Janie's Got a Gun
暗い暗い瞼の裏に、僕は色んな人の顔を思い浮かべていた。父さんと母さん、それにウォルター。三人とも心配そうな表情を浮べている。
「僕は大丈夫だから」
そう言おうとしたけど、身体がだるくて口が開かない。学校の友達は、ロッカーの前で僕とエミリーを冷やかしたことを申し訳なさそうに後悔している。気にするなよ。僕が旅に出たのは、お前に冷やかされたことが原因じゃないんだから。教師達は一様に頭を抱え、黒い肌のブルースマンは劣等感にさいなまれる僕の心を見透かすような笑みを浮べる。アリーはそんな僕を明るい笑顔で元気付けてくれた。自分は深い悲しみを抱えているにも関わらず。そしてエミリーの顔が浮かんだ。彼女は苦痛に顔を歪ませている。
「いや! やめて!」
エミリーの叫び声が聞こえて僕は瞼を押し上げた。途端に光が目を刺す。右側の額に鋭い痛みが走った。手を当ててみると何か濡れている。指先を見てそれが血だと分かった。半分ほど開いていた窓の縁も赤く汚れている。フランクに殴られた拍子にそこで額をぶつけて切ったのだ。血は乾いていないから、気を失っていたのはほんの短い間だろう。
窓の外の景色は動いていない。車は停まっていた。運転席にフランクの姿は見えず、ドアは大きく開け放たれている。
「離して! ジェリー、助けて!」
再びエミリーの声が響き、僕はひどく痛む頭を押さえながら後部座席を振り返った。押し倒されたエミリーの上にフランクが圧し掛かっている。エスニック柄で細身のロングスカートが膝までまくれ上がり、エミリーは手足をじたばたと動かして抵抗している。しかしあの細い身体では到底フランクに力で敵うはずもない。
この時、僕の頭の中にはエミリーを助けなきゃとか守らなきゃとか、そういう考えはなかった。こんな男の好きにさせてたまるか、それだけだ。僕はグローブボックスを開け、隠してあるリボルバーを出した。撃ったことはないが、実弾の入っていない銃なら友達の家でいじったことがあるし、『マイアミ・バイス』も毎週見てた。
「やめろ!」
銃口を後部座席に向け撃鉄を起こすと、エミリーを組み敷いたままのフランクが顔を上げた。
「なんでそんなもん持ってんだ? やめとけ、お前みてえなガキに撃てるわけがない」
僕が目を覚ましたってのに、エミリーを襲うのをやめようともしない。獣かこいつ。
「全部嘘なんだろう? 戦争に行ってたってのも。旅人だってのも。何が自分を見つめ直すだ! 何が家族の絆だ! アリーまで騙しやがって……」
喉を痛めつけながら喚き散らした僕をフランクの怒鳴り声が遮った。
「うるせえ! 青臭せえこと言ってて反吐が出そうだったぜ。こっちは一ヶ月もあの寂しい女のどん底の身の上話聞かされて慰めてやったんだ。何が悪い? イーブンだろう!」
何よりもこの男に一時でも憧れた自分が情けない。僕は引き金を引いた。正しくは、怒りに震えて指が勝手に動いたんだ。
小型とはいえ反動は驚くほどで、弾は後部座席の上を通過し、リアウィンドウの上端に掌ほどの蜘蛛の巣みたいな傷を作った。硬質な発射音が耳にこだまし、やがて自分の息遣いと心臓の音がそれに被さってくる。その後にエミリーの悲鳴が響いた。フランクは目を見開いて顔色を変えている。僕が本当に撃つとは思わなかったようだ。
「分かった……分かったから、もうやめろ。撃つな」
「エミリーから離れろ!」
僕の言葉に従い、フランクは両手を挙げるとゆっくり上体を起こした。エミリーは慌ててその下から這い出し、自分の身体を抱き締めるようにしてドアに寄った。
「オーケー、お前の彼女に手は出さない。だから銃は下ろせよ。これはアリーの車だ、これ以上壊すな」
フランクの声は穏やかだが、額からは汗が噴出している。じっと僕を見据える目は、隙を作ればすぐに襲い掛かろうと狙っているに違いない。僕はこの男から銃口を外さないようにトランクの開閉レバーを引いた。エミリーに外へ出て荷物を出すように伝えると彼女は黙って頷き、まごつきながらドアを開け外に出た。別に僕は冷静でいたわけじゃない。怖くてたまらないのをフランクに悟られないようにするので精一杯だった。
「アリーに自分がしたことを白状して謝罪しろ。彼女から盗った物を返せ。それからこの車の修理代を渡して、彼女の前から消え失せろ!」
「……分かった。お前の言うとおりにする。だから撃たないでくれ」
こいつが本当にそうするとはとても思えない。でも、もうたくさんだった。これ以上その顔を見ていたくなかったんだ。
エミリーがトランクから全ての荷物を出したのが分かると、僕は助手席のドアを開けて外へ出た。もちろん銃口はフランクのくそったれに向けたままだ。頭に手を載せて様子を窺っていたフランクは、僕がドアを閉めると身を屈め、急いで運転席と助手席の隙間へ身体をねじ込んだ。
ドアの閉まる音がどこへともなく吸い込まれると、辺りはとても静かになった。人はおろか通り過ぎる車もない。風に乗り、新緑の青く強い香りが漂ってくる。その中で荷物を足元に佇むエミリーは、銃を持って出てきた僕を不安そうに見ていた。
車内に目を凝らすと、汚れたリアウィンドウ越しにフランクが運転席へ移動したのが見えた。再び辺りに人気がないのを確認し、リアウィンドウに一発打ち込む。フランクが弾かれたように首をすくめるのが分かった。銃声はすぐ風に流されていったが、車内から大きな悪態が聞こえてくる。車自身もこれ以上傷付けられてはたまらないと思っているのか、咳き込むようなエンジン音を響かせると同時に黒い煙を吐き出して急発進した。アリーのポンティアックはその後も加速を続け、あっという間に見えなくなった。