Human behaviour
しばらくすると、僕の二の腕に何か柔らかい物がトントンと当たった。きっとエミリーがバッグの中でも探っていて肘が当たっているんだろう。がさつな女だ。そう思いながら舌打ちをして、僕はさらに窓の方へ身体を寄せた。しかしそれでも肘は当たってくる。出来る限り離れたにも関わらず、さっきと同じ強さで。堪りかねた僕はエミリーを睨みつけるために目を開けた。するとすぐ近くで無表情な青い目が僕を見ていた。エミリーの口が動いているが、カートの暴力的ともいえるギターソロで何と言っているのか全く分からない。それからエミリーは耳を指差した。僕にヘッドホンを外せと言っているようだ。いったい何事かと思った僕は、嫌々ながらもヘッドホンを外した。
「何を聴いてるの?」
開いた口が塞がらない。この女はそんな質問のために僕の耳からカートを遠ざけたのだろうか。いったい何様なんだ。
「ニルヴァーナ……」
とびきり不機嫌そうな声で答えてやった。
もしこいつがカートの死について知ったような口をきいたら「お前に何が分かる」と一喝してやろうと思っていた。実際は僕だって何も知らないのだけれど。
「ふ~ん」
よりによってこいつは何の興味も無さそうな声を上げ、つまらなそうに座席にもたれやがった。イラついた僕がヘッドホンを直そうとすると、エミリーはまたこちらを向いて口を開いた。
「ねぇ、あんたの名前、何だっけ?」
自分は相手の事を知っているのに、相手が自分の事を知らないってのは非常に屈辱的だ。
「……シモンズ。ジェリー・シモンズ……」
まあ、その相手というのは悪名高きフィンチャーなんだから、こいつのことを知らない奴なんてこの町にはいない、とエミリーをこきおろしつつ自分を慰めて自己紹介をした。するとエミリーは見下すような目で軽く頷いたのだから余計に腹が立つ。
「ああ、消防士の息子ね」
確かに僕の父さんは消防士だ。火事が起これば斧をかついで誰よりも早く現場へ乗りこんでいく。町一番の勇敢な消防士として尊敬されていることも知っている。父さんの筋骨隆々な身体は日頃からの鍛錬の賜物だ。僕も兄のウォルターもそんな体格ではないし、はっきり言って火の中へ飛び込んでいくような勇気もない。フィンチャーが市長を務めていた頃、この町の防災にかかる予算を削られ、父さんは先頭に立って抗議したという過去があるらしい。フィンチャーとの直接的な因縁ってやつだ。そのことも父さんがこの町で尊敬を集めている理由かもしれない。その後、市長が変わったからといって何かが良くなったというわけでもないけど。
とにかく、エミリーの態度は本当に頭にくる。自分から尋ねておいて、僕が消防士シモンズの息子だと聞いても反応はこれだけだ。まったく、どういうつもりなんだか。
「ねえ、今夜一緒にこの町を出ない?」
憤慨している僕のことなどお構いなしに、エミリーはとんでもない提案をしてきた。
「はあっ?」
「二人で旅に出るの。そんな勇気ない?」
冷ややかな青い瞳が動揺している僕を捕らえる。そりゃあ、旅に出るとか、こんな田舎を飛び出して都会に行くとか、憧れはするけど僕達はまだ十五歳だ。そんなことが許されるはずはない。僕が突然家を出たら、父さんも母さんも大騒ぎをしてかんかんに怒るだろう。それにしても「勇気がないのか」と訊かれて「はい、そうです」と答えるなんてできっこない。そんなことを言ったら、未来永劫「腰抜け」というレッテルを貼られることだろう。
あれこれ頭を悩ませながらエミリーを窺った。挑戦的な目に浮かぶ薄笑いが見て取れる。憎たらしい奴だ。こいつの思い通りに事が運ぶのは気に入らないけど、「ダサい奴」とか「つまらない奴」などと思われるのはごめんだ。相手が誰であっても。もし僕がエミリーと一緒にこの町を出たならば、皆はどう思うだろう。きっと「何でそんなことをしたのか分からない」と言うだろう。理解を超えた奴、常識じゃ考えられないことを平気でやってのける奴、そう思われるのも悪くはないかもしれない。
「……別に、いいけど」
本来なら、そんな軽い言葉で応えるべき状況じゃないだろう。でも僕が考えうる一番クールな答えだ。エミリーは口元に冷たい笑みを浮かべて頷いた。
「それじゃ、八時にライアンのガソリンスタンドに来て。もちろん店には入らないで、建物の陰に隠れてるのよ」
エミリーが言い終わるのと同時にバスは停まった。学校に着いたのだ。エミリーは立ち上がると、これで良かったのかと頭を悩ませている僕を残して降車口へ向かった。




