第百二話
殴り合いは続くよ。
「……クソが、クソクソッ、くそったれがよ」
重い鉄で出来た扉など衝撃を殺せるはずがなく、ネネは踊り場の壁に衝突して体の骨をいくつか折る羽目になった。頭から血を流して立ち上がり、階段の上から見えるハヴァを睨みつける。
「なにすました顔してやがンだよッ……!」
足元の壊れたドアを拾うと両手で捻じ曲げて小さく持ちやすく作り変える。
「こいつでも食らいな!」
筒状になったドアを勢いよく、やり投げの要領でハヴァに向けて投げつけた。人間の目には速度を捉えるのがやっとの異常な速さがハヴァに飛んで行ったのだが、彼はいともたやすくそれをかわした。ただしそのドアと同じくらいの速度でネネが走り迫ってくることは彼には予想できなかった。
「なッ、速……!」
「死ねダボが」
ネネはハヴァの顔面を掴み、地面に叩きつける。それだけでなく掴んだまま床ですりおろし始めた。屋上の端まで走り抜け、血まみれのハヴァが抵抗する間もなく隣のビルの屋上へと投げる。
「っしゃオラ!」
ネネの雄たけび。しかしそれもあえなくハヴァは空中で態勢を立て直してしまった。
「やってくれるじゃねぇか! 今度はこっちの番だぜぇ!」
顔の半分が崩れつつもすでに自己再生が始まっているハヴァの手のひらに光球が発生する。それが飛んでくると予想したネネは焦らず迎え撃てるよう、構えた。ハヴァの『空気を操る能力』は空気の流れを自在に操作し、空を飛んだり空気という物質を圧縮し炸裂させることができる。それはつまり、それしかないことを意味する。目で捉えきれる程度の速度でしか攻撃できないのであれば、ネネにとってかわすことなど簡単であった。衝撃波にだけ気を付ければ決して勝てない相手ではなさそうだ。
「かかって来いよ尻穴野郎ッ!」
「ははっ」
歯を見せて爽やかな笑顔のハヴァは光球をネネにではなく上空に放った。雨の夜空を背景に綺麗な青白い光の塊が引き立つ。
どこまでも、どこまでも上空へ飛んでいき、それはパッと破裂した。
光球がいくつもの光線に変化し、それらすべてがビルの屋上にいるネネ目掛けて発射される。
「うわ、やべ……!」
一つや二つならなんとか避けられたかもしれない。だが十、二十、あっという間に五十を超える光線が現れてしまえばネネの中である種の諦めが産まれてしまうのは仕方のないことかもしれない。
打ち上げ花火のように夜空が明るく輝いた。光の波がカーテン状に尾を引いて高度を下げる。
次の瞬間、光線が屋上に降り注いだ。圧縮調整された空気という物質が人体を貫き、引き裂いていく。ネネは意識を失っては痛みで意識を取り戻すことを何度も何度も繰り返し、光線の雨が止むころにはまるでぼろ雑巾みたいに屋上の一角で倒れこんでいた。
「ネネ、俺たちのおとぎ話がこんなところでくたばるわけないだろ。起きろって」
かすかにネネの小指が動いた。まだ死んでいない。人造人間は死ねば粉になり消える。決して死んだふりができない星の下に作り出された二人の決着は、確実な死を迎えるまで終わることはない。
「いてぇ。死ぬほど痛かったぞ」
全身から血を流してなお、右の拳を床につけてふらつきながらネネが立ち上がった。千切れた左手首を乱雑に振り落とし、自己再生を待つ。
「あれを食らってまだ人の形でいられるのがすげぇよ」
ゆっくりと着地したハヴァは髪の毛をかきあげ、笑う。
「だがお前は俺に勝てない」
我慢できずその場で吐血したネネへ歩み寄るハヴァ。
「俺は空だって飛べるんだ。お前の拳よりも遠いところから一方的に痛めつけることもできる。どうしたって俺が負ける要素がねぇ」
「そんなの、最後の最後までわかりっこねぇだろが」
口では強気だがネネにも何となく感覚していた。今のままでは状況は何も変わりはしないと。力が強くとも攻撃が当たらなければ意味はない。
ハヴァの気をそらせる何かがあれば拳をぶち込んでやるのに、ネネがそう思ったそのとき、動きがあった。
動いたのはネネでもなく、ハヴァでもない。二人の背後にいる別の存在だ。隣のビルの屋上で一体何をしているのか、じっと動かなかった親子が今になって動いた。
海の絶叫がこちら側まで聞こえてきた。声は徐々に大きくなり、やがてネネがそちらを見て、ハヴァまで思わず振り返るほどに不安感を煽っていくものとなった。
ネネはどうしてあの女が叫んでいるのか気になったが、目の前の敵がよそ見していることに心臓が高鳴る。
「ンがぁッ!」
全身が悲鳴を上げるなか、ネネは無理やり足腰を動かして体当たりを食らわせる。先ほどの発言といい、ハヴァは油断していたようでネネの体当たりはクリーンヒットして彼の体を吹き飛ばした。軽々と地面を転がって屋上の塀に激突し、こちらを睨んでくる。
「そこでじっとしてやがれよッ」
手近に使えそうな武器はない。が、それは普通の人間の話だ。ネネには周りにあるもの全てが武器とすることができる。
この屋上にはヘリポートがあり、連絡通路も併設されている。ネネがやってきたドアから一本道だが、二人は通路から外れたところで戦っていた。
ハヴァは吹き飛び、今や彼よりも連絡通路の方が近かった。だからネネは通路の手すりを掴み、引きちぎる。一メートルほどの鉄柱を手に入れたネネはそれをためらいもなくハヴァへ投げつける。
やり投げのようなきれいなフォームからかけ離れているが、人を痛めつけ、あわよくば殺せるなら投げ方なんてどうでもいい。
目にもとまらぬ速さで鉄柱がハヴァの胸に突き刺さってコンクリート造りの塀に固定された。そんな彼が力なく手の平をネネへと向けようとしているのをネネは見逃すはずがなく、数歩で近寄ってその顔面につま先を打ち込む。
「うヴッ」
どこかの骨がたやすく折れる感触がつま先越しに伝わる。ハヴァの空気の抜けるような悲鳴が聞こえてネネは手ごたえを覚えた。だから何度も蹴り、その度にハヴァは顔の形を変えてうめく。
「オラどうした!」
顔に付着している液体は果たして降りしきる雨なのか、返り血なのか。
いつまでもこうやって蹴り続け、一方的な暴力が続くはずだった。
だがそうはならなかった。
まだ続くよ。




