第百三十話
崩れ落ちた大男を踏み越え、残る相手を探す。部屋に入ったときに見えた敵はあと二人のはずだ。どこかほかに隠れていなければそれで終わりだ。
『そこまでだ! 死ね!』
『そこまでだ! 死ね!』
二人の男が物陰から飛び出してきた。彼らはとても小柄で、とても素早い動きで現れた。同じセリフを発したせいでなんだか立体感のあるサウンドを体験した。彼らは顔が非常に似ているのできっと双子なのだろう。
ハナの思った通り、彼らの動きは洗練されたものでソファの上を飛んだと思いきや、どこからかワイヤーを取り出して二人の間を張った。このままハナの間を通り抜ければおそらく細切れにされてしまうだろう。
だがハナは人間ではない。激突すれば人体を砕くほどの硬い素材で全身を覆われた彼女に、ただのワイヤー程度で止められるはずもなく、双子はハナの体にワイヤーをひっかけて無様に床に落ちた。
『その程度? ちょっとはやると思ったのに』
ハナはワイヤーをたやすく千切ると二人の前に立ちはだかり、そう言った。
『どちらか片方だけ残してあげる。相談して選んで』
ハナは拳を鳴らし威嚇する。およそまともではない女を前にして、双子は無意識に敗北を認めてそれぞれの顔を見る。
『なんでも話す!』
『なんでもする!』
双子の意見が割れた。ハナにとって重要なのは鮮度のある情報であり、決して味方になってほしくなかった。だから彼女は無言で『なんでもする』方を殴り意識を吹っ飛ばした。殴られたほうは壁際の本棚へぶつかって動かない。
『ひいぃ』
『何漏らしてんのよ、情けない』
まだ起きている方の股座が濡れている。相方は死んではいないだろうがきっとしばらく目を覚ますことはないだろう。
『質問よ。それに答えれば解放する』
男は首を縦に振って応答する。腰が抜けて立てない様子だった。
『お前たちのボスはどこにいる?』
ボスと言われて男は顔をひきつらせた。
『ここにいるのは知っているのよ。どこに隠れたのかしら』
『い、いいい、いない! ボスはここにはいない!』
「なに?」
ハナはうっかり日本語で答える。質問の返事がここにはいないとなると、目的の人物はここ以外のどこかにいることになる。それは良くない。どこにいようと見つけ出すのに手間がかかる。
光明が連絡を取らない限り相手の場所は特定できない。かくなるうえは彼のスマホを奪うしか方法がなくなってしまう。
『じゃあどこに行ったの。嘘はつかないことね。私は人を殺せるの』
ハナが拳を鳴らすと男の肩がびくっと反応する。片方がいなくなったとたんヘタレの極みだ。この襲撃に関して迎え撃ってきた皆がそうだ。ハナは特に何も攻撃はしていない。こんな者たちばかりの組織なんてたかが知れている。
『早く答えて。お互い手間はかけたくないでしょ』
焦りを募らせたハナが床を踏み砕く。轟音で近隣に響いたかもしれない。
『ボスはついさっきここから出て行った! 大学に行くとか言ってた!』
大学、と聞いてハナの顔が引きつる。考えられる限り最低の状況が起こってしまった。最悪だ。これが最も悪くないのだとしたら、その次に最悪なのはネネの暴走くらいだろう。『あの時代のネネ』くらいにやっかいなことはそうない。だからハナは階段を使う手間を惜しんで窓から飛び出し、車に乗り込んだ。
「お願い、間に合って!」
エンジンを始動し、ハナは全速力で深夜の道路を爆走し始めた。
ハナの追っている女とは、このビルに潜んでいた中華系マフィア『黒虎』の幹部であり組織の殺し屋『ラン・ドン』である。
大学構内。
「かっ、はっ、あっ」
胸を巨大なつららに貫かれたネネはどうすることもできずに立ちすくんでいた。どう動いたとしても死に向かうだけで、おそらく彼女の頭の中はパニックで真っ白になっているだろう。
「あんたは……」
ゆっくりとネネから距離をとってから立ち上がり、光明は助けてくれたであろう人物へと近づいていく。
「まさか」
暗がりで顔がよく見えない。しかし最初に見た時から誰だかわかっていた。ただわかりたくなかっただけだ。
「まさか……!」
こんな偶然あってたまるか、そう言いたくなるものの我慢する。いよいよ顔がはっきりと見える距離までやってきたとき、彼の心は悲しみに包まれた。
「なに殺されそうになってるのさ、先輩」
光明が好きになってしまった女、『浦田多摩美』。
彼女の黒い髪はぼさぼさで手入れをしているとは思えなかった。ベージュの上着の下には黒のキャミソールがはっきりと見えて、まるで慌てて家から出てきたかのようだ。
そんな女子大学生の手のひらが霜焼けを起こして真っ赤になっていた。今の時期は夏直前だ。霜焼けになるなんておおよそ考えにくい出来事だ。だがそれはすぐに治り元通りとなる。
「う、浦田さん?」
光明は今までの緊張と、これから知ることへの緊張によって震える声で尋ねる。
「それは……なんなんだ?」
「それ? ああ、これね」
彼女は自身の手について隠すことなく話し始めた。
「これが私の能力。『氷を操る能力』ね。てかなにその顔」
この女は光明がこの二十年間隠し続けたストレスの原因をいともたやすく、当たり前のように口にした。人造人間が自分のことを簡単に話すときなんて今までなかった。どうしても後腐れが残る秘密を誰が話すだろうか。光明の顔が引きつるのは全く自然である。
「あんたも人造人間だってのかよ」
出たぞランドン!久しぶり!




