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EMILY  作者: 中根 愛
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Smells like teen spirit

 あれは1994年4月。カート・コバーンが死んだというニュースが世界中を駆け巡った週末が終わり、学校へ向かうスクールバスの中でのことだった。僕はバスの真ん中あたりの席に一人で座っていた。バスの中では彼の死について話している奴らもたくさんいたが、僕ほど激しい喪失感に襲われている者はいないだろう。なんせ僕にとって彼は神のような存在なのだから。後ろの方でバカ騒ぎしている連中の声を遮るため、僕はヘッドホンステレオのボリュームを上げた。CDに残る彼の声は永遠だけれども、もう新しい曲を聴くことはできない。結局、一度も生であの声を聴くことは叶わなかった。僕は深い溜息をつき、窓の枠に肘を載せて外に目を遣った。

 バスは僕の家がある住宅地を通り越していた。周りには所々雪が残る何もない土地。実際は広大な農場だった場所だ。アパラチア山脈の中にあるこの州では珍しく、ここには平原が広がっている。かつてはこの辺り一帯を牛耳っていたフィンチャー一族の農場跡だ。この町の『フィンチャーズ・フィールド』という名前の由来にもなっている。自分の名前を町につけるぐらいだから、彼らの先祖がどれほど高慢ちきだったか想像がつくってもんだ。

 バスは停まった。僕の溜息で曇りがちな窓を覗くと、元農場の入口に生徒が一人立っていた。エミリー・フィンチャーだ。フィンチャー一族の末裔。彼女は三年前に母親とここへやって来た。どういう事かというと、エミリーの母親であるミシェル・フィンチャーは結婚してマイアミに住んでいた。農場はミシェルの兄が継ぐ予定だったが、彼は十年前に死んでしまったのだ。独身のまま。なんでも、車の運転を誤り極寒の川へ落ちてしまったらしい。その後ミシェルの父、つまりエミリーの祖父が病死して農場は潰れてしまったのだ。そして三年前にエミリーの祖母が倒れ、今は寝たきりになっている。その祖母の世話をするために帰ってきたのだ。ま、これは全て他人から聞いた話だけど。

 エミリーがバスに乗ってきた。雪のように白い肌に大きな青い瞳。ブロンドの長い髪は後ろで輪っかにして束ねられている。しなやかな直毛のせいか、シンプルな髪型でも野暮ったくは見えない。黒いタートルネックのセーターの上にはムートン調のコートを着込んでいる。エミリーは中央の通路に立ち、無表情で車内を見渡した。空いている席を探しているのだ。バスの席はほとんど埋まっていた。ただ、二人掛け用の座席に一人で座っている者も多い。僕もその一人だが。でも誰もエミリーのために席を空ける者はいない。

 フィンチャー家はこの町の人間から嫌われているのだ。かつてこの地域で栄華を極めたその一族は威張りくさっていた。彼らは何代にもわたり市長まで務めた。特にエミリーの祖父はかなり傲慢な人物だったらしい。しかし、跡取りを失いフィンチャー家は衰退の一途を辿り、ついには市長の座も奪われた。新しく市長になったのはプラスティック製品会社の社長であるシェパードだ。フィンチャー家の敷地も今はシェパードのものになっている。嫌われ者の有力者が没落したらどうなるかは想像がつくだろう。それまで利益がらみでおべっかを使っていた連中は見向きもしなくなる。それが大人達のやり方だ。別にエミリーが何か悪い事をしたわけじゃない。ただフィンチャー一族は無視するというのがこの町の慣習なだけだ。 

 通路を進んでくるエミリーはいつもの無表情だ。それもそのはず、彼女には友達なんていない。いつも一人でいる奴が、楽しそうにへらへらと笑っていたらそれこそ変だろう。学校の生徒達も、おそらく親からの刷り込みというのか、フィンチャー家の人間に自らすすんで話し掛ける奴はいない。エミリーも人懐こい性格ではないようだから、彼女はいつも一人なのだ。

 そのエミリーが事もあろうに僕が座っている席で足を止めた。冗談じゃない。こんな奴と友達だと思われたら陰で何を言われるか分かったもんじゃない。それに僕は今、喪に服しているんだ。誰も近寄らないでくれという雰囲気を醸し出しているつもりなのに、それが分からないのだろうか。

 僕が無視を決め込んで窓の外を眺めている間に、とうとうエミリーは隣に座ってしまった。前の方に座っている奴らが振り向いてこっちを見てやがる。でも、ここで「隣に来るなよ。どっか行け!」と言うのも何だかガキっぽい気がする。とりあえず嫌そうな顔でエミリーを睨んでみたけど、彼女は真っ直ぐ前を向いていて僕の方なんか見ちゃいない。

 エミリーとは科学のクラスが一緒なだけだ。一度だけ実験で同じグループになったことがある。

「この水溶液はいつ入れるんだっけ?」

「今じゃない?」

交わした会話はそれだけだ。こんなの会話とも言えるものじゃない。それなのに、何で彼女は僕の隣なんかに座るんだ。大体、エミリーが着ているコートは分厚くてかさばるんだ。彼女の身体は突き飛ばせば折れそうなほど細いのに。まったく、狭くてしょうがない。雪も溶け出してきて春が来たというのに、こんなに厚いコートを着ているなんて。やっぱりマイアミなんて所から来た奴には、ここの寒さは堪えるのだろうか。

 僕はエミリーのコートによって座席の背もたれに押し付けられた左腕のカーディガンの生地を摑み、これ見よがしに強く引っ張って身体を窓の方に寄せた。彼女は初めてこちらに顔を向けたが謝ることもしない。僕は腕を組み目を閉じてヘッドホンから流れてくるカートの声に集中しようとした。

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