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EMILY  作者: 中根 愛
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Are You Experienced?

 僕達は警察でこってりとしぼられた。やはり両親は警察に届出をしていたらしい。そしてエミリーの父親がミシェルに電話をし、僕達がマイアミにいるということが分かったのだ。僕には少しホッとしたような気持ちもあり複雑だったが、とりあえずは警察官の一人が差し入れてくれたドーナツで飢え死には免れたことに感謝した。

 夜も遅くなってから父さんと母さんがやってきた。でも僕達の迎えはこの二人だけだ。ミシェルは寝たきりのお婆さんの世話があるから仕方がないとしても、この近くに住んでいるエミリーの父親までもが来ないことに少し驚いた。

「ジェリー!」

顔を見るなり母さんは泣き出し、崩れるように僕にしがみ付くと強く抱き締めてきた。これほどまでに心配を掛けたのかと思うと、僕は罪悪感に苛まれ涙が溢れそうになった。でも椅子に座ったまま無表情でそっぽを向いているエミリーが目に入り、泣くわけにはいかないと何とか我慢した。

 僕はまだエミリーに腹を立てていた。自分の個人的な都合に他人を巻き込んで、その挙句にあの態度だ。しかも、そのことを謝りもしない。僕が旅の間中どんなに酷い目に遭ったか、それもこれも全部エミリーのせいだ。

 涙を拭きながら僕から離れた母さんは、エミリーの前にしゃがみ込むと両肩に手を置き声を掛けた。

「無事で良かったわ。ミシェルがとても心配しているのよ」

そんな言葉にもエミリーは黙ったまま、ただ軽く頷いただけだった。自分の家族が誰も迎えに来なかったことに傷付いているのか、それともただ無感情なのか、僕には区別なんかつけられるはずもない。

 父さんは僕の顔を見つめたまま、何とも言えない表情をしていた。それは母さんと同じような心配の気持ちも感じられたし、怒りや苛立ち、そして僕の軽率な行動を咎めているようでもあった。俯いた僕の目に、父さんの震える握り拳が入った。手の甲には太く青い血管が浮き出ている。消防士である父さんの太い腕で殴られたら、間違いなく僕は吹っ飛ぶだろう。その痛みを想像してみた。フランクに殴られ車の窓ガラスに額をぶつけて気を失った時のことを思い出す。あれとどっちが痛いだろうか。覚悟を決めなければいけないと、奥歯に力を込めて食いしばった。

「ばかやろう……」

予想に反して父さんは震える声で呟くと僕を抱き締めた。驚いたけれど、その腕の中は温かくて堪えていた涙が少しこぼれ出してしまった。それでも泣き声は出さないようにと、唇を噛んで我慢するのに苦労した。


 その夜はマイアミの空港近くにあるビジネスホテルに泊まった。真っ白なリネンが掛けられたベッドが二つにライティングデスクがあるだけの清潔で質素な部屋。僕にはそれだけで充分だ。シャワーを浴びた後にベッドで横になり脚を思い切り伸ばす。父さんが入っているバスルームからのシャワーの音を聞きながら目を閉じたが、眠ることは出来なかった。隣の部屋ではエミリーと母さんが一緒に泊まっている。あの二人が何を話しているのか、話すことなんかあるのか。もしかしたら、母さんもエミリーのあの態度に激怒するんじゃないか。そう思えてならなかった。

 バスルームから出てきた父さんは黙ったまま隣のベッドに腰掛けた。僕に何かを言いたいが、なかなか切り出せずにいるような感じだ。軽く息苦しさすら感じるこの重い空気に耐えかね、どうせ母さんもいないことだし僕の方から口を開いた。

「父さん、怒ってないの?」

父さんは膝の上で両手を組み合わせ、大きく息をついてから頷いた。

「ああ、怒ってるさ。お前とエミリーが皆をどれほど心配させたか、それを考えたことがあるか?」

必死で感情を抑えているような声に僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。こんなことになって本当に後悔している。あんな奴にそそのかされたからって、黙って家を出たりするべきじゃなかった。

 僕が謝罪しようとすると、父さんが苦笑いを浮べて続けた。

「実は、父さんもお前ぐらいの歳の時に家出をしたことがあるんだ」

僕の父さんにそんな経験があるなんて初耳だった。父さんは真面目で正しくて、他人に迷惑を掛けるなんて無縁だと思っていた。いつだって困ってる人を助けるのが父さんだというのが僕の認識だ。なんたって消防士なんだから。

「どうして?」

僕の質問に父さんは恥ずかしげに笑った。

「忘れもしないよ。1969年の夏だ。ウッドストックに行きたくてね。どうしてもジミ・ヘンドリックスが観たかったんだ。でも、お前のお祖父ちゃんに反対されてね。『あんなヒッピーの集まりには行くんじゃない』とか、『黒人の音楽なんて聴くな』って言われてね」

父さんは苦笑いしながら首を振った。

 お祖父ちゃんといえば僕が小さいうちに死んでしまったのだが、可愛がられた記憶しかない。父さんと母さんに頼んでも買ってくれないおもちゃも、お祖父ちゃんなら買ってくれるから、よくねだったものだった。僕には優しかったお祖父ちゃんも、息子である父さんには厳しかったのか。それにしても、父さんが親に反抗していた時代があったなんて何か不思議な感じがする。

「図書館で勉強してくるなんて嘘をついてバスで町を出た。列車に乗っても行き先を間違えたりして、持ってきた僅かな金なんかすぐになくなった。その後は野宿をしたりヒッチハイクをしたり、ずい分遠回りになったけど何とかウッドストックに着いたんだ。けど……」

俯いて言いよどんだ父さんは目線だけを上げて僕を見た。その表情は普段よりも子供っぽく見えて、僕の知らない少年時代の父さんを想像させた。

「着いた時にはもう終わってた。ゴミと泥だらけの広場があるだけだった。ジミも、一度も観ることなく死んじまったんだよな……」

 父さんは寂しげに微笑んだ。その気持ちはよく分かる。僕だって同じ思いを抱えているんだ、カートに対して。

「それから、どうしたの?」

「とにかく金がなくて、近くの果樹園で二日間アプリコットの収穫を手伝った。その頃はベトナム戦争で人手も足りなかったからね、喜んで雇ってくれたよ。それから列車に乗って帰ってきた。親父にはぶっ飛ばされたし、ジミにも会えなくて散々だったけど、後悔はしてない」

そう断言した父さんは、とても強い男に見えた。

「ジェリー、いくら周りから反対されても、男にはやり遂げなければいけない時がある。それがいつ、どんな形でやってくるかは人それぞれだけどね。これが、お前にとってのやり遂げなければいけないことだったのか?」

 僕は父さんの目を見ていられなくなって下を向いた。父さんには目的があったわけだけど、僕にはそんなものはなかったんだ。エミリーにそそのかされて面白そうだから、こんなことをした僕を皆はすごいと思うだろうと乗っかっただけ。とてもじゃないけど、そんなこと言えなかった。

 黙っている僕に父さんは溜息をついてから続けた。

「ジェリー、皆がどんなに心配していたか知って欲しいのと同じくらいに、お前が何を考えているのか知りたいんだ」

知ったらがっかりするだろう。今の僕は後悔の気持ちでいっぱいなんだから。良かったことなんか何一つなかった。あの朝、エミリーが僕の隣に座りさえしなければ。

「ごめんなさい……こうするしかなかったんだ……」

 しばらく重苦しい沈黙が続いた。こんなことしか言えない自分がもどかしいけど、どうしようもない。父さんはゆっくりと上掛けの中に入った。

「エミリーを……傷付けたりはしてないよな?」

穏やかな口調だが、僕に向けられた目は懸念に満ちている。黙ったまま大きく首を振った僕を父さんは食い入るように見つめた後、静かに頷いてベッド横のライトを消した。

 暗くなった部屋のベッドで僕は目をつぶり息を潜めていた。疲れているはずなのに、胸がちくちくと痛くて眠れない。おそらく父さんもそうだと思う。目蓋の裏に映る明かりの残像を眺めながら、この旅に出る前の生活にはもう戻れないのだと気付いた。ほんの数日前のことなのに、僕もそして僕の周りの人達も変わってしまった。目には見えないけれども、確かに何かが変わったんだ。


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