第百十九話
しょうもないギャグ回です。
「なぁ、拓海。ちょっと来てくれよ」
意外な一言だった。人格を全否定するのかと思いきやネネは咎めることなく受け入れた。それどころか時間的にまだ着替え終わったかどうか怪しい程度の時間で脱衣所に入れと言う。ほぼ裸の女と脱衣所で二人きり。思春期真っ盛りの拓海は頭の中が真っ白になった。たとえ相手がネネであっても。
「いや、でもさ……」
「うるせぇな。あたしが入っていいって言ってんだから入れよ」
「くそっ、どうにでもなれっ」
拓海は目を閉じたまま扉を開け放った。殴られる覚悟はできている。しかし痛みはない。そっと目をあけてみた。
「……うわぁっ!」
ネネは変わらずタオルを身に纏ったままの姿だった。思わず拓海は叫び、両手で目を覆う。ほんの少しだけ指と指に隙間を作ったのは本能のようなものだ。
ネネと初めて出会ったあの夜、彼女は文字通り全裸で拓海の前に立っていた。しかしながら大雨であったこと、そして拓海自身が大量に出血していたため意識が朦朧としていた。そのせいであのときのことはあまり覚えていない。
それが今はどうだろうか。ネネの筋肉質だが細身の手足がしっとりと濡れていて艶めかしい。なぜだかしおらしく見える表情が可愛く見える。おまけにタオルが巻かれていてもわかるほどに胸が強調されている。学生服や私服ではいまいちサイズがわからなかったものが、ここにきてハッキリと見て取れる。そこにしっかりとあるのだ!
「てめぇいい加減にしろよ。なにじろじろ見てやがる。ちょっと恥ずかしいだろが」
顔を赤らめ、いつになく真剣な表情をするネネ。まさかの展開が拓海の脳内をよぎる。
今までネネのことを異様に気の強い友達程度にしか考えていなかった。年ごろの男女が一つ屋根の下、正確には母親もいるが、よくよく考えれば今まで何もないほうがおかしい。
「今まで何もないほうがおかしい」
「何言ってやがる。ゲームのやりすぎでとうとうイカれやがったか。いいからドア閉めてくれ、冷えるだろが」
言われるがままに拓海は扉を後ろ手に閉めた。胸の高鳴りが止まらない。やかましいくらいに鳴る心臓の鼓動を拓海の耳で感じる。
「……それで、俺も先に風呂に入ったほうがいいかな」
「……え?」
「いや、ネネがいいならこのままでもいいんだけどさ」
「……は?」
「俺、いきなりだからなんの心の準備もできてなくて」
「……あ?」
「優しくしてねぐばぁっ!」
ネネの裏拳が拓海の鼻先を容赦なく叩き、鼻血を噴き出しながら彼は近くにあるドラム式洗濯機にねじ込まれた。
「なにすんの! なにすんの!」
「テメェは何か勘違いしてやがるッ! それもとびきり気持ち悪い勘違いをな! いいか、キモイじゃなくて気持ち悪いだからな! テメェが他人だったら二度と妄想できない体にしてたところだクソったれめ!」
ネネが洗濯機の蓋を閉めてお急ぎボタンを押した。拓海は洗濯されるという不思議で危険な体験をしたあと慌てて飛び出した。
「良い子は真似しないでね!」
「誰に言ってんだ。乾燥機の方がお好みってか」
「ごめんなさい」
そんなこんなで拓海による気持ち悪い誤解が解けたところでネネは本題に入るべく体重計に乗った。
「これを見てくれ、こいつをどう思う」
あまり人の体重などの個人情報を知るべきではないのだが見ろと言われれば見ざるを得ない。女の子の体重を見る行為になんだか少しだけ胸がドキドキした。
体重計に表示された重さを見て、拓海は息を飲む。
そこには90キロと表示されていた。
なんと言えばいいのかしばらく考え、そしてようやく一言だけ発した。
「すごく……重いです」
「やっぱり死にてェようだな!」
「やめて! お肌が乾燥しちゃう!」
ネネによって無理やり乾燥機に放り込まれそうになりながらも拓海は振りほどいて距離を取る。
「どう思うか聞いたのはそっちだろ!」
拓海の言い分はなんら間違いではない。答え方は少し間違えたかもしれないが。
「……Fuck this shit. やっぱり重いか」
「俺は57キロだよ」
「うるせぇ。フォローになってねぇよ」
体重計に視線を落とし、それからネネはタオル越しに自身の腹をつまむ。しかし無駄な贅肉が無いのか手ごたえがなさそうだった。
