表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
EMILY  作者: 中根 愛
13/33

Inferiority Complex

 路地から抜け出し大通りに出ると、知らない間にエミリーが隣に並んで歩いていた。ずっと息を止めていたように感じて息苦しくなり、深呼吸した僕を怪訝そうな顔で見ている。だけど何も言わずにいきなりあそこから立ち去った理由など打ち明けたくない。僕はエミリーから目を逸らし無言で歩き続けた。

 不意に音楽が聴こえてきて顔を左に向けると、ビルとビルの間にきれいに整えられた芝生が広がり、その奥に白い建物の教会があった。そこからゴスペルが聴こえてくる。大きな手拍子と流麗なハーモニー、見事なまでの歌声は光を孕んで大きく膨らみ、広がりながら天空へ上っていくように神々しく響く。でも、今の僕はそれを聴いても荘厳な気持ちにも神を讃える気にもならなかった。この街の誰も彼もが優れたミュージシャンに思える。ギターなんか持ってこなきゃ良かった。この時ばかりは本気でそう思った。ほとんど弾けないのだから。いや、これまではそう思っていたけど、さっきの老人のギターを聴いてからは違う。ほとんどどころじゃない、僕はギターなんか全く弾けやしない。通り過ぎる人達はこの僕をどう思うのだろう。弾けもしないのに親に高いギターを買ってもらった白人の小僧、そう見えているのに違いない。しばらくここに滞在しようなんて考えは瞬く間に消え失せた。

 気が付けば川に掛かる橋の真ん中に立っていた。テネシー川、これを下ればどこまで行けるのだろう。地理なんてそれほど得意じゃないから分からないが、ミシシッピ辺りだろうか。それこそ冗談じゃない。ブルースの聖地だ。そう考えて笑いが込み上げてきた。もちろん楽しい笑いじゃない。この状況を客観的に見ている自分がいて、小さくて無力な僕を嘲笑ってるんだ。

「やっぱりここを出よう」

隣で黙って川面を眺めているエミリーは、僕の言葉に再び怪訝そうな目を向けた。

「何で急に意見が変わるの? それにどうやって?」

「もう飽きたんだよ、この街に。ヒッチハイクでも何でもいいから、とにかくここを出たいんだ」

強がりだと言われても、本音など明かせない。絶対に譲ることができない僕の決心を察したのか、エミリーは肩をすくめただけで足元に置いていたトランクを持ち上げた。


 それから僕達はローカル線に乗り、なんとか街の外れまでやってきた。長距離列車は大抵予約が必要だし、身分証明書の提示を求められる場合がある。もしかしたら親や学校が警察に届け出ているかもしれないのだ。そんな危険は冒せないし、だいいち金がない。

 電車を降りた僕達は、ハイウェイの端を歩きながら車が通るたびに手を上げる。しかし停まってくれる車はない。厚い雲の向こうにぼんやりと見える太陽は、既にかなり西に傾いている。歩き続けるうちに民家もまばらになってきた。街中に居る時は気付かなかったが、結局ここも山の中なのだ。起伏の激しい道、両側には木が生い茂る暗い森。夜になっても乗せてくれる車が現れなかったら、いったいどうなるのか。そんなことを心配するにはもう遅かった。今さら戻れやしない。

 また一台車が素通りしていった。確かに見ず知らずの人間なんて乗せたくないのも分かる。僕にしたって、乗れたら乗れたで不安もある。相手がどんな人間かなんて分からないのだから。

「ああ、車があったらなあ……」

思わずそんな言葉が口から出る。エミリーは黙ったままだ。

「大体さあ、お前は何で僕を誘ったわけ? どうせ旅に出るなら車持ってる奴を誘えば良かったんじゃないのか?」

その誘いに乗ったのは自分だが、エミリーの選択が間違いだったのだということにしたかった。

「それって年上ってことでしょ? 上から物を言われるのが嫌なのよ」

エミリーは常に同い年である僕に上から物を言っていると思う。こいつはそのことに気付いていないだろうけど。

「例えばさ、グレアムなんかいいんじゃないの? 車はあるし、金もたくさん持ってるだろうし」

「グレアムって……グレアム・シェパード?」

エミリーは確認すると鼻の頭に皺を寄せて嫌悪感を露にした。そういえば、グレアムはフィンチャー家の家主の息子だ。もちろん二人も面識はあるのだろう。それにシェパードがフィンチャーの家に出入りしていることも町の皆が知っている。シェパード本人は家賃の回収と婆さんの見舞いだと言っているらしいが、社長で市長も務めている忙しい身でわざわざ本人が集金になど行くだろうか。だからこそ、ミシェルがシェパードの愛人だ、なんていう噂が立つんだ。突然エミリーは吐き捨てるように短く笑った。

「あいつ嫌いよ……」

意外だった。女の子なら誰だってグレアムみたいな奴が好きなんだと思っていた。あのサンダーバードで好きな所に連れて行ってくれるだろうし、何でも買ってくれそうだし。まあ、金持ちが皆気前がいいとは限らないだろうけど。

 それからしばらく歩いたが、エミリーの表情はグレアムの名前を出した時から変わっていない。不機嫌なままだ。

「あいつ臭いのよ。変な香水つけてるの。あいつのオヤジも。あの匂い嗅ぐと吐き気がするのよね」

エミリーはさらに顔をしかめた。フィンチャー家の人間だから、もちろんシェパードを嫌っていて当然だろう。事実、シェパードが市長になってからフィンチャーズ・フィールドの町で立派になったものといえば、市長が社長を勤めるプラスティック製品会社の社屋と自宅だけだというもっぱらの噂だ。

「もしかしたら、グレアムの車も全部プラスティックで出来てるのかもな」

僕のやっかみにエミリーは吹き出した。

「そうそう。あと、あの親子の脳みそもね。あの会社で作ってるタッパーと同じ、趣味の悪い黄緑の水玉模様よ」

「オエッ!」

この旅に出てから二人で笑い合ったのは初めてだった。


 それは、まばらにあった沿道の民家もなくなり、草の生い茂る空き地が広がる場所を歩いている時だ。僕達の前方の路肩に立ちふさがる車があった。それは十年落ちぐらいの古びた青いポンティアックだ。その横で女性が一人、車に寄り掛かって頭を抱えていた。僕とエミリーは顔を見合わせながらも、そのまま進んでいく。ちょうどポンティアックの後ろに来た時、後方から恐ろしく車体の長いトレーラーがやって来た。そのポンティアックが邪魔で通れないため、トレーラーをやり過ごすのに僕達はそこで立ち止まった。ウェーブのついたブラウンの長い髪、合皮のジャケットに花柄の膝丈スカートを身につけた女性は、僕達の気配に気付いたのだろう。そばかすの浮いた顔を上げると、髪の色と同じブラウンの瞳を輝かせて笑った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