第百三十七話
「どうした? 具合でも悪いのか?」
ぼーっとしているだけのランに光明は話しかけた。声を掛けられ始めて彼女は光明が近くにいることに気が付いたようでこちらを見た。
「ん、元気かな。うん。元気」
声色からしてまったく元気がない。嘘をつくなら演技でもすれば光明を騙すことだってできただろうに、これでは構ってほしいアピールである。
「全然調子良さそうじゃないな」
ただ立っているだけのランの横に座り、遠くで仲良くしている女子グループを見る。今更ながら彼女とあのグループは相容れないように思えた。こうやって新人が一人でいるというのに話しかけもしないのだから、ランを無理に輪の中に放り込んでも逆効果だ。これからどうするべきか、光明が考えているとふいにランが口を開いた。
「私の知り合いがちょっと危ないんだよね」
いきなり重い話題が飛び出した。危ないということは、危篤だということだろうか。知り合いが死にそうなら光明だって気分が上がるわけがない。
「それは……なんともつらいな。今日はもういいからその知り合いのところに行ってあげるべきだと思うな」
光明の古い知り合いは大昔に死に絶え、新しい友人たちは来年には付き合いを完全に断ち切って他人となる。こうすることで彼は心の平穏を保ってきた。人一倍長生きをする人造人間にただの人間の寿命をどうこうすることはできない。それしか方法がないのだ。
もしも最期を迎えようとしている知り合いがいるならばお互い後悔しない程度にお別れを済ますべきだ。気が付いたら実はあの人は死んでいたなんてことになると心が穏やかではなくなる。後悔で心をやられてしまう。だから光明はこの集まりから切り上げるべきだと提案した。
「そうかな……。その人ね、ずっと精神的に不安定だったからちょっと可哀そうだったんだよね」
段々と話が重くなってきた。ここからは光明が関わっても時間の無駄になりそうだ。
「決めた。私その人のところへ行ってくる。もう終わりなら私が終わらせてくる。あ、いや、私も挨拶してくるって意味ね。特に深い意味はないかなー」
「そんなに慌てなくても……。日本語って難しいよな。俺からみんなに伝えておくからさ、せっかく来たんだし何切れか肉つついてから行きなよ」
「ふっ、先輩って本当に優しいね。じゃあせっかくだからそうさせてもらおうかなー」
光明は手近にあった未使用の紙皿を取ると、肉を何枚か拝借するべくバーベキューグリルへ向かう。
「あ、光明。ちょっと写真撮ろうぜ! お前自撮り上手いからよ!」
友人に声を掛けられたものの、少し待つように伝えてランのもとへ戻る。彼女は変わらずそこにいた。
「お待たせ。ほら俺が仕入れた牛タンだ。うまいから絶対食えよな」
「ありがと。タレがないけどいいのかな」
「塩で味つけてるから問題なし。ところで友達に呼ばれちまってさ、行かないといけないんだ」
「人気者は大変だね」
「そういうわけだから、またな!」
やかましい友人たちを待たせると面倒くさいことになりそうだ。新入部員の浦田と光明が長い時間一緒にいるだけで妙な噂話を作り上げられてしまうだろう。彼らはそういうタイプの人間たちだ。
「あ、そうだ」
一度は背を向けた光明だったがふと思い出してランのことを見る。彼女は何の用かわからず少し不安そうな様子で首をかしげた。
「もしここが気に入らなくても大学はちゃんと行くんだぞ」
「何様だし」
「人生の大先輩様だし」
曇っていたランの顔が晴れてクスリと笑った。その姿を見て光明は安心し、友人たちの元へと向かう。
「よっしゃ、みんな笑えよ!」
スマホのカメラは昔からずっと高性能で使い勝手が良い。サークルのメンバーと自撮り写真を撮ったあと、出来を見るべくフォルダーの中の写真を確認する。
「あ」
いくつかある写真のひとつにランが写っていた。とはいえ、集合写真に写ったのではなく、たまたま角度的に遠くにいた彼女が映り込んでしまっただけに過ぎない。例えそうだとしても光明にとっては貴重な新入部員との写真であるのだ。
振り返ってランの姿を探す。すでに彼女は誰に気が付かれることもなくその場から立ち去りつつあった。河原に面した歩道におり、光明を見ていた。彼女は光明が自分を見ているのだとわかると、実に彼女らしいぎこちない笑顔で手を振ってからそのまま建物の影へ消えた。
それから数日が経過して、光明の前にランは再び現れた。大学の構内で光明が友人と話ながら歩いていると見覚えのある女とすれ違い、慌てて光明は彼女のことを追いかけた。
「おい、浦田さんじゃんか! 久し、ぶり……」
ランの姿形を見て、光明は絶句した。彼女の左腕には包帯が巻かれ、肘辺りに何かしらの問題が起きたように見えた。それだけではない。目元には殴られたような青あざがはっきりとあり、実に痛々しい。
「あ、先輩」
話すのも大変そうだ。白いマスクの下でどれだけのケガを負っているのか。
たったの数日でここまで痛ましい姿になり、光明は言葉が出ない。せいぜい『あ……』、とか『うわ……』といった相手の心を優しく傷つけていくうめき声が漏れてしまう程度だ。
伏線が二つもあってこのエピソードはお気に入り。




