010 キサルニアの策略 前編
目に入るものは全て真っ白。
床も、壁も、高く続く壁伝いの螺旋階段も、ガラスのように艶めく大理石で作られていた。
199階と200階とを繋ぐ螺旋階段はあまりにも長い。見上げると天井がコインくらいに見えた。真っ白の渦を何重にも描いて、まるで天国へ続くかのようだが、そんな神秘的なまでの景色も今のギアスを感動させるには至らなかった。彼はフィジーが降りていって一人になると、黙々と階段を登りだしていた。
ギアスは常に前を見つめて生きてきた。孤児院に入るまでの数年、母親と過ごしていた夢のように幸せだった日々にいつまでも縋っていては、フィジーとスカイという新しく出会った家族との間に幸せを見出せない。"今"という時間を生きるには、"前"という、未来へ続く方角を見つめていなければならないことを、そうやって生い立ちから学んでいたからである。
だが、フィジーは過去という、"後ろ"を見つめていた。きっと彼女にとっての前というものは、目も当てられないような、不安に彩られた景色になっているのだろうとギアスは考えていた。
一段一段、階段を登る。ゆっくりと。未来へ向かって進んでいくことに吐き気がしてきて足が重くなってきていた。
"今"という幸せを受け入れるためになら前を見つめたい。しかし、残酷な"今"など受け入れ難いだけなのだ。
フィジーがあれだけ恐れていたのだ。この異世界で過ごすことになるこれからは、あまりいいものにはならないかもしれない。
一回、もう一回と階を踏み上がるほどに不安が募り、とうとう立ち止まってしまった。
ついこの間までただの人間として生きていたのだから当然だと自分を慰めるも、情けなくて仕方がない。
(……少し、神経質になりすぎだ。これはただの階段だ。これから王様に少し挨拶するだけだ。……、とっとと済ませよう)
ギアスは頭をぶんぶん振って、また階段を登りはじめる。あれだけ永遠と続いていたのに、もう天井はすぐそこまで迫っていた。
○○○○
ギアスが階段を登りきると、右手に装飾の無い白い木の扉があった。
王様の部屋だというのにあまりに味気ない。絵に描いたような煌びやかなイメージとはかけ離れていた。
アリスというらしい王様は一体どんな人なのか。ギアスは不思議に思いながら恐る恐る扉を叩いた。
「開けてやれ」
やや低めの女の声がした。王様なのに女なのか、とギアスは小首を傾げた。
ガチャ、とノブが回され、ギアスは傾げた首を元に戻す。
「やあ、さっきは急に呼び出してすまなかったね。さぁ、入って」
「あ、ああ、はい」
アリスに指示されていたのはギラデアだった。
ギアスは適当に返して部屋の中へ入り、その景色のあまりの異様さに思わずぐるぐると見回してしまう。
この200階は王様の部屋1つであり、キャッチボールができそうなくらいの広さだった。天井と床はまたも大理石で真っ白で、壁は今入ってきた扉のある辺りに少しだけ止むを得ずあるだけで他は無く、ぐるりとガラス張り。そしてこれだけの広さがあるにもかかわらず置いてあるものといえば、ギアスの正面の壁際にこれもまた白い革の長ソファがただ1つあるのみだった。そして王様はそのソファにぐったりと横になっていた。
王様のイメージは見事に一から十まで全て違った。けれど、美しさや品格で言えば確かに王のそれである。双子の弟であるギラデアが銀髪銀眼であるのに対してアリスは金髪に金の瞳。白いローブをまとい、結った長い髪は腰のあたりまで続いている。肌は雪のように白く、彼女が首を動かしてこちらを見れば、まるで天才画家が描いた女神の絵画が動いたようだった。
「小僧、いつまでボサッとしている」
「……、!?」
ただでさえ怒っているかのように鋭いアリスの瞳がギアスを睨むと、彼は部屋の中央へ瞬間的に移動させられた。
アリスは驚くギアスに薄く笑う。
「私の能力は光だ。このくらい日常のこと。もう少し来るのが遅ければ、否応無しにこうして引っ張り出すところだったぞ」
