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私は確かに首に簪を当てた筈。
初めての相手が父親だと知って────世界に絶望して、彼を殺したからだ。
それなのに──────。
どうして、私はこんな所に居るのだろうか…。
「……夜這いにしては血生臭いのぉ……そなたは」
目の前に居る金髪の男の人を見上げて、私は首を傾げてしまう。
キョロキョロと辺りを見渡しても、私が何故此処に居るのかも解らない。
「そなた……喋れるか?」
「……はぃ、貴方様は、どなたでございましょうか?」
「………我を知らぬとな?」
私が今まで見た事も無い華美な装飾の部屋、そして目の前の金髪の男の人。
外国の人だとは、解る。
自分の住んでいた茶屋にも、お客として来ていたこともあったから。
「……申し訳ござんせん、妾は何故ゆえ此処に居るのかも……」
「……そうか…そなたは【神様の御子】かも知れぬのぉ」
「【神様の御子】…でござりましょうか?」
「そなたは変わった喋り方をするのぉ…その黒髪に黒い瞳…その初めて見る奇抜な服……間違いなく、【神様の御子】…つまり、《異世界人》という事じゃ。 まぁ良い。 悪いようにはせんから、湯浴みをしてはどうか…血生臭いからの」
「……申し訳ござんせん…」
自分の姿を見下ろして、私は自分が血塗れのままである事に気付き、いそいそと寝所らしき柔らかな敷物から降り立った。
床から、高い寝所にちょっと驚いた。
「ちょっと待たれよ」
男の人が寝所の頭元にある紐を引っ張ると、少しして扉が静かに開けられた。
「……お呼びでしょうか、陛下」
「あぁ…今日はカンナが寝番か…丁度良かった。 済まぬが彼女、【神様の御子】が現れてのぉ…ちょっと血生臭い状態故、湯浴みを頼みたい」
「まぁぁぁ! 何があったのですか?! まさかっ…陛下、こんな小さな子供に何をしたのですっ!」
「……カンナ、我はそこまで酷い男ではないぞ…」
慌てた様子で私を背に隠すと、現れた彼女は怒ったように男の人を罵った。
だが男の人は怒った様子も無く、彼女の言葉に苦笑して寝所の端に腰掛けた。
「寝ようと思ったら、彼女が突然現れたのじゃ…。その黒髪黒瞳、間違いなく【神様の御子】じゃろうて……とにかく今は彼女の姿が凄まじいことになっておる。 早くなんとかしてやりたいのじゃ」
男の人の言葉に振り返ると、彼女は私を見て驚いたように瞠目した。
「まぁぁぁ! そうですわね! さぁお嬢様、此方にどうぞ! では陛下、失礼します」
「湯浴みが終わったら、此処へ」
「……陛下?」
「大丈夫じゃ、そんなに不安な顔をするでない。 ……怖い思いをしたのじゃろうて…我はそなたを助けよう。 きっと神様がそうするようにと、そなたを我の前に来させたのじゃろうからな」
泣きそうな顔をしてしまったのだろう…。
陛下と呼ばれた男の人に頬を撫でられて、私は小さく頷いた。
「大丈夫、このカンナは侍女の中では一番偉い人間じゃ。 そなたは彼女に湯浴みを手伝って貰え。 着替えは…その服は全部洗うしかないのぅ…。 カンナ、この子に似合いそうなのを、ルシィの所から選ぶ様に」
「畏まりまして。 行きましょう、お嬢様」
カンナと呼ばれた女の人に連れて行かれ、湯浴みをさせられた私は血塗れの姿から見慣れぬ衣装に着替えた。
「陛下、お連れしました」
「……ほぅ…随分と綺麗な顔をしていたのだな。 カトリーヌが喜びそうじゃ」
「そうですわね、王妃様は喜びそうですわ」
全く話が解らないけれども、私はあの世界ではない所に来たらしいことは解った。
この男の人が────、私を助けてくれるらしいのも。
「一人は心細かろう…。 明日皆に紹介するまで、今日はこの爺と一緒に寝ておくれ」
「……はい…」
折角違う場所に来たと言うのに、またもや男の人と同衾……。
私は此処でこの男の人に見放されたら困ることだけは解ったので、恐る恐る近づいた。
「………陛下」
「…なんじゃ、カンナ。あぁもう下がって良いぞ」
「…陛下、彼女はとても小さいんですからね…」
「何を勘違いしておるのかは想像がつくがな…我はただこの子に安心して貰いたいだけじゃ。 あぁ…明日のドレスをルシィの所から持っておいで。 明日、朝食の時に紹介するからな」
「……畏まりまして、ではおやすみなさいませ」
男の人の言葉に頷いたカンナと呼ばれた彼女が部屋を出て行くと、私はどうしたら良いのか解らず困ってしまった。
──────私はこの男の人に…水揚げされるのだろうか?
不安で胸が押し潰されそうになっていると、男の人は寝所に入ってしまった。
「そなた…名前はなんと言う?」
「……アゲハです」
「アゲハか…そなたの名前も考えねばな。 この世界に早く馴染めると良いのだが…まぁ良い、寝るぞ。 そなたも此方へ…」
────────正直怖い。
あの男とは違って、この男の人は体格も良い。
私なんかが暴れても易々と抑え込まれてしまうだろう。
「大丈夫、怖いことは何も無いぞ。 大丈夫じゃ」
「きゃっ……」
焦れたのか、寝所に入った男の人に易々と抱き上げられて、私は簡単に押し倒されてしまった。
「ちゃんと上掛けを掛けて…よしよし、ふぁあ…寝るぞ、おやすみ」
「………、ぉ、おやすみなさいませ…」
私を横に寝かせると、男の人は上掛け越しに私の身体をポンポンと優しく叩くと、呆気ない程に瞼を閉じてしまった。
初めて感じる他人の体温に────、私はいつの間にか寝てしまっていたのだった。