While My Guitar Gently Weeps
僕達は険悪な雰囲気のまま歩き始めた。辺りはもう暗くなり始めている。行けども行けども町なんか見えない。このままだと泊まる所もない。今夜は街灯もない暗闇の草むらで、朝が来るのを待たなければいけなくなるのか。テントも寝袋すら持っていないのに。今はまだ四月だ。夜は冷え込むだろう。下りてくる夜の帳とともに絶望という言葉が僕を包む。泣きたくなるのを堪えながら、何とか足を前に進ませる。ひとつだけ救いなのは、今夜は月が大きくて僕の周りに広がる草むらを僅かに照らしてくれていることだ。
しばらく行くと道の先が橋になっているのが見えた。鉄製の欄干が緩やかなカーブを描いている。長さはせいぜい百メートルほどの小さな橋だ。そこだけ街灯が点いていて両脇には金網のフェンスがどこまでも続き、その向こうは暗い闇の中に沈んでいる。陸地がそこで途切れているのだ。橋の手前まで来て僕は立ち止まった。というより、足がすくんだと言った方が正しいのかもしれない。橋を渡った向こうは道路の両脇に木が生い茂り真っ暗だ。出来れば通りたくない。引き返すか、それとも金網を伝って別の橋を捜すか。考えながら橋の下を見ると、そこにあるのは川ではなかった。
僕達をここまで導いたのが神だったのか、それともエミリーが四つ辻で出会った悪魔だったのか、そんなことは分からないしどうでもいい。とにかく、緩やかに下る傾斜の底には貨物列車が停まっていたんだ。
僕達は木枠で出来た古びた貨車の中に潜り込んだ。中にはオーツ麦が入った袋がぎっしりと詰まっている。その僅かな隙間に荷物と身体を滑り込ませた。
この貨物列車がなぜ停まっていたのかは詳しくは分からない。何か車両のトラブルか信号機の故障か、そんなとこだろう。貨車の壁と穀物袋に挟まれながら外の様子を窺っていると、やがて列車はゆっくりと走り始めた。
それにしても、ずっと狭い隙間に立っているわけにもいかない。見上げれば穀物袋は天井までは達しておらず、一メートルほどの空間ができている。よじ登り一番上まで行くと下に居るエミリーから荷物をもらい、最後に彼女を引っ張り上げた。オーツ麦が詰まったざらざらとした紙の上が今夜のベッドだ。野宿を覚悟していたわけだから、それに比べるとかなり快適なんだろう。僕は去年の夏にキャンプで使い、そのままナップザックに入れっぱなしになっていたマグライトを出し、天井の板からはみ出している釘に引っ掛けた。朝までには電池も切れるだろうけど、寝入ってしまうまで点いていればいいだろう。ぼんやりとした灯りの下、僕はブーツを脱ぎ横たわって身体を伸ばした。
エミリーは脚を横に流して座り、疲れた顔で俯いている。今日という一日はとても長かった。午前中はアリーのトレーラーハウスでゆっくりしていたが、午後はほとんど歩きっぱなしだ。そして何よりもフランクとの一件があったことが大きい。僕は殴られ怪我をして、エミリーは襲われかけて財布を失くした。いくら高慢ちきなフィンチャーとはいえ、彼女が落ち込むのも無理はない。
揺れる貨車の中で寝転がったまま貨車の天井を見ていると、アリーの顔が浮かんだ。もう仕事は終わったのだろうか、来るはずもないフランクを待っているんじゃないか、と。僕の電話で警察がアリーを見つけ出し、連絡をしてくれていればいいが、その望みは薄いだろう。
「アリー、どうしてるかな……」
エミリーは呟いた僕の方をチラッと見たが、すぐにまた俯いてしまった。知る術がない心配事を口にしたって不安が募るだけだ。言わなきゃよかったと僕は後悔した。
身体はくたくたに疲れているはずなのに、何となく目が冴えて眠れない。きっと神経が尖っているんだ。ふと傍らに置いたギターケースが目に入った。そういえば、旅に出てから一度もギターを触っていない。売ってもいいと思ってはいるが、無性にギターが弾きたくなってしまった。僕は起き上がると、ここ数日でずいぶん傷がついてしまったケースを開けた。あぐらをかきギターを抱え、六本の開放弦を鳴らす。耳障りな不協和音。当然だ、チューニングがひどく狂ってる。暗い中、ケースを探ってピッチパイプを探す。列車の音がうるさくて聞き取りづらいが、何とか六弦のEを合わせた。後は弦同士で合わせていく。六弦の五フレットを押さえ五弦の開放と一緒に鳴らすと、音が合っていないため震えて聞こえる。その震えはネックにも微かに伝わってくるから、それを頼りに糸巻きを回していく。
長い時間を掛けて音を合わせていく僕をエミリーはぼんやりとした目で見ている。別に彼女のために弾くわけじゃないから気にしない。上達の近道はとにかく毎日触ること、と教本を買いに行った楽器屋の店員に言われたのを思い出したんだ。その教本に練習曲として載っていた曲を弾き出す。四つのコードを繰り返すだけなのだが、その中のひとつがセブンスコードで、あまり上手く押さえられない。まあ、これだけうるさい列車の中だから、それほど気にはならないだろう。
この古い曲はずいぶん前にヒットした映画の主題歌にもなった。確か、あれも旅に出る物語だ。僕達と違うのは、彼らは少年四人だったし死体を捜すという目的があったはずだ。僕には何の目的もない。一昨年ぐらいに父さんがレンタルビデオ店から借りてきて家族で観たんだ。映画が終わった時、父さんは鼻をすすって目頭を押さえていた。どうしてあの映画で父さんが泣くのか僕には分からない。特に涙を誘うような内容ではなかったと思う。様々な鬱屈を抱えた少年達の冒険物語。とりわけ印象に残っているのは、走ってくる列車から間一髪逃げる場面と、パンツの中からヒルが出てくる場面だ。
「大人になったら、もう一度見てみるといい」
父さんはティッシュで鼻をかんだ後、僕とウォルターにそう言っていた。大人になれば、父さんが泣いていた意味も分かるということか。歳を重ねないと見えてこないものもあるのだろうか。例えば、この旅の中で僕達が今こうしているこの場面も。でも、僕が父さんぐらいの歳になるには長い長い時間が必要だ。そんな遥か遠い未来のことなんて、今の僕には想像できるわけがない。とにかく、明日からどうしよう。今を凌ぐことで精一杯なんだから。
歌をハミングしながら弾いているが、どうしてもコードチェンジがスムーズにいかない。いつもこうだ。ふとエミリーを見たが、彼女は穀物袋に突っ伏して眠っていた。僕の奏でる音楽が子守唄になったようだ。本当はひどすぎて聴いていられなかったのだろうが、そんなこと構うもんか。これで心置きなく練習できる。




