拒否しなかった。ここから駐車場までそう遠くない。それまでの間に光明は彼女に一体なにがあったのか聞き出すことができた。
サークルのバーベキューが終わり、その足でランは危篤状態の知り合いの元へ行き、別れを済ませた。しかしその直後にトラブルに見舞われたあげく交通事故に遭い、ここまでの大けがを負ってしまったのだという。
それはランからすればどこまでもツイていない出来事に他ならない。そんな彼女のことが光明は不憫で、どうしようもなく助けてやりたくなった。これまでよりもその気持ちは高まり、それが恋だと自覚するまでそうかからないだろう。
「あの……そのケガなんだけど、本当に交通事故なんだよね?」
光明は思わず疑問を口にした。車にはねられた程度ならばもはや全身のケガは避けられず、数日で学校へ戻ってくることなど厳しいものだからだ。むち打ちだけで済んだとしてもここまでのケガはどうにも妙であった。彼女の負傷具合は交通事故というよりは誰かと激しく殴り合ったほうがしっくりくるのだ。
「そうだよ。あんまりしつこく聞くと私帰るかも」
「いや、今帰ってる最中じゃん。早く帰れよ」
「細かいことばかり気にする男は嫌いだよ」
「わかったよ。この話はもう終わり」
二人は講義棟を出て、目の前にある駐車場へ辿り着く。ランの足は一台の車へまっすぐと向かっていた。運転席に座るのは強面の男だ。タバコの煙を窓の外へと吐き出していた。もしあの男が彼女の父親だとしたらかなり気まずい。彼氏彼女の関係でなくとも話しかけられると面倒なことになりそうだった。
「あの車だから、もう送迎はいらないよ」
そう言ってランは車の後部座席へ乗り込んだ。ドアを閉める前に光明は困ったら何でも相談するんだぞ、と言って早急にその場から離れた。一度だけ運転手の男と目が合ったが何事もなく済んで光明は胸をなでおろした。
「くそっ、あれは……あのケガは絶対交通事故なんかじゃない。誰かにやられたものじゃないか! 俺にできることはないか、今の俺ができることは……」
時間の許す限り、光明はひたすらに考えた。隠し事をしている彼女を救う方法を。数えるほどにしか会話をしていなくてもすでに光明は自身が彼女に恋をしていることを自覚してしまっていた。もうすべてが手遅れだった。ランの家庭環境を鑑みるとこのままでは近いうちに再び何かに巻き込まれる、そんなストーカーじみた予感が光明の頭から離れない。こんな考えが良いことなのか、それとも考えすぎなのかもはや区別できない。ただ目の前にいたあの女の子が少しでもましな状態になれるなら、光明はなんでもするつもりでいた。
「……よし」
彼は思い切って相談することにした。彼を管理、監視、管轄する組織、イガラシクに。そろそろ定期面談の頃合いでもある。彼らならきっと力になってくれるだろう。
光明はスマホを取り出し、友人を装ったイガラシクの連絡先へと電話をかけた。
『もしもし』
たった一コールで電話に出たのは六条ハナ。光明の担当する女である。いつも以上に眠そうな声だ。
「あ、久しぶり。そろそろあれだろ。話し合いの時期じゃないか?」
『あー、確かにそうね。何よ、あんたにしてはずいぶんとやる気あるじゃないの』
「実は……」
光明は電話では話せない相談事があると伝えた。
そして百二十話に戻る。




