The Sky Is Crying
荷物が詰まった重いナップザックを背負い、おまけにギターまで持っている僕にはエミリーの後姿を見失わないようにするのが精一杯だった。しかも大通りはたくさんの人で溢れかえっている。人ごみなんて慣れてないのだから、追いつけるはずもない。それに、もう腹ペコで倒れそうなんだ。
突然左から歩道を横切ってきた家族連れによって僕はエミリーを見失った。そいつらが通り過ぎた後に彼女の姿はない。僕はエミリーが消えた場所まで来ると辺りを見渡した。右側、車道の向こうはホテルやレストランが軒を連ねていて、夕暮れ時の今の時間は人でごった返している。これからディナーに向かうのだろう、僕が空腹だからそんな風に思うのだろうか、人々の笑顔が憎らしくてしょうがない。
僕の左側には下へ下りる広い階段があった。五段ほどの短い階段の下は海が見渡せる広場になっていて、家族連れやカップルがぶらぶらと歩いていたり、歓声を上げながらスケートボードに興じている少年のグループなどで賑わっている。そして真正面の一番奥、柵の手前に見覚えのあるエスニック柄のスカートが見えた。
エミリーはトランクを足元に置き、柵に両肘を乗せて海を見ていた。そんな彼女を夕暮れ時の赤い光が包んでいる。
「エミリー」
僕の呼びかけに彼女は顔だけをこちらに向けた。父親に会うまでの笑顔は既になく、フィンチャーズ・フィールドで見せるいつもの無表情だ。
「どうしたんだよ? 何で急にいなくなるんだよ」
エミリーは答えない。僕はギターケースを柵に立てかけた。人を追いかけたり捜したりってのは疲れる。ギターがやけに重たく感じた。
「金は? 金はどうなったんだよ?」
我ながら呆れ果てるほど無神経だったと思う。でも、差し迫った一番の問題はそれなんだ。腹が減って死にそうだし、もうすぐ夜になる。マイアミってのは全米でも屈指の犯罪が多い街のはずだ。一晩中外にいるなんて考えられない。
エミリーは短くせせら笑うと僕の方へ身体の向きを変えた。
「もう諦めて。自分で何とかしてよ」
その言葉は僕の怒りに火を点けた。気が付けば、僕はエミリーに向かって怒鳴り散らしていた。
「ふざけんなよ、嘘ばっかりつきやがって! お前の親父がどうにかしてくれるって言ったくせに。だいたい何だよ、お前の親父はCIAじゃなかったのか? それとも、あれは世を忍ぶ仮の姿か? この後は何て言うつもりだ? KGBか? それともゲシュタポとでも言うのか?」
エミリーは僕に蔑んだような視線を向け、肩をすくめると俯いて話し出した。
「もう分かってるでしょ? 不動産の仲買人をやってるわ。昔……パパとスパイごっこをして遊んだの。誕生日やクリスマスの朝、起きると枕元にカセットプレーヤーが置いてあって、そこにパパからの指令が入ってるの。プレゼントを家のどこかに隠してあるから、テープに吹き込まれたヒントを頼りに私が探すのよ」
そんな風に手の込んだ遊びをしてくれるなんて楽しそうだと羨ましくなった。しかもそのカセットプレーヤーが消滅なんかしたらすごいだろう。そんなバカなことを考えてしまった僕にエミリーは続ける。
「確かにパパとママは離婚したけど……パパにもう新しい家族がいるなんて知らなかった……」
そういうことか。それを聞いて僕の怒りは少しだけ収まった。顔を上げたエミリーは柵に寄り掛かり、長い溜息をついた。
「パパは電話番号を変えちゃって連絡取れないし、ママはパパの話はしたがらない……こういうことだったのね。そういえば、あの子……もう喋ってたよね……」
家から駆けてきた女の子、とうに二歳は過ぎているだろう。ミシェルとエミリーがフィンチャーズ・フィールドに来たのは三年前だ。彼らがまだ家族だった頃、あの子は既に存在していたことになる。きっと離婚の原因はそれなのだろう。
「パパの新しい奥さん。私、あの人知ってるわ……パパの会社で働いてた。何度も会ったことある……」
僕には何も言うことが出来なかった。エミリーの独白がまるでメロドラマのあらすじみたいにしか聞こえなかったんだ。僕には大人の事情なんて分からない。大人が自分達のしたことで、どんなに子供を傷付けているかに気付かないのと同じように。
エミリーはきっと、もう一度三人で家族に戻りたかったんだろう。
「ねえ、あの銃まだ持ってる?」
エミリーはその無表情な顔と同じくらい抑揚のない声で訊いてきた。
「頭を撃ち抜いたら痛いのかな? でも、ほんの一瞬よね。その後は何も感じな……」
エミリーが喋り終わる前に、僕はベルトから引き抜いた銃を海へ放り投げた。冗談じゃない。こんな所で死なれてたまるか。海面からは小石を投げ込んだほどの小さな水音がしただけで、銃はあっという間に暗い海に沈んでいった。
「あ~あ……」
銃が沈んだ場所から上ってきた豆粒ほどの小さな水泡を見ながら、感情のない声でエミリーが呟く。
「どうするのよ……もう行く場所なんてないのよ」
「ふざけんな! 自分だけ死んで、その後は勝手にしろって言うのか? 僕はどうすればいいんだよ!」
感情に任せて言い放ったが、これじゃまるで痴話喧嘩だ。でも、もう止めることが出来ない。
「初めからここへ来るつもりだったんだろ? 一緒に行く奴なんて誰だって良かったはずだ! 何で僕を誘ったんだ」
「あんたが一番、扱いやすそうだったからよ」
エミリーは挑むような目で吐き捨てるように答えやがった。爪が掌に食い込む痛みを感じ、僕が拳を強く握り締めているのに気付いた。
「お前、やっぱりフィンチャーなんだな……最低の奴だ」
精一杯の憎まれ口にも彼女は全く動じない。
「それじゃ訊くけど、私がいったい何をしたの?」
言い終わると同時にエミリーは気が抜けたように天を仰ぎ溜息をついた。
「エミリー・フィンチャーさんだね?」
背後から声が聞こえ振り向くと、制服を着た警官が近付いてくるのが見えた。
こうして、僕達の旅は終わった。




