第百六話
落ちている。
全身を引き裂く閃光により意識を失ったネネが次に見た光景は夜空だった。
落ちている。
止まらない浮遊感に精神がおかしくなってしまいそうだった。徐々に遠のいていく青髪の青年の笑い声が聞こえてくるような気がした。
落ちている。
無限のような雨粒と同じ速度で落下し、まるで自分そのものが雨になったようだ。
落ちている。
ツインタワー程度の高さでは激突まで数秒もかからない。地上まで残り僅か。ネネにできることは憎き仇敵のことを思いながら悪態をつくことだけ。
「くそったれ」
はっきりと、それだけ言うとネネは大地に落ちた。激しい金属音とともに辺り一面に破片をまき散らす。体の一部と金属片が周囲にランダムな模様を作り出し即席のアートが出来上がった。
ネネが落ちた先はツインタワーの間で作業をしていたトラックの荷台だ。そこに大の字で仰向けになっている。トラックはクッションにすらならないものの、より硬いコンクリートに当たるよりましなのかもしれない。
「うう、ぐ……あ」
潰れた肺に呼吸する機能は失われている。それでもネネは悔しくてたまらずに声を出した。
「あ……、あの……、やろ、う」
じわじわと自己再生が始まっていく。体の細胞がもとに戻ろうと、破壊されるよりもつらい修復の痛みが、ネネをこの現実に引きよせ続ける理由であった。できることなら気絶しておきたい、体が治ってから意識を取り戻したいものだが、そういうわけで目を血走らせるくらいしかできないでいた。まだ歯も再生してないのでそれだけだ。
(野郎ッ、ぶっ殺す。ケツに手突っ込んで肺をぶち抜いてやる!)
やがて指先がわずかに動かせるほどに再生が進んできたころ、闇夜の先から何かがこちらに向かって飛んで来た。否、落ちてきたというべきだろうか。
「よう、ネネ」
ハヴァだ。あれだけ痛めつけ、肩まで『もいだ』というのにすでに何事もなく能力を使ってここまで降りてきた。
「あれ、まだ治ってないのかよ」
「ぐ、が、あ……」
憎しみを込めた視線でハヴァを殺そうとしたがうまくいくわけがなく、声にならない声を上げただけだった。
「俺なんかとっくに治っちまったよ。ほら、あんたと違って俺は新型だからよ」
治った肩をわざとらしく回してアピールしてくる。つくづくあの男は嫌味な男だと実感する。
「そういえばネネ達の仲間さ、ヘリで来たもんだからてっきり俺を殺しにきたんだと思ったんだよ」
ネネの仲間とはハナのことだ。ヘリコプターで来たならすでにほかの連中は合流したのだろう。
「でもあの団子頭のやつ、俺を見るどころか反対のビルにいるあの親子に銃を向け始めてさ、もう面白くて面白くて」
親子。ネネも目視した白銀家である。どうしてハナが白銀家に銃のまずいところを向けているのか甚だ疑問である。彼らは守るべき対象ではないのか。ハナの気が違ってしまったのなら話は別だが、もしそうでないのならよほどの事態に陥ったとみて間違いない。
「俺はそれを伝えにきただけだから、じゃあな。上で待ってるぜ」
片手を上げて簡単にあいさつをするとハヴァは能力を使って再び闇夜へと上昇を始めた。
「待て、よ」
ようやくまともに声を発せられるようになったネネはハヴァを呼び止めようとした。だがこの雨の中、消え入るような声はたとえハヴァでなくとも耳に入ることはないだろう。
「待てってば」
だんだんと遠のいていく後ろ姿へ手を伸ばし、当然の如く空を切る。
「待ち、やがれ」
無理を承知でネネは体を動かし、骨と肉の悲鳴を内側から聞きながらトラックの上から転げ落ちて呻く。まだ開いたままの傷口から血が流れた。
「クソ、なにしてんだよ。動けよあたしの体」
朝に弱い寝起きの人間のように、手をついて体を起こす。ふらつく足に気合を入れてゆっくりと立ち上がると、破壊されたトラックの窓枠を掴んで自身を支え、ハヴァの行方を追う。
まだ彼はそう高いところまで行っていなかった。追いかける方法はないが、動きを止める方法をネネは知っている。
「あたしの声が聞こえねぇってンなら思い知らせてやるよ」
彼女は触れている窓枠を握りしめ、ドアをトラックから引きはがした。巨大な鉄の板を大きく振りかぶり、ハヴァへ向けて力いっぱい投げつける。
「あ? ……うおッ」
悪運の強いハヴァは異様な空気の流れの変化を能力によって感じ取り、振り返る。意図しなかった鉄板が飛んでくるも慌ててそれをかわそうとする。直撃を避られたものの、首元を掠って大きな傷口を作った。
速度減少を一番受けやすい上空への投擲だが、十分すぎる威力でハヴァの不意を突けた。
空中に浮かぶ相手を、声を使わず止めるそのやり口は猿でも思いつくものだが、ネネにしかできない芸当でもある。
「この怪力女め」
ハヴァはそれだけ言うと出血の止まらない首元を押さえつつさらに速度をつけて高度を上げていった。
飛んでったトラックのドアはビルの壁面に突き刺さっていたそうな。




