第三章 『愛という歪み』
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ーー昼休み、クラス内は何ら変わりなくわいわいとお昼を過ごしていた。一部を除いては。
「さっちゃん大丈夫かな……」
「…………」
あの後、保健室に着くなり保健医の先生が適切な処置をしてくれた。親御さんに電話をして迎えに来てもらうみたいだ、と戻った後芹夏たちに"心配はない"と伝えた。
だが、俺には一つ引っかかることがあった。
お昼を食べ終えた後、俺は椅子から立ちあがった。
「俺もっかい保健室行ってくるわ」
「!なら私も一緒に」
「お前今週日直だろ。集めたプリント、昼に持っていくんじゃねぇの?」
「うぅ。そうだった……」
予想通り、後ろにいた芹夏は行くと言ってきた。しかし、あまり人が多すぎると黒百合が驚くかもしれない。芹夏が行くとなったら絶対、他の奴も付いてくる。結果、人が増えるのだ。
そんなこと正直に告げてもこいつは多分信じないだろう。
どこまで鈍感なんだか。
だから平和的解決方法をとった。芹夏のためにもこれが一番良い。
「……心配すんな。お前が心配してたこと、ちゃんと伝えてきてやるから」
なんともやりきれない顔をする芹夏の頭をぽんと軽くたたき、俺は教室を出た。
保健室に行くには他の棟へ移動しつつ1階まで降りなければならない。縁もゆかりもない所であるため不便に感じていなかったが実際、教室から向かうとなると非常に疲れる。
ようやく1階まで降り終え廊下に出ると、目的地に保健医の先生と黒いスーツを着た男が入っていくのが見えた。
(もしかして、迎えが来たのか…?)
後ろ姿しか見えてないが、先生ではなさそうだし親にしてはどうも若すぎる。ならお兄さんかもしれない。でも、スーツだったよな…??
などと頭をフル回転させて考えていると、先生だけが中から出てきた。それに驚き、思わず隠れてしまう俺。
急いでいたのか先生はパタパタと足音を立て、どこかへと走っていった。
それを確認し終え、俺は保健室のドアの前に立った。
帰るのを邪魔するのは悪いとは思うが、芹夏に言った件もあるし、なにより自分の要件を済ませるつもりで来たのだから、と決心し俺はドアに手を掛ける。
まずは中の様子を見るため掛けた手をそっと動かし、中を覗く。
姿は見えない。彼女のいる奥のベットの方にいるのだろう。
すると話し声が聞こえた。が、黒百合らしき人物の声ではなく男の声だけが僅かに耳に届く。
内容は聞き取れない。まあ奥にいるのなら当然だ。
しかし次の瞬間、ハッキリとした言葉を聞き取った。
「幸っ!」
その透き通るも突き刺すような声に身体がビクッと震えた。
一体何が起きたのかと思っていると、黒百合の姿が目に写った。だが様子がおかしい。ふらふらと数歩歩みを進めるとピタッと立ち止まった。その間も男は黒百合の名を叫んでいたが本人は見向きもしない。
そして机上のペン立てにささっていたカッターを手に取り、両手でそれを喉へとあてた。
信じがたい光景だった。
だが男は慌ててそれを止めにかかる。
すると彼女の呟く声が微かに聴こえた。
「…私が死ねばよかったのに 」
そのまま彼女の身体は後ろに傾き、俺はとっさに中へ入る。が、俺の手が届く前に、"彼"の手によって彼女の身体は支えられていた。
行き場のなくした手と自分のした行動に今更ながら恥ずかしくなり、急いで手をさげた。すると、
「…君は誰かな。もしかして幸の知り合い?」
と彼は俺に向かい合い、そう呟いた。
男であるとか関係なく、キレイな人だと思った。
そして一瞬で解った。彼は"こちら側"の人間でない、と。
「あ、はい。同じクラスの難波海也と申します。黒百合さんが帰る前にもう1度だけ様子を見…てくるよう頼まれまして」
嘘をついてしまった。なぜそう言ったのか自分でもよく分からない。
「そっか……悪いけど、幸こんな状態だし直接は話せないね。明日は無理だと思うけど、明明後日ぐらいには学校に行けると思うから」
「わ、分かりました。伝えておきます」
「うん。ありがとう。あ、そういえば自己紹介がまだだったね。俺の名前は柊大和。宜しく」
「よ、よろしくお願いします…」
(柊……ってことは黒百合の家族じゃないのか。だとしたら彼は一体………)
「じゃ、俺らは帰るね」
彼女を抱えドアから出ていこうとする柊さんに、俺はいつの間にか声をかけていた。
「あの!さっきのって…………」
気にならないはずはない。俺なんかが口を出してはいけない事ことだとしても、聞いておきたかった。
「……君には関係ないよ」
笑顔のまま彼は答えるが、感情を読ませない冷たく突き離す目に俺の身体は制せられる。初めて"恐怖心"というものを感じた。
彼は再びドアに向き直し、その場を後にした。
俺の心はますます"モヤ"がかかるばかり。
これが、俺と"柊大和"との出逢いであった___
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初めて逢ったのは7歳のとき。幸はまだ3歳だった。
"柊家"として生まれ落ちたからには『宿命』を果たさなければならない。その為の修行は日々行われ、この時すでに大人たちと混ざっての訓練を行っていた。そんな最中、うちと関わりの深い"黒百合家"との顔合わせに初めて参加させられた。そこで幸と出会ったのだ。
当時の幸はもぬけの殻だった。
初対面の際、俺はこの子の世話を言い任され、それからは幸も柊家で過ごすこととなり常に一緒にいた。
俺と同じく幼い頃から様々な教育を受けており、そのせいでひどく落ち着いていた。
だが彼女の『感情』には欠損があったのだ。
"嬉しい" "楽しい"などの感情表現が乏しく、無表情なため周りの人から気味悪がられていた。
俺はそれが痛いほど苦しかった。"自分を見ているかのようで"
だから必死に幸の感情を"取り戻そう"と頑張り、少しずつ幸は笑うようになっていった。
ただ人の死に関してのみ、『感情』が持てなかった。
***
幸と出逢ってから5回目となる冬のある朝。
俺は日課の組手を庭でしていた。静かな朝の時間は精神統一ができ、いい修行になる。すると遠くから幸の姿が見えた。手を振り、俺の名を呼びながらこちらに向かってくる。俺も振り返そうと手をあげかけた刹那、異変に気づいた。
「幸様っ!!!」
勢いよく走り出し手を伸ばした瞬間、乾いた音が空に響き渡った。一斉に鳥たちが飛び立っていく。
幸を包んでいた身体から力が抜けていくのがわかった。
それでも決して離そうとはしなかった。
ふと幸の顔を覗くと、そこには初めて見る幸の『感情』を目にした。
「…ゃだ。死んじゃ、」
「……さち、さま……?」
「いや…だ…お願、い、だか、ら…"死なないで"」
背中から血が流れてるの見て、幸は態度を変えた。
半狂乱になりながら『感情』を現し、涙を流す。
そして、その『感情』を流す幸の表情にゾクッとした。
"俺だけに向けるもの"
"俺だけに語るもの"
"俺だけを見る『もの』"
全てが愛おしくてたまらなかった。
俺だけが幸の全てなんだ、
幸には俺が"必要"なんだ、と。
その時、俺は"愛情"を知った。
~続く