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EMILY  作者: 中根 愛
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Rock This Town

 一時間が過ぎてもバスは来ない。エミリーはしゃがむのを止め、今では地べたに座って膝を抱えている。風が吹くたびに薄緑色をしたプラタナスの葉が揺れ、その間から強い西日が僕達に差し込んでくる。こんな場所に座っていたら、眠くなるのも当たり前だろう。僕は頬杖をついて目を閉じた。その時、道路のほうからクラクションが聞こえた。

「ちょっと! あんた達!」

目を開けると道路に停まったセダンの窓から黒人の中年女性がこちらへ身を乗り出しているのが見えた。

「どこへ行くバスを待ってるんだい?」

エミリーが立ち上がり、地図を見ながら目当てのバスの路線名を告げた。その途端に黒人女性は顔をしかめて大きく首を振った。

「そのバスなら待ってても無駄だよ、最近廃線になってね。しょっちゅうストライキをやってるかと思ったら、とうとう無くなっちまった。まったく、こっちは病院へ行くのに使ってたってのに。車を買わなきゃいけなくなってローンを背負い込む羽目になったよ」

呆然とするしかない僕達を残し、洗いざらい不満をぶちまけたその女性は気が済んだのか走り去ってしまった。

 僕達は同時に顔を見合わせると溜息をついた。

「聞いたか今の? どうするんだ?」

エミリーは眉間に皺を寄せ、細めた目で地図を睨みつけている。ひっきりなしに爪を噛んでいるから、きっと相当焦っているのだろう。そんなエミリーの様子に僕は内心でほくそ笑んだ。何でもかんでもこいつの言うとおりになんて動きたくはないんだ。大体、来るはずもないバスを一時間以上も待つなんてバカもいいところだ。何もかもエミリーのせい。この埋め合わせに、今度は僕の望む所へ行ってもらおう。

「どうせ行くあてもないんだろ? ここから行けるでっかい街を目指そうぜ」

 僕の提案にもエミリーは黙ったまま、深刻な顔で地図を見ている。さっきから彼女には目的地があるような気がしていたが、これではっきりした。それがどこなのかは、訊いてもどうせ言わないだろう。それでも今は予想外の事態に陥っているんだ、僕の提案に従うしかないのはエミリーにだって分かっているはずだ。しばらくして彼女は諦めたように渋々頷いた。

 僕達は、これから三十分後に出発する西に向かうバスに乗った。バスに揺られている間中、エミリーは不機嫌そうに口を引き結んでいた。でも、そんなこと僕は気にしない。やっと旅らしくなってきたんだ。思う存分この状況を楽しませてもらおう。それに、どこか大きな街まで出れば、そこから先の選択肢だって広がってくる。そう思っていた。




 僕達が乗ったバスはテネシー州に入った。もうすっかり夜も更けた頃にノックスビルという町に着いた。近代的な高い建物もあり、今までで一番大きな町だ。多くの人で賑わうメインストリートを歩いていると、あちこちからブルースが聴こえてくる。ギターケースを持って歩いている僕も、いっぱしのブルースマンに見えているのかもしれない。ブルースなんて辛気臭いと思っているから、ほとんど聴いたこともないけれど。

 早朝から移動を続けてきた僕はへとへとに疲れていて、いかがわしくも猥雑なこの夜の街を楽しむ余裕などなかった。それに今夜はどうしてもベッドで眠りたい。椅子の上じゃ疲れなんか取れないってことがよく分かったからだ。

 ダウンタウンの外れにあるモーテルに入るとツインの部屋を取った。疲れきった顔が実際の歳よりも老けて見えるのか、フロントのお爺さんは何も言わずに鍵を出してきた。本来ならシングルの部屋を二つ取るべきだったのだろうし、そうしたかった。でもシングルの部屋よりもツインの料金をエミリーと折半した方が安いのだ。僕の所持金は五十ドルと僅かばかりの小銭だけになっていた。これは庭仕事や雪かきなどをして少しずつ貯めてきた僕の全財産だ。なるべく節約を心がけ、落ち着いたらどこかでアルバイトでもしなければいけないだろう。

 部屋がある二階へ続く階段を上がる間、エミリーは怪訝な顔で僕を見ていた。彼女が何を警戒しているのかは大体想像がつく。だけど冗談じゃない。僕は疲れきっているんだ。とてもそんな気は起きない。それにエミリーのことなんか、これっぽっちも好きじゃない。誤解もいいところだ。

 お世辞にも綺麗とはいえない薄暗い部屋。壁はタバコのヤニで濃淡のある黄色に染まり、汚れで曇った窓からは交互に切り替わる赤と青のネオンの光が映っている。ギターとナップザックを置いた僕はそのままバスルームに行き、久し振りだと思えるシャワーを浴びる。ずしりと重くなった身体にこびりついた汚れと疲れを洗い流すために。家にいれば当たり前にできること、ベッドで寝るとかシャワーを浴びるとか。でも旅に出たらそうはいかない。それにどこかへ行くのにも全て金が掛かる。改めてそのことを実感した。

 トレーナーに着替えた僕がバスルームを出ると、ライティングデスクに突っ伏していたエミリーが顔を上げた。もちろん彼女もシャワーを浴びたいのだろうが、まだ警戒しているようだ。僕はGジャンを羽織ってポケットに財布を突っ込み、食べ物を買ってくると言って部屋を出た。

 通りを渡ったところにあるファーストフード店でフライドチキンとポテトを買ったが、女の風呂が長いことは分かっている。少し街中をブラブラすることにした。ネオンに彩られた通り。軒を連ねる幾つものバー。その前にたむろする酒に酔った人達。フィンチャーズ・フィールドではほとんど見かけない黒人やスパニッシュも多い。治安が良さそうだとはとても思えないが、疲れていて感覚が麻痺しているのか、不思議と恐怖は感じなかった。

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