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EMILY  作者: 中根 愛
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Taste The Pain

 僕達が数日間かけて辿った道のりも、飛行機に乗ってしまえば僅か数時間だ。何とも言えない虚しさが込み上げてくる。空港からは父さんが運転する車でフィンチャーズ・フィールドへ向かった。助手席に座る僕の耳に、後部座席の母さんとエミリーの会話が聞こえてくる。会話と言っても、ほとんどは母さんが喋っている。それも天気の話とか勉強のことで、敢えて家出の件には触れないようにしているのが伝わってくる。話題に詰まるとルワンダとかボスニアとか、最近の世界情勢にまで及ぶ。あっちこっちへ飛ぶ母さんの話に、エミリーはただ控えめに相槌を打っているだけだった。

 フィンチャーズ・フィールドに入ると、すれ違う人々が皆この車に注目しているような感じがして落ち着かなくなった。僕とエミリーに好奇と非難の目が向けられているんじゃないか、自意識過剰かも知れないけれど、そんな気がして仕方がなかった。外から見えにくいようにと、座席に深くもたれて俯いたままやり過ごす。生まれた時から住んでいるこの町が、なぜだかとてもよそよそしく感じる。


 車はフィンチャーの敷地に入った。旅に出る前に残っていた雪はすっかり溶けて地面も乾いている。家の前で車が停まると同時にドアが開き、ミシェルが出てきた。元々ほっそりしているが、目の辺りが落ち窪んで影になり、かなりやつれているように見える。

 エミリーは僕の母さんに促されて車を降りた。僕は父さんと車に残り、母さんに付き添われたエミリーが家に向かうのを見ていた。するとミシェルは顔を歪ませ、いきなりエミリーの頬を平手で打った。

「どういうつもりなの! 家のお金まで持ち出して!」

ミシェルは僕達家族のことなどまるで目に入っていないかのように泣き叫ぶ。よろけて俯き頬を押さえているエミリーをさらに叩こうとして僕の母さんに止められた。

 その光景から僕は目を逸らした。運転席の父さんは悲しげな溜息をひとつつき首を振っただけだったが、右手はドアの取っ手に添えられている。もし母さんで手に負えない場合は、自分が出て行ってミシェルを止めるつもりなのだろう。不意に静けさが戻り顔を上げると、母さんは泣き崩れそうなミシェルの肩を右手で抱き、左手をエミリーの背中にあてながら一緒に家の中へ入っていくところだった。

 エミリーが失くした財布に入っていたのはこの家の生活費だったと聞き、改めてバカなことをしたと感じた。

「でも、僕のせいじゃない……」

口の中で呟いてみたけど、それで気分が軽くなるほど小さな問題だとは思えない。しばらくしてから出てきた母さんは車のドア越しに父さんと目を合わせ、視線だけで何かを伝え合うと溜息をつき浮かない顔で後部座席に乗り込んだ。僕の前では話せないことなのか、気にはなるけど、他人の心配をしている場合じゃないことは分かっていた。


 自分の家が見えてくると心臓が騒がしくなった。早く中に入って部屋のベッドに飛び込みたい。そこだけが僕のシェルターだ。車を降りると隣のミセス・カーターが出てきているのに気が付いた。このおばさんは特に噂好きで有名なんだ。ミセス・カーターがずり落ちた眼鏡を掛け直し、境界線のフェンスから身を乗り出して僕を見ているのだから居心地が悪いったらない。その状況に気付いた父さんに背中を押され、僕は急いで家の中に入った。

 リビングではウォルターがソファに座っている。最近ではほとんどの時間を部屋で勉強に費やしているのに、珍しいこともあるもんだと思った。窓の外に目を遣ると、母さんがミセス・カーターとフェンス越しに話しているのが見える。口が動いているのはほとんどミセス・カーターの方で、母さんは困ったような顔で頷いたり首を振ったりしている。その様子からして質問攻めに遭っているみたいだ。大方、僕のことだろう。

 ウォルターがソファから立ち上がり、無言のまま真っ赤に充血した目で僕を睨みつけてきた。

「ウォルター……」

僕の騒ぎが彼の勉強の邪魔になったのだろう。謝ろうと思ったのだが、いきなりウォルターに突き飛ばされ僕はしりもちをついた。今までガリ勉のウォルターにはひ弱なイメージしかなかったが、思いもよらない強い力に僕は怒るよりも驚いただけだった。

「何でだよ! 何で相談してくれなかったんだ!」

ウォルターは声を荒げると、バカみたいに呆けたまま床に座り込んでいる僕の脇を通り、階段を駆け上がっていった。

 廊下では僕のナップザックとギターを持った父さんが、自分の部屋へ入っていったウォルターを見上げている。

「警察からお前の居場所が分かったって連絡が入った時、ウォルターは『一緒に迎えに行く』と言ったんだが、父さんが残るように言いつけたんだ」

ウォルターは勉強にしか興味がないと思っていた。勉強時間を削って僕のために何かをしようとするなんて思いもしなかった。立ち上がった僕に父さんは荷物を差し出した。

「ジェリー、お前を一番心配していたのが誰か分かるか?」

 自分の無責任な行動が家族を苦しめていたんだと痛感した。僕の兄弟はウォルターただ一人だし、ウォルターにとっても兄弟は僕だけだ。もし失踪したのが僕ではなくウォルターだったら、どんな気持ちになるだろう。たった二人きりの兄弟の一人が、何の前触れもなく姿を消したりしたら。いったい何に追い詰められていたのかと頭を悩ませ、気付いてやることが出来なかった自分をきっと責めるのだろう。ウォルターは何も悪くないのに。

 両手が塞がっているから流れ出した涙を拭くことができない。僕は父さんの問いには答えられず、急いで階段を駆け上がり自室に入った。見慣れたはずの部屋だが、壁に貼られたカートは冷ややかな視線で僕を咎めているように思えてならない。ナップザックもギターも放り出し、ベッドに潜り込んだ僕は枕に顔を押し付けた。涙も泣き声も、自分じゃ止めることが出来なかった。




 今までのシモンズ家じゃ有り得ないほど静かな夕食が始まった。ポークチョップとポテトサラダ。家族全員の好物で、これが出てくるといつも盛り上がったものだけど、今夜は料理を取り分けるのもお互い控えめに譲り合っている。旅の間中ろくな食事をしなかったせいで胃袋が小さくなったのか、それとも精神的なものなのか、すごく美味しいのに最初に盛った料理を片付けるのにも苦労した。母さんにお替りを勧められても首を横に振ることしか出来ない。皆はそんな僕を心配そうに見ている。こういう時はいっそ怒られて怒鳴られた方が気が楽だ。こうして気を遣われると、どうしていいのか分からなくなる。

「ジェリー、大丈夫なの?」

母さんの質問に僕が何と答えるのか、父さんもウォルターも固唾を飲んで見守っている。僕は頷くと、せっかく皆が集まっているのだからと謝罪を口にした。

「いったい何があったんだ?」

ウォルターに訊かれ、僕は困ってしまった。もっともらしい適当な理由をでっち上げればいいのだろうが、そこまで頭が回らない。

「今は……まだ言えない……」

僕のその答えに母さんは何か言いたげに口を開いたが、父さんが制止すると渋々ながらに引き下がった。その後、三人は食事を再開し、僕は水をちびちびと飲みながら静かな食卓を眺めていた。


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