Rainy Day Women
「悪いわね、助かるわ本当に」
アリーと名乗ったその女性は運転席の横で車を押しながら振り返った。開いたドアから伸ばした彼女の腕はハンドルを操作する。僕とエミリーは後部から車を押している。そのポンティアックはガス欠だった。この先、一マイル弱の所にガソリンスタンドがあるらしい。一緒に車を押したら、近くの駅まで送ってくれるということで合意したのだ。
辺りが暗くなってくるのと同時に、空気もひんやりとしてきた。それでも車を押す僕もエミリーも汗だくだ。
「がんばって! あと半分よ!」
明るい声で振り向いたアリーも既に息があがっている。
「何で私達はこんなことをしてるわけ?」
そう問いたげな視線をエミリーが僕に向けてくる。無理矢理ノックスビルを出た僕を責めているようだ。自分だって早く出たがっていたくせに。自分のことを棚に上げる癖があるエミリーに一言文句を言ってやろうと大きく息を吸い込んだ時、空気がずい分と湿気を孕んでいるのに気が付いた。最初は自分が汗だくのためかと思った。でも次の瞬間、ポンティアックのトランクがバタバタを音を立て、そこで弾かれた水飛沫が僕の顔を襲ってきた。雨が降ってきたのだ。
「ちょっと、ちょっと! 何やってんの、早く車に乗って!」
絶望的な気持ちで空を見上げる僕とエミリーに、開いた運転席のドアの横でアリーが手を振りながら叫んだ。
窓の外側を大量の雨が流れ、時折行き過ぎる車のヘッドライトが車内を照らす。どうせ通り雨だろうからと、止むまで車の中で休憩となった。大粒の雨が屋根を叩きけたたましい音を立てるが、アリーの明るい笑い声はそれを上回る。僕達は旅の途中であることを打ち明けたが、歳は十八だと嘘をついた。アリーは一瞬疑わしそうな目を向けてきたが、すぐに笑顔に戻り「まあ、いいわ」と頷いてくれた。彼女はとてもきさくで打ち解けやすく、他人に気を遣わせないタイプの女性だ。
「それで、二人は恋人同士なの?」
アリーに尋ねられ、助手席に座った僕と後部座席のエミリーは同時に否定した。それがあまりにも揃っていたものだから何だか気恥ずかしくなって顔を見合わせると、アリーは楽しそうな笑い声を弾けさせた。勘違いしているようなのでそれを正したいが、言えば言うほど誤解を招きそうなので諦めた。
雨が小降りになってきた頃、僕の腹の虫が盛大な音を立てた。昼にホットドッグを一つ食べたきりで、その後は歩き続けた挙句に車を押したのだ。そりゃあ腹が減って当然だろう。
「その中にチョコレートが入ってるわ。開けてみて」
アリーが僕の目の前にあるグローブボックスを指差した。僕は礼を言いながら、カセットテープやら紙やらで乱雑なその中をチョコレートを求めて探った。すると天井部分に何か硬いものが当たり、僕の手の甲の上にもたれかかってきた。それを摑んで出すと銃だった。小型のリボルバーだ。アリーが気まずそうに苦笑いをした。
「護身用なの。前に私がウェイトレスをしてる店に強盗が入ってね。その時はお金だけ取って出て行ったんだけど、それ以来怖くなっちゃって……」
その気持ちは分かった。フィンチャーズ・フィールドは小さな町だから犯罪こそ少ないものの、山の中にあるから常に野生生物の脅威にさらされているんだ。熊なんかを追い払うため、家に銃を置いている家も少なくない。アリーはグローブボックスからチョコレートバーを出し、僕が眺めている銃を指差した。
「許可を取ってない銃だから……しまっておいてくれる?」
ボックスの中の天井を探ると金具が出ていた。最初に隠してあったように、僕は銃をその金具に引っ掛けた。
一本のチョコレートバーを半分に折り、片方をエミリーに渡すとアリーが尋ねてきた。
「それで、旅の終点はどこなの?」
「それは……」
僕は後部座席のエミリーを振り返った。彼女が何か言うかもしれないと思ったからだ。しかし俯いてチョコレートをかじっているだけ。この期に及んでもまだ言わない気だ。
「特に決めてないんだ」
アリーはハンドルに肘を載せて頬杖をつき、僕の答えに頷いた。
「あてのない旅ね……ところで、今夜の宿くらいは決めてあるの?」
「あ……ううん」
僕が首を振ると、アリーはにっこりと笑った。
チョコレートを食べ終わると雨が止んでいることに気が付いた。再びガソリンスタンドを目指して三人で車を押し始める。空から雨粒は落ちてこないとしても湿気をふんだんに含んだ空気は重く、息が上がってくるとまるで水の中にいるようだ。
ようやくガソリンスタンドに着いた時には三人とも汗だくになっていた。
「今日はうちに泊まっていきなさい。狭いけど」
給油口にノズルを差し込みながらアリーが言い、バンパーにもたれて座り込んでいた僕とエミリーは顔を見合わせた。金がない僕にとっては、とてもありがたい申し出なのだが、そんなことをしてしまっていいのだろうか。その戸惑いはエミリーも一緒らしい。眉根を寄せ、僕とアリーを交互に見ている。
「でも……」
返事を言い淀んだ僕をアリーは手を振って遮った。
「宿は決まってないんでしょ? 私は全然気にしないわよ、むしろ大歓迎。賑やかになるしね。あ、それとも二人きりでいたいなら、無理にとは言わないけど」
冷やかすような口調に僕達は慌てて首を振る。アリーはその反応が楽しいのか、大きく口を開けてケラケラと笑った。底抜けに明るいが、人をからかう癖があるらしい。普段から反応の薄いエミリーでさえ、彼女の言動に慌てている。まったく困った人だ。でも憎めない。
給油が終わったアリーは支払いを済ませると公衆電話へ向かった。彼女は電話の相手に、客を連れて行くから夕食は二人分追加してくれと依頼した。僕達を連れて行ったら家族がびっくりするんじゃないかと質問すると、アリーは微笑んで首を振った。
「家族じゃないわ……そうなってくれたらって思ってるけど」
ということは、電話の相手は同棲している恋人なのだろう。
「私達、邪魔じゃないですか?」
エミリーが質問した。この女もこうやって他人に気を遣うことができるのだと感心していると、「元々は私の家だし、彼も全然気にしてないわ」とアリーは笑いながら僕達を車へ促した。