Against All Odds - Take a Look At Me Now
バスが南下するにつれ、エミリーの表情はさらに明るくなっていく。もしかすると、最初から彼女はここへ来るつもりだったのじゃないかと思えてきた。休憩所に着いても飲んだり食べたり出来ないのは辛かったが、あともう少しでエミリーの父親が助けてくれると思うと我慢も出来るってもんだ。
早朝にタンパを出発した僕達がマイアミに着いたのは夕方近くになった頃だった。高層ビルが立ち並ぶ通りをたくさんの人と車が行き交っている。フィンチャーズフィールドでは見掛けないような高級スポーツカーがそこらじゅうに停めてある。路上駐車しているテスタロッサを覗き込んでいると、僕の腕をエミリーが引っ張った。
「早く、こっち!」
あんな車を間近で見たのは初めてなんだ。少しくらいいいじゃないか。僕の抗議を受け流すエミリーだが、その表情は明るい。それもそうだろう、ここは彼女の故郷だ。
南欧風のこじんまりとしたホテルの前でエミリーは立ち止まった。エントランスの横には歩道に面したオープンエアのレストランがあり、おしゃれな格好をしたカップルや家族連れが食事を楽しんでいるのが見える。
「ここ、たまに皆で食事しに来たわ」
呟いたエミリーは懐かしさに目を細めた。彼女のこんな顔はフィンチャーズ・フィールドでは見たことがない。これが本来のエミリーの姿なのかもしれない。
ここでなら父親と離れて暮らす必要などないし、フィンチャーだからといって無視されるということもなかっただろう。フィンチャーズ・フィールドに来る前の彼女は、どんな暮らしをしていたのだろう、と少しだけ興味が湧いた。
海岸線沿いの道路から内陸に向かう。真っ青な空に突き刺さる高層ビル群。それらの建物の間からは輝く海が覗いているからか、圧迫感のようなものはなく開放感に満ちている。エミリーは三年振りの故郷を弾むような足取りで歩いていく。段々とホテルや商業ビルが少なくなり、広い芝生に瀟洒な邸宅が並ぶ住宅街に入った。こんな場所でこんな家に住んでいるのはどんな人達なのだろう。そんなことを考えながらエミリーについて行く。きっと毎日がバカンスみたいなもんだろう。
そこからさらに歩いていくと、もう少しこじんまりした家が立ち並ぶ区域に入った。それでも充分閑静な所だ。エミリーは飛び跳ねるように一軒の家の前で立ち止まった。前面に芝生の庭があり、その奥には白い外壁に大きな窓の平屋建ての家がある。
「ここが……お前の家?」
降り注ぐ陽光が窓を輝かせ、とても明るい感じのする家だ。フィンチャーズ・フィールドのエミリーが住んでいるあばら家とは対角にあるように思える。エミリーは振り返ると口元に笑みを浮べて僕の問いに頷いた。
嬉しそうに我が家を見つめるエミリーと、自分の家がこんな風だったらと羨ましく思う僕の横を一台の白いバンが通り、エミリーの家に入っていった。側面には『パームツリー・リアル・エステート・エージェンシー』と書かれている。不動産屋だ。そのバンは元々停められているシルバーのBMWの後ろについて停まった。
「パパ」
呟いたエミリーは玄関に続く白い石畳に足を踏み入れた。一度だけ僕を振り返ったその顔はどこか誇らしげで、まるで何かの賭けに勝ったような感じに見えた。あるいは、そうだったのかも知れない。
運転席のドアが開いたバンからは古いブルースが流れてきた。エンジンが止まると同時にそれも消えたが、エミリーのブルースの知識は父親からの影響なのだと分かった。バンからは、きれいに整えられた茶色の髪をした背の高い男性が降りてきた。バンに書かれているのと同じ書体の、社名が胸に刺繍されている白い半袖の開襟シャツを着ている。男性は、家の敷地に入ってきたエミリーの顔を覗き込むようにして眉根を寄せた。
「パパ」
「エミリーか?」
感動的な父と娘の再会かと思った。けれど父親は三年振りに会った娘を抱き締めることもしなかった。
「何やってるんだ? こんな所で!」
その声は驚愕というよりも困惑に満ちていた。エミリーは釘付けにされたようにその場で立ち止まった。それから父親は家の前の歩道で突っ立っている僕に目を遣った。
「あの子は誰だ? いったいどうしたんだ?」
ちらっと僕を振り返ったエミリーの顔も困惑していた。てっきり喜んでくれると思っていたのだろう。
「パパ、ママを助けて欲しいの。おねが……」
「パパ!」
突然甲高い声が響き、僕もエミリーも父親も家の方へ顔を向けた。
テラスに通じるガラスの扉。そこから水色のサンドレスを着た小さな女の子が出てきた。茶色のふわふわとした巻き毛に大きな目を輝かせて駆け寄ってくる。
「パパ、パパ! お帰りなさい!」
舌ったらずな言葉を一生懸命に叫びながら、その女の子はエミリーの父親の脚にしがみ付いた。そして目の前にいるエミリーを好奇心に満ちた目で見上げている。
「あなた」
女の子が出てきた扉から今度は女性がゆっくりと現れた。僕の父さんと同じ位の歳と思われるエミリーの父親とは違い、三十そこそこに見える。黒く長い髪をアップにして、丸みを帯びた輪郭に大きな目が印象的なきれいな女性だ。白いゆったりとしたワンピースの腹の部分が大きくせり出している。エミリーの父親はうろたえたようにきょろきょろと視線を泳がせた。
「い、いや……何でもない」
お腹の大きな女性に向かって言い放った言葉に僕は少なからず衝撃を受けた。三年振りに会った娘が何でもないのか。
エミリーは父親から数歩後退った。それから踵を返すと僕の脇を通り過ぎ、来た道を小走りで戻っていく。
「おい!」
父親はエミリーを呼び止めたが彼女は止まらない。僕もエミリーの後を追った。何回か振り返ったが、エミリーの父親は近付いてきた女性に何かを弁解するかのように身振り手振りを繰り返していて、娘を追いかける気配は感じられなかった。




