009 フィジーの想い
——夜。
ギアスはスカイの向かいの部屋を使うことにした。195階にある部屋ならどこでも一部屋を自由に使っていいと、スカイの部屋の内線にギラデアから連絡があったのだ。昼食から戻った直後の電話でタイミングがよく、まるでどこかで見ているかのようだった。
気がつけば日も落ちて、窓の外が暗くなっていた。しかし部屋は明るい。ギアスが机に向かってペンを走らせていたのだ。
「——人間界から黄色い変な奴に連れ去られて、異世界らしき空間に閉じ込められた。殺されたと思ったらシャングリラの病室で目が覚めた。記憶にないが、オレが起死回生したらしい——」
短い間に多くの情報が入ってきていたので、ぶつぶつと声に出しながら紙にまとめて勉強していたのだった。
「——オレも、シフォンも、フィジーもスカイも、ウーバスタンドだった。ウーバスタンドとは、人間から進化した、超人類。人類だけどもう人間ではない。超能力と、凄まじい再生力がある。それに20歳程度で老いが止まって、大ケガでもしない限り永遠に生き続けることもできる半不老不死。15世紀にヨーロッパで発生して、ドイツ人だったアリスが、人間たちによる虐殺から逃れるために仲間を集めてこのシャングリラを創った。シャングリラは第二の地球。地形や気候も地球とよく似ている。そしてアリスは人間界でいうところのドイツ周辺にこのキサルニア王国を築き、自分が王になった。それ以来、600年くらいもの間生き続けていて、王であり続けている——」
ギアスはそこで文を区切った。「う〜ん」と唸りながら、ペンの頭で自分のこめかみをコツコツと突っつく。
(やっと分かってきたなぁ。でも、何でフィジーたちはオレもウーバスタンドだって黙ってたんだ? っていうか、アイツらはいつからそのことを知ってたんだ……。あ、そういえば、スカイが言ってたな。シャングリラと人間界の間を割と好き勝手に行き来できるようなこと。もしかして、アイツら、オレの知らないうちに行ったり来たりしてたんじゃ?)
ギアスはさっきまで書いていた文章の下に三行ほど間を空けて、「疑問」と書き、それを丸で囲んだ。その下に箇条書きにしていく。
「疑問1個目、フィジーとスカイはどうして自分たちやオレがウーバスタンドだって黙っていたのか。……あぁ、闇を感じる。疑問2個目、二人はいつ頃から知ってたのか。……オレも異世界で遊びたかったなぁ。……うーん、疑問3個目、オレはどうやって起死回生したのか」
一番の問題はこの3つ目だった。
ギアスのペンがますます激しくこめかみを突っつく。
「んあーっ、ワカンネェ〜ッ」
やはり考えても何も覚えていない。とうとうペンを机に放り投げて髪をわしゃわしゃと掻いた。
(どう考えてもシフォンの作り話としか思えないんだよなぁ。でもそれなら今頃死んでるはず……。ん〜)
コンコン。出し抜けに誰かが扉を叩いた。「はーい」と軽く返事すると扉が開いて、焦げ茶のブカブカのデザインの部屋着に着替えたフィジーが顔を出した。髪も湿ってクルクルしている。まだ夕飯前なのにお風呂に行っていたらしい。
「あれ、エェッ!? ギアスが勉強してる!?」
「悪かったな。アタマパンクしそうだったから話まとめてんだよ」
「うわ〜……、キモ」
「何しに来たんだよ!?」
ギアスはそんなつもりはなかったが、本気で怒ったと思ったようだ。フィジーは慌てて両手を胸の前でパラパラ振って視線を右へ左へ忙しく泳がせた。
「い、いやいや、ゴメンゴメン。ギラデアさんの件は忘れてないかなって、思って、様子見に来ただけだから」
「あ、忘れてたわ。うわ〜、めんどくせぇ〜」
ギアスがあからさまに項垂れるとフィジーは腰に手を当てた。
「ダメだよ、ちゃんと行かないと。今もこうやって泊めてもらってるんだし、お昼だってタダで食べたでしょ? 全部王様とギラデアさんのおかげなんだから」
「……、フィジーも一緒に来て」
「子供か!? いい年して甘えないの。……、まぁ、手前までなら、付いてってもいいけど」
「え、マジ?」
「まじまじ」
ギアスはキョトンとした。いつもならそんな甘いことは許さないしっかり者のフィジーが、珍しく優しい。
(そうか、オレが死にかけたから……。でもなんかこれはこれで、キメェ)
「今から行く?」
「お、ああ、フィジーがいいならな。ってか、格好ってこのまんまでいいのか? 王様の前でTシャツにジーパンって——」
「いいよ。っていうか、そのくらいしかないんだし、仕方ないでしょ」
「そうだな。んじゃ、頼むわ」
仕方なく、ギアスはラフな格好で部屋を出た。
フィジーの部屋にいたシフォンは、寂しくないようにスカイに預けてエレベーターに乗り込む。
199階のボタンを押し、扉が閉まり、フィジーと二人きりになった。
ぎゅ。二人きりになるやいなや、フィジーがギアスの手を握った。
「え!? す、すまん」
「なんで謝るのよ。別に怒ってるとかじゃ、ないんだから」
「……?」
ギアスはやっぱり一人で行こうとしなかったことがいけなかったのかと思ったが、全く違ったようだった。フィジーは、これまで見たこともないような不安そうな顔をして、まっすぐ正面を漠然と見つめていた。
「フィジー? どうしたんだ、急に」
「……」
「……?」
キーン。小気味いい音で、エレベーターは199階への到着を知らせ、扉を開けた。
と、ギアスはフィジーに引っ張られるようにエレベーターから降ろされる。
真っ白な景色が広がった。日が落ちているのに昼間のように明るい。200階へ至る壁伝いの螺旋階段が見えた。もちろん四方八方全てが大理石。眩しく光を反射して、フィジーの後ろ姿も霞むようだった。
「!?」
「……」
フィジーはギアスをエレベーターから降ろすと、彼に抱きついた。今まで堪えていたものが堰を切って溢れ出したよう。涙を我慢して、肩を震わせながら息を吸っては吐いて、吸っては吐く。
せっかくだが、これは周りの神秘的な景色に見とれている場合ではない。ギアスは戸惑いながらもフィジーを慰めるように抱き返し、細い背中をさすった。
「お、おい。どうしたんだ、何を堪えてたんだよ?」
「……わ、私、自分に、仕方ないことなんだって、言い聞かせてた。でも、やっぱり、耐えられない。こんな、これから、ギアスが狙われる生活なんて」
「え? 狙われる? あの変な女の子のことか?」
フィジーはギアスのお腹に顔を埋めたまま、頷いた。
「アイツらは、珍しい能力を持ったウーバスタンドとか、自分たちの邪魔になる体質のウーバスタンドを特に嫌うの。……詳しいことはこれから聞くことになるだろうけど、ギアスは、そういう体質なんだ。だから、私もスカイも、ギアスにはせめて大人になるまでは何も知らないで、幸せに過ごして欲しいと思って、ずっと秘密にしてたの」
「そうか、それで……。知らぬが仏ってやつか」
またフィジーは頷いた。
ギアスはそっとフィジーを放す。やはり、もう我慢できずに黄緑色の瞳を濡れたエメラルドのように潤ませていた。
(そうか、そういうことだったのか。フィジーもスカイも、オレのためにこんなに苦しんで……。なのにオレは、そんなこととも知らずに——)
ギアスはフィジーの両肩に手を置いたまましゃがみ、彼女より少し目線を下にした。
「フィジー、あの、話してくれて、ありがとうな。辛い思いさせてたみたいで、ホント、ごめん。もう、なんて謝ればいいか……。でも、オレなら多分大丈夫だ。なんだかんだで助かったんだし、それにこの城にさえいればきっと——」
「違う、私が言いたいのはね、そうじゃないの。私は、人間界で三人で一緒に過ごしてた、あの日々がずっと続いて欲しかった。なのに、ギアスがあんな目に遭って、死にかけて、病院のベッドで寝たきりになってたのなんか、見ていられなかった。それだけでもおかしくなりそうだったのに、今度は化け物と鬼ごっこ? ホント、アタマに来るよ、こんなの」
「フィジー」
「だってそうでしょ? ギアス何も悪いことしてないのに、どうして——」
「フィジー!」
「……!」
今度はギアスから抱きしめた。女の子を自分から抱きしめたのはこれが初めてだったが、気がついたときにはもうフィジーは腕の中だった。
「落ち着け。オレは生きてる。これからもだ。オレだってフィジーやスカイたちと一緒にいたいさ、死んでたまるか。それにもうあんな目に遭うのは御免だよ。だから……、約束するよ。もう何があっても、どんな状況でも、もうダメだなんて思ったりしない、絶対にだ」
ギアスにはそれが精一杯の言葉だったが、フィジーの涙を堪えた体の震えは、徐々に、少しずつ、収まっていく。彼女はギアスのシャツを、絶対に失いたくないと言うように強く、強く握りしめて、「うん」と、小さな声で頷いた。
ギアスはそのまま、フィジーが落ち着きを取り戻すのを待った。
長い時間がかかった。エレベーターに乗り込んだ瞬間も懐かしくなるほどに。
ようやく、真っ白な光の中でフィジーが顔を上げ、涙を拭きはじめた。
「大丈夫?」
「うん。……ホント、約束なんだから。って、いうか……」
「?」
フィジーは何やら恥ずかしそうに視線を床に落として、そのまま視線を右へ左へゆらし、もじもじした。何年も一緒にいて初めて見た仕草だった。
「わ、私が、その……、ギアスの、前で、んな、な、泣いたとか、ぜったひぃい、言っちゃ……、ぃゃ」
(……か、可愛いかよ。な、何だこいつ。もはや、誰!? 何言えばいいんだ? えっと、えーっと——)
ギアスは珍しくフィジーにクラクラしてしまった。
またも急に妙な雰囲気になって、何を言おうかと逡巡しているうち、右手が勝手に上を指差していた。
「い、言うわけ、ないだろ。それより、そろそろ行こうぜ。王様たちも待ってるだろうし」
「うん。う、うへぇえ!? わ、私は行かないんだから! そうだ、手前までって言ったじゃん。ホントは……、付いてってあげてもいいんだけど、なんか……、やっぱり落ち着かないから部屋戻る! バイバイ! 頑張ってね!」
「え、エエ!?」
フィジーは風のようにエレベーターに乗り込んでしまった。
扉が閉まるまで、彼女の顔は真っ赤だった。




