第百八話
ネネ達が戦うビルとは反対側の屋上では、ナシェリーがゆらりとへたくその操るマリオネットのように立ち上がり、縁へと向かう。向こう側で何か言い争いのような声が大雨の中で耳に入るがどうでもよかった。
コンクリートの縁とその境目までやってきたとき、彼女は自身の命を絶とうと一歩踏み出そうとする。彼女も初期型の人造人間なのだからビルから身投げをした程度で死にはしないだろう。今はこの精神的苦痛から逃れられるなら一時的にでも死にたい気分なのだ。
死に向かって踏み外そうとしたその時だった。
「あ」
ヘリコプターが爆音を鳴らしながらビルの間から現れた。それはすぐにナシェリーの正面へ回り込むと扉が開いた。
「ナシェリー、馬鹿な真似はやめなさい!」
言いながら、ハナはライフルを構えている。殺人の道具の、そのマズい所が彼女に向けられていた。どういう意味かナシェリーにはわかった。ハナはナシェリーが自暴自棄になって何もかもを破壊しようとしていると思っているようだ。確かに能力を使えばそれが可能だ。どれだけ自分が絶望しているのか知らない癖に、ハナが勝手にそう思い込んで攻撃的になっている。
「なにそれ、むかつくわぁ」
どうせ正義のためだとか、後々面倒なことを避けるために、一番の脅威であるナシェリーを無力化しにきたのだろう。そう考えると彼女の奥底にある暴力性がささやき始めた。
ハナが覚悟している通りのことをしてやれ、と。どうせ失うものはないのだから今まで我慢していたものをすべて爆発させてしまえ、と。
「ごめんね、カイくん」
ナシェリーの大切な人の名前を呟き、彼女は壊れた。すでに壊れていたが、その大事なストッパーすらたった今壊れた。
「みんなみんな消えて無くなればいい。カイくんと拓海くんのいない世界なら壊れてもとに戻らなくても構わない。なにもかも私が終わらせてやる!」
ナシェリーが終わってしまったのを感知したハナは大急ぎでパイロットに指示を出す。彼らを乗せたヘリはエンジンを切り、急落下してナシェリーの視界から消えた。直後、彼女は能力を使ってヘリがあった空間を破壊した。この世の定理では説明できない出来事を起こしてそこだけが消えて無くなった。
ナシェリーは、涙を流しながら視界に入る物体を破壊し始めた。死ぬよりもこちらのほうがきっといくらか気が楽になることを信じて。
地上にあるものを片っ端からこの世から消し去っていく。爆発を起こし、または圧力をかけて潰し、それか引き裂いて粉々にする。科学のような魔法を使って有象無象を破壊する。
「聞こえるわぁ。私の大好きな音楽が、私だけのために奏でられているの」
気に入らないものに意識を向けると次の瞬間には壊れている。まるでナシェリーは指揮者のように自由自在に破壊を楽しみ始めた。
一方でネネ達は戦いを続けていた。
「オラァ!」
ネネの拳はハヴァに届いた。
届いたが、彼はあっさりとそれを手のひらで受け止める。
「単調すぎるぜ!」
ハヴァは空いた手のひらをネネへ向けて光球を作り出す。これがどれだけの威力を持つか彼女は痛いほど知っている。死ぬほど知っていた。
「テメェもなッ!」
ネネはハヴァと同じく空いた手を使い、彼の手を掴んで握りこむ。刹那、二人のその組み合った手が爆発を起こし彼女たちの片腕が爆散した。
「うぐっ」
「無茶しやがる!」
お互いに片腕を失ったままだが、それでもネネは次の攻撃を始めていた。素早く残った手を動かしてハヴァの腕を掴む。
「ふんっ!」
掴んだ腕を強く握り、耳を塞ぎたくなるような肉と骨が千切れる音が響く。
「ぐあっ」
両腕を粉砕されたハヴァは苦痛で顔をしかめる。ネネの腹を蹴り飛ばし、距離を取った。
「──────ッ!」
呼吸をする間もなくネネはよろけた体を立て直してハヴァを睨んだ。吹っ飛んだ彼女の片手は原型だけならば元通りとなり、握る動作だけなら可能だった。
手近にある室外機の外装を指で貫いて、持ち上げる。高々と、そして軽々と、まるで空の段ボール箱のように持って見せたネネはそのまま駆けた。
「脳みそぶちまけろ」
血を失って視界が定まらないハヴァの頭に致命的な重量物が叩きつけられた。どこのものともわからない室外機の部品のくずたちが辺り一面に散りばめられ、その中にはハヴァの、やはり頭部のどこの部分かぱっと見わからない破片が混じっていた。
それでもハヴァは立っていた。大急ぎで作り出した空気のバリアが、彼の脳みそが吹き飛ぶのをぎりぎりのところで阻止したのだ。
「いてぇ、いてぇよ。ここまで本気で死にそうだと思ったのは初めてだ。ああ、クソ。ネネ、あんたは強いな」
「悪いが審判もレフェリーも不在なんだ。降参もドクターストップもありはしねぇ。いいだろ?」
「すげぇいいよ」
ハヴァは頭部を半壊されてもなお、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。それは今までの邪悪な歪んだそれとは違って心からの楽しいという感情表現であった。
「おまえ、笑ってんのか。気色悪い野郎だが、あたしにもわかるぜ。見りゃわかる」
そう言うネネも笑っている。こちらは仲の良い友人とかけっこをして決着をつけたときのような爽快な笑顔だ。二人は友人でもなければ、昨日まで知り合いですらなかった。殺し合いをするためだけに出会って、間もなく終わりが近い。
心臓の鼓動一つ一つがネネの行動を応援してくれる。脳内物質がネネの恐怖を消してくれる。筋肉繊維たちがネネのやりたいことを支えてくれる。
「ところでよ、なぜ俺がこんなに食らってるかわかるか?」
ハッとしてネネはハヴァから距離を取り、そして攻撃を受けた。
ハヴァはネネと殴り合っていた間、密かに、そして微々たる程度の光球を屋上の外周に張り巡らせていた。避けた先にて、今まさにネネの体を貫いたのだった。
あと四話です。