「あたしってそんなに太ってるかな」
これはまるで普通の女の子だ。年相応に見た目に気を使い、ちょっとした理想を持って学生生活を楽しむただの女子高生のようだ。
そんな様子を見て拓海は改めて人造人間の異様さを思い知る。ネネは太っているのではない。確かに体重は十五歳程度の女性の平均体重から大きく逸脱しているものの、それは彼女の体質であって見た目は全くと言っていいほど普通の体型である。原因はおそらくネネの『力が強い』能力にある。
「あのさ、ネネ。重いのはたぶん筋肉がついてるからじゃないかな。脂肪よりも筋肉の方が重いっていうし」
そうだとしても余計な脂肪もなくすべてが筋肉ならばその皮膚の下にどれだけの筋肉が圧縮されているのだろう。
「本当か。嘘じゃないよな」
拓海の言葉に反応して目を輝かせるネネ。よほど悩んでいたらしい。
「この前テレビで言ってた」
「信じていいのか信じられんのか微妙なところだが、そういうことにしておいてやるぜ。あたしはデブじゃねぇ。そうだな?」
「そういうこと」
ようやくネネの不安そうな表情が取れ、眉間のしわが少しばかり緩んだところで風呂場の扉がノックもなく突然開いた。
「拓海くぅん、これなぁに?」
白銀海が現れた。その手には吉田から押し付けられた特殊性癖のエロ本がある。
「なんでそれ持ってんの!」
「制服からおぞましい邪気を感じたのぉ」
「邪気!」
母親の言うことはなんとなく理解できる。拓海だって終始危険物のように扱ってきた。寝る前に近所のコンビニで捨ててようとしていたそれが見つかってしまった。
「拓海くぅんが歪むのはぁ、母親として阻止しないといけないわぁ。これは私が処分するわねぇ」
ゆったりと話す割には彼女のエロ本を持つ手に力が込められている。心なしか本が徐々に経年劣化しているような気さえした。何が起きているのか突っ込んではいけない。
「すげぇジャンルじゃねぇか。こいつはあたしだってドン引きだぞ……」
「それはさておき、ネネちゃん。なんでこんなところで仲良さそうにしてるのぉ? そんな恰好でいたらウチの子が歪むじゃないの」
「おいおい海さん、そいつはどういう意味だコラ」
「ウチの子は健全でなければならないの」
「まるであたしが健全じゃねぇって言いたいようだがそのへんを詳しく聞かせてもらいたいね」
「普通の男の子は肌色が少しでも見えたらドキドキしちゃうの。自分の姿を今一度見てみるといいわぁ」
「は?」
ネネは海に言われて自分の姿を見る。タオルにしっかり包まれた体。拓海の視線が時々突き刺さる。ネネにとって自分の体重についての問題を解決したところでようやく同時に進行していた別の問題に気が付いたようだ。年頃の男女がこんなところにいることに。
「拓海テメェ、いつまでここにいやがんだ!」
「え、なにいきなり!」
「用事は済んだんだ、とっとと出ていきやがれ!」
拓海と海はネネによって脱衣所から文字通り蹴り出され、態勢を崩している間に扉が乱暴に閉まった。おまけに鍵がかかる音もした。
「ったくなんだよもう」
ぼやくもネネの言い分はもっともだ。先ほどまでの自分はどうかしていたと反省し、拓海はリビングへ戻ることにした。ゲームで時間を潰してから風呂に入っても遅くはないだろう。
母親は何も言わずふらふらと階段を登っていった。自室に戻るのだろう。
「それにしても……」
拓海は回想する。己の体重が気になるネネのあの顔を。あれは本気で悩んでいる顔だった。
「もしかしてネネの弱点って……」
口には出さなかったがネネの意外な悩みを知った。しかしこれを誰かに言うつもりは毛頭ない。身内を陥れて得るものがあるわけがない。
今日という一日が長く感じた。少しばかり奇妙なことが続いたものの、つまらない日常で終わるよりずっと楽しいものだ。
「あ、勉強しないと」
テストの結果を思い出し、ゲームよりもしなくてはならないことをするべく拓海も自室に戻ることにした。どうせ三日ももたないだろうが、何もしないよりはマシだろう。
そんな白銀拓海の五月はもうすぐ終わる。
スモアド日常編おしまい。
次回からはシリアスで少し切ない話になる予定です。




