Life Is a Highway
明け方、僕達はバスに乗り込んだ。行先は例によってエミリーが勝手に決めやがった。僕の希望通りシアトルに行くのなら西に向かうはずだが、バスは南に向かって走り出す。まあ、東部に位置するこの場所からシアトルなんて、ほとんど大陸横断だ。バスで揺られながら行ける距離じゃない。確かにシアトルに行くと言うのは現実的ではないからここは妥協した。どうしてもと言い張ったところで、またガキだと思われるのがおちだし。
特に混んでいるわけでもないし、荷物の多い僕はエミリーの隣ではなく後ろの座席に腰を下ろした。窓枠を使って頬杖をつく。反対側の窓からは柔らかな朝陽が差し込んでくる。目を閉じると瞬く間に意識を失った。
ふと目が覚めるとバスが停まるところだった。ハイウェイ沿いのドライブイン、ここで二十分ほど停車するらしい。座席で伸びをして目を擦っている間に、前の席のエミリーは黙って立ち上がり、さっさと乗降口へ向かった。僕も慌てて立ち上がると他の乗客に続いてバスを降りる。トイレを使い、売店に入って朝食を買った。エミリーはベンチでサンドウィッチを食べているが、僕はチョコレートバーをかじる。朝からこんなものを食べていても、誰にも文句は言われない。いい気分だ。
バスに戻り、大きなフロントガラスの上にある時計に目を遣ると七時を少し過ぎたところだった。今頃きっと家では僕がいなくなったことで大騒ぎをしているだろう。父さんも仕事から帰っている時間だ。警察に届けるのだろうか。そのうちエミリーがいなくなったことにも気付くだろう。学校に連絡が行き、これから一時間後には教師も生徒もそれを知る。すぐに僕とエミリーが一緒にいると勘付いて、僕達は噂の的だ。
こんなことをして良かったのかという疑問が湧き上がって来た。もう家には帰れないのだろうか。学校はどうするのか、これからどうやって生活するのか。成り行き次第で、もう二度と家に戻れないということもあるかもしれない。昨夜は別にそれでもいいと思っていた。でも心のどこかでは、そのうち帰ることが出来ると思っている。今までと何ら変わらない生活に戻ることが出来る、と。いったいどちらが正しいのかは分からない。この場合の正しいこととは、どちらが格好いいかだ。とにかくホームシックになって泣くことだけはするもんかと心に誓った。そんなのは格好悪くて最悪だ。とにかく僕は自由を手に入れる。別に今までの生活に何か不満があったわけでもないし、理由なんかないけど。
僕が起こす行動、それはすなわち衝動であって、そこに理由などいらない。こうして家を出る以前の僕は決してそうではなかったけれど、そうありたいと思っていた。その一方で、軽はずみな行動で一生を台無しにしてもいいのかという冷静な自分もいる。同居する矛盾。ぶれ始めた僕の心に、さっき食べたチョコレートと同じくらいねっとりとした不安が纏わりつく。それを飲み下そうと、僕はコーラを手に取った。
バスはいつの間にか州境を越えていたらしい。山の中に作られたハイウェイなんて景色はどこも一緒だ。道路の両側には松や杉が生い茂り、高い建物なんてないから、その上にあるのは青い空だけ。連なる山の峰々はちっぽけな人間達にはあまりにも大き過ぎて、いくら走っても通り過ぎてはいかない。いつになったら別の世界に辿り着くのだろう。
昼過ぎになる頃、バスはハイウェイを外れて片側一車線ずつの道路に入った。しばらく行くと次第に民家が現れ、学校や野球のグラウンドが見えてくる。さらにバスは走り、ブルーフィールドで見た以来の信号に捕まる。教会と公民館のような建物の前にある駐車場にバスは入って行った。バスの発着場であり終点だ。車内を見渡すと、乗客は僕達だけになっていた。
バスを降りるとエミリーはトランクを開け、昨夜旅に出てから初めて地図を開いた。きっとここまでのルートは頭に入っていたのだろう。彼女はどこへ行くつもりなのか、改めてそんな疑問が湧いてくる。エミリーの行動は、とてもあてがないとは思えない。
「ここから出るバスに乗り換えるの……」
エミリーが独り言のように呟き、それを聞いて僕はうんざりしてしまった。朝からずっとバスに揺られて尻が痛くなっていたんだ。
「……でも、バスが来るのはあと一時間ぐらいしてから……」
時刻表と地図を交互に眺めながらエミリーが呟いた。
「じゃあ何か食おうぜ。腹減ったよ」
僕はエミリーの返事を待たず、ここへ来る直前に見えたハンバーガーショップへ向かった。
昼食を終えるとバスの発着場に戻った。しばらくして立っているのにも疲れてくると、ギターケースを地面に横たえ上に座った。エミリーもその横にしゃがみ込む。道路からディーゼル・エンジンの音が近付いてきてエミリーは弾かれたように顔を上げた。しかしやって来たのは黄色のスクールバスだった。道路に顔を向けたままの僕の耳にエミリーの落胆した溜息が微かに聞こえた。
今の自分には無関係なものだけれど、通り過ぎるスクールバスを眺めていると昨日までの生活がすぐに甦ってくる。田舎町に生まれ学校と家を往復するだけの日々。口うるさい両親にお節介な近所の大人達。あのバスに乗っている彼らの生活もそう変わらないのだろう。いつまで経っても抜け出せない。小さな町の小さな迷路の中をぐるぐると回っているようだ。
大きな欠伸が出てきた。段々飽きてきたんだ。いつまで経っても田舎から出られないし、行き先もよく分からない。料理を手伝えと言われて指示されるままに野菜を切っているが「何を作るのか」と訊いても「黙ってやれ」と叱責される。そんな感じで目的が見えてこないんだ。こんなことなら東に向かってワシントンDCで社会科見学でもした方がよっぽど刺激的で手っ取り早い。
「なあ、何か喋れよ。暇だから」
僕の口調にも自然と棘が含む。エミリーは不機嫌そうな目を向けてきたが、すぐ道路に視線を戻した。つまらない女。
「今頃、皆どうしてるかなあ」
こんなことになった原因はお前にあるんだと自覚させたくて、僕はわざと大きな声で呟いた。エミリーは無表情で黙ったままだ。何も感じていないのか。
「お前の母さん、祖母さんの看病で大変なんだろ? いいのかよ、出てきちゃって」
エミリーはしばらく黙っていた。少しだけ顔を俯かせ、きつく口元を引き結んでいる。少し意地悪が過ぎたかとも思ったが、僕の苛立ちもかなりピークに達していた。
「私にだって……私の人生があるはずよ……」
自信無げに絞り出した声は震えていた。エミリーが何を抱えているのか、僕にはまるで分からないし、分かろうとも思っちゃいない。僕もエミリーもそれからは口を開かなかった。




