第百二十六話
光明はネネが何を言っているのかわからず、言葉がでなかった。表情だけは困惑しており、内心怒りすら覚え始めていた。
「てめぇが好いてるあの女はな、イガラシクの敵だ。あたしも大っ嫌いな奴なんだよ」
「ちょっと待てよ、いきなり何言ってんだ。それじゃ理由にならない。もっと具体的になぜかを教えてくれよ」
「わからねぇか、これがてめぇを傷つけない精いっぱいの言い方だってのによ」
光明の握りこぶしに力が入る。怒りと悲しみの感情がこもり、ネネになんと言うべきか考えて黙る。
「だったらはっきり教えてやるぜ。あの女は人殺しだ」
光明の中で何かが吹っ切れそうになる。ほんの半日前に出会ったばかりの女に、後輩の何を知っているのか。言いたい放題言われて黙っていられるほど光明は腰抜けではない。
「人違いだとは思わないか。たまたま偶然俺が好きになった女の子が、人殺しだとは考えにくいんだ。あんたらには悪いが俺はあんたらのことが信じられない」
「そうか? たまたま偶然に今年入学してきた殺人女は、人造人間のお前を狙っているのかもしれねぇぜ」
「お前にあの子の何を知ってるんだ、いい加減にしないと俺だって何するかわからないぞ」
決して引かないネネの態度に、光明は今度こそ怒りを露わにする。
「おっ! 怒るのか」
ネネは座っていた窓枠から降り、拳を鳴らす。彼女には脅しが全く通用していない。それどころか戦闘意欲を煽ってしまったようだ。
「いいねぇ。一度テメェとやりあってみたかったんだ。きっと言うことを聞かねぇ野郎だってハナの奴が言ってたぜ」
ネネは目の前のテーブルを蹴り上げて壁際へと追いやる。光明には軽く蹴っただけのように見えたが、壁に激突したテーブルは粉砕されて床に落ちている。ものすごい怪力だ。
「色ボケクソ野郎、お互い面倒なのは嫌なタイプみたいだしよ、この際殴り合いで決着つけようぜ。人造人間らしく能力使ってよ」
「くそっ」
最悪の状況になってしまった。これ以上ない最低の出来事が現在進行形で発生している。伝説と呼ばれた初期型人造人間『ネネ』とこうして相まみえることになるとは誰が予想するだろうか。
「やるしかないのか……!」
光明も戦闘態勢を取り、ネネを睨みつける。
「勝ったほうの言うことを聞くルールだ。文句ねぇな?」
「……わかりやすくて結構」
「さあがっぷり四つといこうぜッ!」
こうして光明は、最初からこういう展開を望んでいたとしか思えない強引なネネとケンカをする羽目になってしまった。
ネネが先に飛び出す。踏み込んだ足がコンクリートの床を破壊している。どれだけの力を込めているのか知らないが、光明はこれを避けるべきだと考えて、後退してネネから大きく距離を取る。
「ふんッ」
ネネの拳が空気を切る。速すぎて拳を捉えきれなかった。もしあれが当たっていたとしたら、『ただの』人造人間である光明の体はどうなってしまうのだろう。深く考えてしまうと恐怖に囚われて負ける。だが相手も同じだ。ネネは光明の能力を見たことがない。どれだけの力を持つか分からない相手に殴りかかるとはきっと彼女は脳みそまで筋肉なのだろう。
猪突猛進に突っ込んできたネネにも同じ恐怖を味わわせてやろうと、光明は能力を使うことにした。
「見ろ! そして怖気づけ!」
光明が右腕を突き出すと、いくつもの白く輝く光線が飛び出した。正確には彼の腕の周囲から飛び出したものだ。それらはネネを狙って追尾する。
「ちっ」
ネネはぎりぎりのところで光線の挙動を認識し、そして掴もうと手のひらをそちらにやる。
だがその光線はただ眩しいだけではない。殺傷能力を持った高熱のビームだ。無音で迫りくるそれらに対応しようとする精神力は大したものだ。だが触ってしまうのは間違いである。
「熱っ」
ネネの右手はいともたやすく焼け焦げ、手のひらに大穴を作り出した。それどころか彼女の目に直撃し、後頭部から光が抜けて背後の自動販売機を破壊する。
「……マズい!」
光明は慌てて崩れ行くネネの体を支えようと駆け寄る。だが間に合わず彼女は固い床の上にうつ伏せで力なく倒れた。
焦る光明はどうすることもできず、ネネの死体を黙って見る以外になかった。殺しをするつもりはなかった。ただネネを脅し、大人しく帰ってもらいたかった。手が震える。人殺しなんてずっと昔にしたきりで、それも今でも夢に出るほど鮮明に覚えている。
光明は激しく後悔し、この場から離れることにした。エレベーターを使おうとしたものの、ネネによってシャットダウンされていたことを思い出して非常階段で降りようとそちらへ向かう。
「……ネネ、すまん」
後処理はしなくてもいい。なぜなら人造人間は死ねば着ている衣服ごと粉となり消えて無くなってしまうからだ。死体という証拠を残せば再びどこかの誰かによって人造人間の研究が進み、利用されてしまうだろう。そうならないための自壊能力であった。
光明が非常階段への扉を開けたとき、彼の背後で布が擦れる音が聞こえてきた。
「……待ち、やがれ、よ」
VS白銀ネネ




