Jumpin' Jack Flash
ブルーフィールドという町に着いた頃には夜中近くになっていた。駅を出ると辺りは閑散としているが、フィンチャーズ・フィールドとは比べ物にならないくらい大きな町だ。そこそこに高い建物もある。もちろんここが目的地じゃない。ここにはバスの路線もたくさんあるから、もっと遠くを目指すんだ。僕の心は沸き立っているが、四月になったというのに夜はまだ凍えるような寒さだ。ギターを持つ手がかじかんで、手袋をしてくればよかったと悔やんだ。
僕達はとりあえず、バスターミナルの目の前にある終日営業のカフェに入った。早朝に出るバスに乗るため、いわば時間潰しだ。こんな時間でも客はけっこういるもので、僕達と同じようにコーヒー一杯で朝を待つ若者グループや、揉めているのか険悪な雰囲気のカップルがそう広くもない店内に散らばっている。朝になれば皆それぞれの場所へ向かうのだろう。僕のこれまでの生活では、こんな時間にこんな場所にいるのは有り得ないことだった。それでもこうして一晩とはいえ、同じ空間にいる人達に何か運命めいたものを感じる。何たってこれは僕の記念すべき旅なのだから。
「何をニヤニヤしてるの?」
エミリーは冷めた視線で僕を一瞥し、同じくらい冷たい口調で言い放つとさっさと先へ進んだ。知らない間ににやけていたらしい。僕は口元を引き締めると、憎たらしいエミリーの背中に思いつく限りの悪口を小声で投げ掛けた。
僕達は目立たないよう壁際にある隅の席に座った。コーヒーに砂糖とミルクを入れ一口飲んだが、胃がキリキリと痛んでくる。席に着いた途端に眠くなってきたのだ。エミリーはほとんど喋ることなく、目の前のコーヒーを一口飲んではそれを眺めている。こんな退屈な女と一緒にいるのだから、眠くなるのも無理はない。このままでは本当に寝てしまうと思った僕は、カウンターにある鮮やかな緑色のペパーミントゼリーを頼んだ。一口食べたがクソまずい。洗面台にこびりつき、表面の乾いてしまった歯磨き粉を食べているようだ。もちろん、そんなもの食べたことはないけどね。とはいえ、これで多少は目が覚めた。
「それで、バスでどこまで行くんだ?」
もっと早くに訊くべき質問を今になって思い出した。頬杖をついていたエミリーは目線だけを上げて肩をすくめた。
「別に……あてはないわよ」
全く会話が続かない。
行きたい場所がないという割にはきちんと計画をして行動しているような気がする。とにかくあの家を出たかった、そういうわけか。
「そんなにあそこが嫌なのか?」
そう訊いた僕にエミリーは鋭い視線を向けてきた。
「あんな所に居たいなんて言う方がどうかしてるわ」
その言い分は分からなくもないけど、特に彼女はフィンチャーなわけだし。大体、あんなに嫌われてて農場も潰れて土地も奪われたんだから、よそへ行けばいいんだ。ミシェルは結婚してマイアミにいたのだから、病気のお祖母さんをマイアミに連れて行って看病すればいいのに、僕はそう思った。それとも、そうできない理由があるのだろうか。
「そう言えば、お前のお父さんは何してるの?」
エミリーは僕から目を逸らして黙り込んだ。離婚したという噂があるのを思い出し、やっぱり本当なのかと思った時、エミリーがやっと口を開いた。
「……パパには仕事があるの。だから一人でマイアミに残ってるのよ」
「仕事って? 何の?」
再び黙り込んだエミリーに「言えないような仕事か?」と追い討ちを掛けた。フィンチャー家の事情にここまで踏み込んだ奴は僕だけだろう。鼻持ちならない高慢ちき女を追い詰めているようで、何となくいい気分だ。エミリーはコーヒーカップに救いを求めるように両手で包み込み、俯いて口を開いた。
「パパは……CIAなの」
「はあっ?」
思わず吹き出した僕をエミリーは睨みつけてきた。こいつ最高だ。
「何だよ、お前のパパはスパイなのか?」
「仕事の内容は知らない。家族でも教えてくれないの。CIAってそういうものよ」
笑いが止まらない僕をエミリーが怖い顔で睨んでくる。こんな話がまさか本当だとは思えないけど、嘘だと言う証拠もない。エミリーの父親など、誰も見たことがないのだから。
フィンチャー家のことについては色んな奴が色んなことを言っているが、それらを繋ぎ合わせるとこういうことになる。ミシェルは僕らと同じハイスクールを卒業した後、別の州にある大学へ進学しフィンチャーズ・フィールドを出た。金の力で名門大学に入ったとか、そういう悪意のある噂はこの際置いておこう。そしてミシェルは卒業した後も地元に帰っては来ず、そのまま結婚してマイアミで暮らし始めたらしいのだ。結婚式もそっちで挙げたという話だ。ミシェルの父親はそれが気に入らなくて娘と絶縁状態だったというのも聞いたことがある。または、ミシェルの夫が彼女の父親を嫌っていたとか。どちらにしても、父親が死に母親が倒れるまで、ミシェルはフィンチャーズ・フィールドに足を踏み入れなかったのだ。したがって彼女の結婚相手のことなど誰も知らない。
それにしてもCIAとは面白い。まあ、CIAの全員がスパイってわけじゃないだろうけど。とにかく、エミリーの話で僕の眠気は吹き飛んだ。




