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EMILY  作者: 中根 愛
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All I wanna do

 リビングに入ると、母さんはハミングをしながら洗濯物を畳んでいた。僕は冷蔵庫へ直行しオレンジジュースを出す。普段なら直接ボトルから飲むところだが、今日は母さんが見ているからきちんとグラスへ移した。もしこの家を出て自立したなら、こんな面倒なこともしなくて済むだろう。好きなものを好きなように飲めばいいし、食事だって嫌いなものは食べなくても誰も文句は言わない。グリンピースやほうれん草なんか絶対に食べるもんか。ピザだったら毎日でも食べられるし、三食スナック菓子でもいいはずだ。そう考えると、エミリーに持ちかけられた計画もそれほど悪くないと思える。すると、積み上げてある僕の衣類の山を母さんが叩きながら「自分で畳んで片付けなさい」と言ってきた。自立するということは、洗濯も毎回自分でやらなければいけないのだとも気が付いた。

 ショルダーバッグを掛け直し、衣類の山を抱えて階段を上がろうとした僕に「宿題もやるのよ」と、母さんが追い討ちを掛ける。なおざりに返事をし、部屋に入った僕は衣類をベッドの上に投げ出した。クローゼットからナップザックを出すと、ベッドの上の衣類を適当に中へ詰める。全部は持っていけないから、残った服は折り畳んでクローゼットに片付けた。それから母さんの言いつけどおり、というか習慣からか宿題を広げた。でも、すぐに思い直した。こんなもの、やったって意味はない。僕は今夜この町を出るのだから。僕は慣れ親しんだ自分の部屋を見渡した。壁にも天井にもニルヴァーナのポスターが貼ってある。もちろんこれらは置いていかなければいけないが、とりあえずCDだけは、とそれをナップザックのポケットに大事にしまった。


 今夜父さんは仕事だ。そのため夕食は三人で摂った。ソテーしたチキンと山盛りのサラダ。サラダを取ろうとしない僕の皿に母さんが勝手に盛り付けてくる。あからさまに嫌な顔をして無言の抗議をした僕に母さんは、野菜を食べないことで起こる身体への悪影響について長々と説明し始めた。こうなると、皮が香ばしく焼けているせっかくのチキンも美味しくなくなってしまう。毎度繰り広げられるこの展開に飽き飽きしているといった感じで、兄のウォルターは僕にしかめっ面を向けてきた。まあ、こんな夕食も今夜が最後だ。母さんの説教もウォルターからの非難も謹んで受け止めてやろう。

 夕食が終わり部屋に戻って時計を見ると七時半だった。ライアンのガソリンスタンドまでは歩いて十分。もう一度荷物の確認をする。僕は壁に立てかけてあるギターをケースに収めた。やっぱり旅に出るにはギターを持っていなくちゃ。

 これは去年のクリスマスに父さんからもらった。僕が「ギターが欲しい」と言ったら、父さんは思い出したように「確か納屋に一本あったはずだ」と言ったのだ。

「ずい分古い物だから、楽器屋に出して調整してもらっておくよ」

聞けば、そのギターはギブソンだと言う。本当はフェンダーのジャガーが欲しかったのだが、ギブソンだったら文句は言えないと思ったのだ。それから僕は指折り数えてクリスマスを待った。

 十二月二十五日の朝、リビングに飾られたクリスマスツリーの下にギターのハードケースが置かれていた。正真正銘ギブソンだ。ケースにそう書いてある。僕の胸は大きく弾んで、着ていたパジャマが破けるんじゃないかと思ったほどだ。だってCのコードも知らないのに、いきなりギブソンのギターが自分の物になったんだ。しかし喜び勇んでケースを開けた僕の目に飛び込んできたのは、レスポールでもフライングVでもなく、ピックガードに鳥の絵が描かれたアコースティックギターだった。僕は骨が砕けそうなほどガックリと膝をついた。

 念願のギターを手にして言葉も出ないと思っているのだろう。父さんはソファに座り、満面の笑みで僕を見ている。

「こういうのじゃなくて、エレクトリックが欲しいんだよ」

そんなことを言えるはずもなく、「ありがとう」と笑顔を作った。多分、僕の顔は引きつっていただろうけどね。

 どんないきさつがあるにしろ、僕が持っているギターはこの一本だけだ。まだまともに弾ける曲があるわけじゃない。と言うより、僕の好きな曲はこんなギターじゃ弾けるはずもない。それでもこのギターを持っていくことに決めた。机の上のピッチパイプもケースの中に放り込む。これが無けりゃチューニングも出来ない。

 ナップザックを背負い、ギターを提げて静かに部屋のドアを開けた。隣の部屋のウォルターは勉強をしているはずだ。僕のギターの音がうるさいからと、彼はいつも耳栓をしている。それでも足音を忍ばせて階段を降りていくと、一階のリビングから母さんの声が聞こえてきた。

「あら、そうなの? ミシェルも大変よね……誰か手伝ってくれる人はいないのかしら? でも、フィンチャーですものね、他人に頭を下げるなんて出来ないのよ……」

どうやら電話をしているらしい。母さんもご他聞に漏れずフィンチャー家にまつわる噂話が唯一の娯楽みたいだ。まったく、ミシェルが大変だと思うなら自分から進んで助けてやればいいんだ。そんな気はないのに同情して、自分は優しい人間だとアピールしながら遠回しに悪口を言う。大人ってのは、いつもこうなんだ。

 母さんが噂話に夢中になっている間に玄関のドアをそっと開けた。僕が家族に気付かれずに外へ出るのは、思っていたよりも簡単だった。


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