「す、すみません」
初めて出会ったタイプの女性だ。非常にクールで、声も低めで少しかすれ気味、加えてゆっくりとした口調なのが美貌が際立たせている。
「そう固くなるな。私は貴様の母親とも親睦が深かった。親戚だとでも思って肩の力を抜け」
「は、はい」
「ああ、でいい。……、慣れない敬語を無理に使おうとするから、いけないのだ」
「あ、ああ」
言うまでもなく、ギアスはアリスの口から母親のことが出され、そのことについて詳しく聞きたくてたまらなくなった。けれど相手は王様。ギアスは立場をわきまえるしかなく、アリスの次の言葉を待った。
「ここへ貴様を呼んだのは他でもない。何故、このキサルニアで生まれた貴様が人間界で育てられることになったのか。何故、幼馴染もウーバスタンドなのか。端的に言えば全てが私の策だったからだ。貴様を、無事に成長させるためのな」
「あのわけのわからない奴らから匿うため、か?」
「愚問だ。そうだ、いきなりで悪いが、まずはこれを見せておきたい」
「……、これは」
アリスがそう言うと、ギアスの周りの景色は再び瞬間移動させられたようにガラリと変わった。しかしこれは瞬間移動ではないとすぐに分かった。何故なら、ギアスの目の前には、シフォンを庇って血まみれになった自分がいたからだった。
「今、貴様の目の細胞に直接映像を写している。これは貴様が襲撃されてから生還するまでの一部始終だ」
言われるまでもない。この光景を見れば一目瞭然だった。
天井、壁、床と全てが銀色のどこかの部屋。今まさにシフォンを庇って力尽きようとしているところだった。
そして、ギアスは記憶にないが、あの黄色い少女が大鎌を後方へ振って構えていた。このままではなす術もなく胴体を切断されかねない。
(嘘だろ、こんなのどうやって……)
「二人仲良く、さようなら!!」
黄色い少女が体を捻り、大鎌を水平に振る。
これがアリスに見せられている光景で、この後助かるのだと分かっていてもギアスは目を覆いそうになった。
「死なないで!! パパ!!」
ガツン! シフォンが叫んだ瞬間、黄色い少女の大鎌は空中で金属音を立てて止まった。まるで目に見えないバリアーにでもぶつかったよう。黄色い少女もシフォンも目を丸くした。
ここから先は全く記憶にない。どいうわけか、理解し難いことに、シフォンを庇っていた自分はどう考えても助かりそうにないボロボロの体で立ち上がった。
「ぎ、ギアス……?」
しかも後でシフォンから聞かされた通り、切断されたはずの足もいつのまにか再生しているではないか。
血を滴らせながら振り向けば、まるで別人。誰かが乗り移ったように冷静な視線で、驚愕する黄色い少女を睨みつけた。
「な、なんなんだ、お前は!」
「……」
黄色い少女は予想だにしなかった展開に怯み、空中に浮いたまま固定された大鎌を焦り気味で引き抜こうとする。が、びくともしない。
そうこうしているうちに黄色い少女の体が宙に浮かばせられる。目の前で自分が片手で首を絞めるようにしながらも手を触れずに黄色い少女を持ち上げていた。
(こ、これが、オレの能力なのか? どうなってんだ。……!)
「は、離せ!」
「……」
と、宙に浮かばせられた黄色い少女がもがき、全身から電気火花を散らしはじめたる。
(まずい、アイツ雷まで使うのかよ。って——)
黄色い少女が反撃しようとしたそのとき、目の前の自分の手から何か白いモヤのようなものが全身の骨を殴るような重々しい轟音を立てて噴出し、彼女を吹き飛ばしてしまった。少女は遥か遠くへ飛ばされ、姿も見えない。その隙を突いてか、目の前の自分はシフォンを抱え上げ、どこかへ煙のように消えてしまった。
「ど、どうなってんだ……」
アリスによって見せられていた光景が終わり、元の王の部屋に戻っても、ギアスは開いた口が塞がらなかった。
自分の両手を不思議がって見つめてしまうが、ただの手にしか見えない。とても信じられなかった。




