Time After Time
友達もなく陰鬱なまま高校生活を終えた僕は州立大学に進学した。家を出て寮に入ったことで、あの忌まわしい町から開放され安堵したのは言うまでもないだろう。フィンチャーズ・フィールドでは、僕はずっと「何を考えているか分からない変な奴」なのだから。自分から周りに働きかけなかったという落ち度もあるが、誰からも理解されないというのは辛いものだった。しかし町の嫌われ者と逃避行をしたという僕の経験など、新しく知り合った奴らはもちろん知らないわけで、大学では友達もできたし普通に恋愛もした。そして孤独だった日々の間に上達したギターの腕を買われ、幾つものガレージバンドを掛け持ちしていた。
ある日、神のお告げというわけでは決してないが、思い立った僕は大学を辞めてロスへ行くことにした。今度はもちろん飛行機でね。一応事前に実家へ戻り、両親にその旨を伝えた。
「お前がそうしようと決めたのなら、お前の人生だ。好きにしろ」
父さんはそう言って認めてくれたが、問題は心配性の母さんだ。案の定、母さんは驚きに開いた口が塞がらないといった感じだった。それから反対するつもりだったのだろう、目を見開いて息を大きく吸い込んだかと思ったら、思い直した様子で弱々しい溜息をついた。
「こうして報告してくれるだけマシね……」
そう呟いた母さんを見て申し訳ない気持ちでいっぱいになったけれど、たとえ反対されても行くつもりでいた。僕の意思は固かったんだ。
僕はサンセット大通りの近くにある安アパートに住み、ホテルの駐車場係をしながら夜はクラブに出演し、オーディションがあれば受けまくるという日々を三年送った。慣れない都会に戸惑うことも正直あったし、僕のギタープレイをクズ扱いされて心が折れそうになったこともしょっちゅうだった。でも、これが父さんの言っていた「やり遂げなければいけないこと」なのだと言い聞かせ自分を奮い立たせた。
その後、あるシンガーソングライターのバックバンドのオーディションに合格した僕は、一年間に及ぶツアーに同行することが決まった。その時に弾いた曲が『クロスロード』だ。これで僕の人生は変わった。
大人になるうちに子供の頃の大切なものを忘れてしまうのと同じように、幼な過ぎてその価値に気付かないということもあるだろう。父さんからもらったギターも、僕にとってはそのひとつだ。大学に入る頃には昔から欲しかったエレクトリックギターも買った。さらに、これまでに何本ものギターを所有してきた。それでも最初に手にしたこのハミングバードは常に特別な一本であり、僕の手に一番馴染んでいる。もし火事に遭って逃げる時、一本しかギターを持っていけないとしたら、僕は迷わずこいつを選ぶ。
漠然とだけれど、それで人生が終わるんじゃないかと思っていた二十七歳という年齢は、僕にとってはただの通過点だった。その頃はギターを弾くのがとにかく楽しくて、仕事があればどこにでも出かけていった。全米中を駆け回っている間に気が付けば過ぎてしまっていた。そんな感じだ。
念願のシアトルにも行ったし、テネシーにも何度となく行った。その度に路上でプレイしていたあの黒人のブルースマンを思い出す。あの頃の僕には到底あの老人と渡り合うことなど出来なかったが、今ならば臆することなくギターを手に取れるだろう。それはテクニック云々という話ではなく、僕には僕のブルースがある。そう思えるからだ。あの老人とは対照的な真っ白い肌を持つエミリー、十五歳の彼女自身がブルースそのものだったように。
案内板にフィンチャーズ・フィールドの名前が見えると、僕は右にウィンカーを出した。空港でレンタルした車は州間高速道路を下りる。するとすぐにシェパードのものだった元プラスティック製品製造工場が見えてきた。ミシェルへの暴行容疑で逮捕されたシェパードは、その後も不正経理だとか諸々の金にまつわる悪事が暴かれた。そして市長の職を追われると同時に会社も潰れ、今この工場は州都にある製薬会社のものとなり、薬の容器を作っている。
あれから市長は何人も代わったらしいが、かつてのフィンチャーやシェパードのような独裁者はもうこの町にはいない。かといって、久し振りに訪れた僕には、この町は何も変わらないように見える。
「ああ……緊張するわ、もうすぐね。私、あなたのご両親に気に入られるかしら……」
助手席のジェシカが呟いた。僕は道路に積もりかけた雪に気を配りながら「心配いらないよ」と笑ってみせる。
彼女はロスにあるレコーディング・スタジオで受付として働いていた。仕事で何度か出入りするうちに世間話をするぐらいに打ち解け、僕の方から食事に誘った。その後、二年の同棲生活を経て、先月僕のプロポーズに応えてくれた。
彼女は雪のちらつく前方と左右に並ぶカエデの木々に落ち着かなげに視線を走らせている。僕の両親との初対面に不安を感じているようだ。僕はハンドルから右手を離し、膝の上に置かれたジェシカのほっそりとした手に重ねた。
「気を遣う必要はないよ。父さんは車椅子だけど、ほとんどのことは自分で出来るし。電話で君のことを話したら、母さんはとても喜んでたんだから」
僕の言葉にジェシカは微笑を浮かべ小さく頷いた。
十年ほど前のことだ。高校の卒業式があった夜、卒業したばかりのバカ数人が市街地の廃墟でマリファナ・パーティーをやっていたらしい。その時の火の不始末が原因で出火した。瞬く間に広がった火の海の中、完全にラリッた少年が一人取り残されてしまったのだ。父さんはそいつを担いで逃げる途中、崩れ落ちてきた瓦礫に脚を挟まれた。一命は取り留めたものの、左脚の膝から下を失ってしまった。
現場に出られないのなら引退するしかないと考えていた父さんを仕事仲間の誰もが引き止めた。退院後は消防署の署長として部下を指示したり教育したりしている。また、防災意識の啓発活動として学校なんかで講演や指導もするらしい。
父さんが脚を引き換えにして命を助けたバカは、今では消防士として父さんの下で働いている。こうすることが命の恩人に報いることであり自分の天命なのだ、とバカはバカなりに考えたらしい。父さんもこうなったことに後悔はしていないって断言していた。結果的に将来有望な消防士の命を助けたのだから、と。誇り高くて強い男だと思った。やっぱり僕は父さんを尊敬している。
人は誰かと出会い、その度に影響を受けながら自分というものができていくのだろう、良くも悪くも。だからこそ、誰かの志を継ぐのに血の繋がりは関係ないってことだ。ちなみにウォルターは希望通りマサチューセッツ工科大学を卒業し、今は建築関係の会社で防火性に優れた建築資材の研究開発をしている。彼もまた、彼らしく父さんからの影響を受けているんだろうと思う。




