第百三十二話
ネネの暴走は止まらない!
頭上を掠めたつららに冷や汗をかくのもつかの間、ネネはランのもとへ走りこんでいた。
「これはどうかな!」
ランが手を動かして彼女の目の前に分厚い氷の壁を作り出す。厚さ三十センチはあるまさに壁だ。ネネの身長ほどの高さを誇るそれは簡単に破れはしない。
「だからどうしたってンだ!」
ネネは拳を突きだし、氷の壁に挑んだ。きっと普通の人造人間相手なら彼女の壁は有効的だったのだろう。あれなら銃弾だって防げる。だが人造人間ナンバー9、ネネの怪力は恐ろしく、氷の壁を簡単に破壊し、超えてきた。
「この程度であたしを止められると思ってたのかよ……!」
ランが顎を掴まれた。口を開くことすらさせてもらえず、ネネの手の中でもごもご動いている。その目は衝撃と混乱に染まりパニックを起こす寸前のようだ。
「このまま顎を砕いてやるぜ」
ネネの手に力が入る。涙目のランは意外にも暴れることはなく、そっとネネの腹に手をやる。
「……何っ!」
ランが能力を発動し、ネネの腹を凍結させた。瞬間的にへそを中心に凍り付いた彼女の腹が、ふとしたとたんにひび割れ、中から大量の血が噴き出した。それどころか自身の腹圧によって内臓の一部までどろりと流れてくる。
「うっ!」
そんなおぞましい光景を見て光明はその場で吐き気を催し、我慢できずにぶちまけた。
「先輩、吐いてる場合じゃないよ!」
飛び出た内臓に驚いたネネがランを掴む手を放す。そのすきに彼女は光明の元へ駆けつけ、引き起こした。生きるか死ぬかの瀬戸際で嘔吐している時間は少しもないのだ。
「ごめん、でも……」
「だったら勝手に死ねば! 次来るよ!」
光明が弱音も吐きつつ顔を上げると、ランはすでに構えていた。視線の先にいるのはすでに傷口が治りつつあるネネ。
「あたしのモツは今日も健康そのものだったぜ。じゃあテメェらのはどんな調子だ、ええ?」
言葉の意味するところを理解し、光明は震えた。ネネは冗談で言っているのではなく、本当にランと光明の内臓をぶちまける気でいる。彼女にはそれができるだけの力があって、それをやってのけるだけの狂気を孕んでいる。
「最近喧嘩とはご無沙汰だったからよ、全力でいかせてもらうぜ!」
ネネが変わった。さらなる殺意と暴力の気迫をまとい、およそ話し合いで解決できるようなそんな生易しい存在を辞めて、力の限り相手を殴り仕留めんとする邪悪の化身がそこにいた。
「耐えるんだよ!」
そんなランの言葉が聞こえたときにはネネはすでに二人の前まで駆けてきて拳を大きく振りかぶっていた。
「くっそ……!」
光明が悪態をついて、光の速度で反応してみせる。ネネの拳は恐ろしく速く、殺人的であったがまだ対応できる程度のものだ。間一髪で大振りのパンチをかわすも、その拳が床を砕くことまでは想定しておらず、何かをする間もなく三人とも下の階へ落ちていく。
「ぐっ」
背中を再び打ち付けた光明がうめき、次に体の無事を確かめた。幸いにも致命傷と呼べるケガはしておらず、まだ動けそうだった。これが命を懸けた戦いではなければそのまま倒れ伏してふて寝していたいくらいの痛みではあったが。
「ぬうぁあッ!」
ネネが絶叫しながら起き上がり、背中を覆う瓦礫を乱雑にどかす。
「そこか!」
倒れたままの光明を発見すると、ネネは踏み付けるべく足を上げた。先ほどと違い、相手を殺すことしか考えていない頭の中に、ためらいも躊躇もさらに感じられない。
「お前おかしいぞ!」
「テメェは餌だ、そこでくたばりな!」
ネネが吊り上げたい獲物は光明ではなくどこかにいるラン。瓦礫が作り上げた煙のせいで彼女の姿が見えなくなっていた。光明を攻撃すればおそらく隠れようとしているかもしれないランが出てくる、ネネはそう考えたらしい。ついでに光明の無力化も狙っているのだろうが、ネネの蹴りを食らえば建物ごと消し飛んでしまう。
「させないからな!」
煙の向こうからランの声がして、光明の体が自分の意思とは関係なく真横にスライドする。半身だけが異様に熱かった。否、冷気を含んだ風を浴びたせいで凍傷になりかけているのだ。
間一髪でネネの踏み付けをかわしたはいいものの、ネネのせいで再び床は崩壊し、一同は下の階へまたしても落ちていく。
一体どこまで建物を破壊すればネネは冷静になってくれるのだろうか。落下中の光明の首を掴んだのはやはりネネであり、彼女しかいない。
「ぐっ」
床に後頭部を叩きつけられて目の前がチカチカする。それどころか吐き気まで催してくる。つい先ほど吐いたばかりではあるが、これは本当に吐き気であっているのだろうか。脳に異常が発生したとしてもおかしくはない。
光明の耳元でネネがささやく。
「よく知らない間柄だからよ、あたしはテメェを殺さねぇ。だがテメェの知るランって女はあたしも知ってる。死ななきゃならねぇクソ女だ。これ以上あたしに立ち向かうな、光明」
「そんな、こと……させるか!」
「これは悪い夢だと思ってあきらめろ」
光明の鼻先へパンチが炸裂した。それは非常に強烈で、異常なほどに過激でもあり、無常な暴力で、人造人間の世界は一般常識が常でないという証明でもあった。
光明の意思は吹き飛び、彼の体はその場に放置された。
相変わらずお酒飲んでます。去年に比べて飲む量は減りました。




