第百七話
「逃がすかよ!」
距離をとるハヴァを追いかけるべくネネはツインタワーの外壁に手をかけた。
このまま壁を破壊して建物内に入り、エレベーターを待つのもいいだろう。時間があればそうしていた。しかしネネはすでにハヴァのことを一瞬たりとも視界から外したくなかったのだ。そこで彼女は自力でタワーを昇ることにした。
建物の外壁はクライミングが出来そうな突起物が少ない。むしろほとんどなかった。だから拳で壁を殴り、穴を開けてそこを掴んで昇り始めた。その速度は安全重視とは程遠く、破壊の限りを尽くしてただひたすら進むことだけを考える力技であった。
「嘘だろオイ」
破壊音に気が付いたハヴァがネネのしていることに驚き、顔をひきつらせた。首のケガはすでに完治しているが、まったくの不意打ちであったためにネネが戻ってくるまで屋上で少しの間休憩を取ろうとしていた。だがネネの速度からするにそう長くは休めそうにない、それだけは間違いなかった。
「やべっ」
時折ネネはバランスを崩して落下しそうになるものの、壁を思い切り蹴ることで反対側のタワーへと飛び移って難を逃れる。そのまま再び壁を作り変えて昇る。
それを何度か繰り返すうちに、建物の壁を蹴って往復したほうが早いことに気が付いた。高速でビル間を飛び移り、決してハヴァとの距離を広げさせない。
ビル登頂を目指して残り三分の一程度になったころだろうか、とうとうネネはビルの壁を蹴るだけで真上に進む技術を身に着けた。怒りのあまり自分がどれだけ高いところに来てしまったのか考えることもなく、壁を走り進んでいく。
やがてハヴァとの距離が目と鼻の先ほどまでに迫るとネネは捨て身でとびかかり、とうとう足首を掴んだ。圧倒的速度で追いかけてきたネネに対してハヴァは焦り、こうして掴まれたことで心臓が止まるほど驚いた。
「放せ!」
その一言はランヂとの闘いを思い出させるものだった。彼も空を飛ぶ能力を使い、最後は空中で掴まれてハヴァと同じセリフを吐いた。だがハヴァは違った。
「だったらずっと掴んでみせろよ!」
ランヂのように心折れることなくネネと共に高度と速度を上げていく。今回ばかりはハナの助けは期待できそうにない。ハナがいたとしても助けを求めることをするつもりは毛頭ないが。
ハヴァはビルを上るだけではなく、自らの足首を外壁に押し付ける。自分も少しは痛い目に遭うが、ネネは全身をガラスや鉄骨に激突させ続けなければならなくなった。
ガラス片が皮と肉を裂き、衝撃は意識と心を砕いていく。しかしそれでもネネはハヴァの足首を掴んで離そうとはしなかった。ここで離してしまえばまた最初からやり直しだからだ。
「ぜってぇ離すもんかよォ!」
たった数秒で二人は屋上に到達し、そろって床に落ちる。ネネの全身は粉々で、特に顔面に関しては皮が剥がれて一生モノの大けがとなった。自分がどうなったのかすぐに確認できないことがこの状況においての幸せだろう。
ハヴァは右の足首が砕けているのみだ。それもすでに治りかけている。
「はぁ、はぁ」
肩で息をするハヴァは汗をぬぐう。雨の中、彼は空気を操る能力のおかげで雨を完全に拒絶していた。額に流れる水滴は正真正銘自前の汗で間違いない。変な汗をかくほど、彼はネネの狂気に圧倒されたということでもある。
「見直したぜネネ」
二人とも立ち上がり、残酷な自己再生の音を鳴らす。
「あたしは死なねぇんだよ」
「そりゃあ、俺も死なねぇし。一体全体こいつはどうやって決着をつけりゃいいんだろうな」
「それはお互いが一番わかってることだろうが。このクソ喧嘩の終わりってのはテメェが終わりだと思ったときが終わりなンだ」
「深いようで大した意味のない言葉、俺の心に響いたぜ」
雨は一向に止む気配を見せない。今日という日はどれだけ長く天気が崩れたままなのだろうか。止まない雨はない、という綺麗な言葉があるが、このままずっと雨が降り続いてもおかしくないほど弱まる気配を見せない。ネネの服はずぶ濡れで、すでに下着も湿っていて凍えそうだった。
「あたしは疲れたよ。こんなクソガキ同士のやり合いは早い所終いにして死んでくれや」
本当に、今日は長かった。腕が折れたり、誘拐されたり、両腕がもげてから蘇ったり、このビルから落ちたり、本当にいろいろな出来事があった。ネネは表には出さないが疲れ切っていた。家に帰り、布団に入ったならば速攻で眠ってしまうだろう。
「正直言って、あんたみたいな伝説の人造人間と戦えて俺はうれしいんだ」
二人から離れた反対側のビルの屋上で動きがあった。誰かがゆっくりと動いているようだ。彼らは確認こそしたものの、横眼で見るだけで特に気にしなかった。
「戦って殺すことでしか価値を見出せなかった俺が、こうして生きている実感を得られるんだから、感謝しかないよ」
「戦うことが価値、か。だったらもう満足だろ。首くくれよ」
「いいや、そうはいかない。人ってのは強欲にできてるんだ。俺はもっとあんたと戦いたい。ずっと一緒にこうしていたいんだよ!」
ハヴァは作り出されてから十五年しか生きていない。それもずっと殺しの日々ばかりでそれ以外を知らない。だから彼はこの感情の名前を知らなかった。
世間はそれを恋と呼ぶ。
「上等だよバカ野郎、今度こそきっちりぶっ殺して、何も言えなくしてやる!」
「ははっ」
ハヴァなりの自覚なきプロポーズは成功した。彼は口元を醜く歪ませ、笑った。
ビルの間からヘリコプターが再び急上昇してきた。その爆音と暴風をきっかけに、二人は決着をつけるべく動き出す。
残り五話です。




