Communication Breakdown
面談から一週間ほどが過ぎた頃、アイアン・シュミットからカウンセリングを受けるように言いつけられた。仕方なく指定された時間にカウンセリング・ルームに向かう。ドアをノックすると、僕の重い気分とはあまりにもちぐはぐな軽い声が返ってきた。
「入って~」
テーブルを挟んだ僕の目の前にいるスクールカウンセラーのオールドミスは、細長い顔に端が跳ね上がった赤いフレームの眼鏡を掛けており、頭のてっぺんには赤茶色の髪が毛糸玉のように丸められて乗っかっている。まるでアニメに出てくる意地悪おばさんのキャラクターみたいだ。しかも紫色のサテンのブラウスに、ぼんやりとした花がいっぱいに描かれたカーテンみたいなごわごわの生地で出来たロングスカートを穿いているから、見ようによっては魔女のようでもある。
オールドミスは僕に待つように言うと、ティーポットとカップを二つトレイに載せて持って来た。そのトレイもティーセットも、まるでどこかの宮殿のティールームにありそうな華美な装飾が施されていて、いったいこのおばさんはどういう趣味をしているんだろうと思わずにはいられない。さらにティーポットから出てきた液体が毒々しいほどに真っ赤で、思わず僕は身を引き、椅子の背もたれに強く背中を押し付けた。
「ローズヒップよ、飲んで。落ち着くから」
僕に勧めながら薄笑いを浮べた口元へ、その怪しげな赤い液体を運ぶオールドミスはまさに魔女そのものだ。僕はどうしてもそのローズヒップティーとやらに手を付けることが出来なかった。何かの動物の生き血に思えてならなかったからだ。
オールドミスはそのごわごわとしたスカートの中で脚を組み、膝に肘を置いて頬杖をついた。口元にしらじらしい笑みを浮べながら僕をじっと見つめる。
「ジェリーって呼ぶわね。さあ、緊張しなくていいから、思ってることを率直に言ってみて」
こんな魔女みたいな怪しいおばさんに本音を打ち明ける奴なんているんだろうか。僕は愛想笑いを浮かべて一応頷いてみせた。
「いったいどうしたの~? 家出なんかしちゃってぇ。何か嫌なことでもあった?」
軽い調子でフレンドリーに話し掛ければ心を開くとでも思っているのか。その重厚ないでたちと全くそぐわない。僕の母さんとそう変わらない歳のくせに、友達みたいな言葉遣いがわざとらしくて余計に警戒心が募る。何かを企んでいるみたいだ。悩み事でも打ち明けたら最後、水晶玉なんか出して僕に悪霊が憑いてるとでも言ってくるんだろう。
オールドミスはティーカップを口に運び、動物の生き血をすすりながら僕を見ている。こんな奴と真面目な話なんか出来るもんか。
「あの、ノリで……」
僕の答えにオールドミスは目尻をひくつかせた。眼鏡が動いたから間違いない。
何となく勝ち誇った気分でいた僕だったが、深呼吸して気分を落ち着かせた様子のオールドミスからお決まりの質問をされ、途端に意気消沈した。
「それで、エミリー・フィンチャーとはいつから付き合ってるの?」
「は? いいえ、別に付き合ってなんかいませんけど」
もちろんだ。僕はあいつのことなんか好きじゃない。だけどオールドミスは含み笑いをしながら身を乗り出してきた。
「あら、付き合ってもいないのに? もしかして彼女に誘惑された? あんたちょっと可愛い顔してるもんね。初体験だったの?」
出た。誘導尋問だ。校長に頼まれたのか、それとも興味本位で自分の知りたいことをただ訊いているだけなのか。とにかく、僕の心の闇を解決しようなんて気はさらさらないのは確かだ。僕に心の闇なんてものがあったとしたらの話だけど。
黙っているのを肯定と受け取ったようだ。僕はただ呆れて言葉を失っているだけなのに。オールドミスは赤紫の口紅に縁取られた口を大きく開けて笑った。
「恥ずかしがることないわよ、みんな通る道なんだから。それにね、あなたぐらいの歳っていうのはそういうものよ。我慢するのは難しいわよね」
バカかこの女。人を性衝動の抑えられない発情期のオスみたいな目で見やがって。しかもそれを楽しんでやがる。僕が本当に性衝動を抑えられないかどうかはローラに訊けば分かるのに。まあ、ローラの方も訊かれたところで答えないだろうけど。一生懸命迫ったのに途中で追い返されました、なんて。
ローラといえば、彼女はやはり怒っているらしい。まともに話もしていないが、今朝ロッカーで彼女に会った。社会科のクラスの準備をしていた時だ。背後に人の気配を感じて振り向くと、腕を組んで僕を睨んでいるローラがいたんだ。両隣に同じように怒った顔の女友達二人を従えて。今日はマライア・キャリーを意識してるのか、ぴったりした黒いTシャツにジーンズ姿だ。パッと見はセクシーだけど、やっぱりあのスポーツブラを着けているのかな、なんて想像してしまう。
「ハイ」
僕が挨拶をすると、ローラはぷいっとそっぽを向いて通り過ぎた。僕が気付くまで待っていたくせに、本当に無意味なことをするもんだ。
「最低だよね、あの男。よりによってエミリーだって、いったい何考えてんだろ!」
「ローラが可哀想よ!」
これみよがしに僕を罵倒することで両隣の友達はローラを慰める。ローラは目元に手をあて、涙ぐみながら頷いている。女友達の友情に感激している様子の彼女に僕は完全にしらけてしまった。あの二人だって本当に怒っているわけじゃないだろう。面白がってるだけってことにローラも早く気付けばいいんだ。
オールドミスは男の生理について熱心に説明している。ほとんど右から左へ聞き流していたが、壁の時計に目を遣るとここへ来てもうすぐ一時間になろうとしていることが分かった。もういい加減にして欲しい。
「あの……」
僕が話を遮ると、オールドミスの眼鏡の奥で目が輝いた。
「何、何? やっと話してくれる気になった?」
「そんなに男のことに詳しいのに、何でまだ独身なんですか?」
さっきよりも大きく顔がひきつった。どうも訊いちゃいけないことだったみたいだ。でも思ったことを率直に言ったまでだ。このおばさんがそうしろって言ったから。
次の授業があるから、と拳をぷるぷる震わせているオールドミスを残して僕は立ち上がった。ドアノブに手を掛けると、オールドミスが投げやりな口調で僕を呼び止める。ソファにふんぞり返り、とうとう本性を現した魔女が、振り向いた僕を疲れた顔で指差した。
「あのさ、エミリー・フィンチャーにもここへ来るように言っといて。彼女とも話をするように言われてるのよね。とにかく来てくれないことには私の立場がまずくなるわけよ。まったく……あんたよりタチが悪いわ、あの娘。頼んだわよ、ガールフレンドなんでしょ」
違うって何度も言ってるのに、自分のタチの悪さには全く気付いちゃいない。僕は黙ったまま肩をすくめて部屋を出た。




