75:さすがにちょっと恥ずかしかった。
皆が時間を稼いでくれている間に必死で頭を巡らせる。
そもそもの話、これは私が受けたちょっと特殊な転職クエストだ。
壁を埋める本に囲まれた銀葉の庵で、私に示された道。私はあそこにあった本を全て読んだ。それなら、きっとあの中に答えがあるはず。
「モンスター図鑑ではない……あれらに載るボスはそう多くなかったしの」
この図書館にあったのは、ファトス地方からフォナン地方までの図鑑だった。
今まで通った図書室で既に読んだ本もあったが、こちらの本はそれよりももう少しだけ記述が増えていた。
そのために一応読み返したけれど、こんなふうにころころと姿を変えるボスモンスターなんて載ってはいなかったはずだ。もちろん普通のモンスターにも該当する記憶はない。
「そうなると別の本じゃろうが……ううむ」
読んできた本の数は多いが、どれも中身はそんなに詰まってない。本の種類として多かったのは国や地方、街や村、種族に関する記録や旅行記、民話とかだろうか。本に詰める中身に困って適当に書いたような物語なんかも多かったけど……物語?
「そうか、物語か」
モンスターが出てくる物語や歴史書は結構あったはずだ。大きな街を襲った竜の話や、山のように巨大な亀と出会った旅人の話などなど。
記憶を辿り、読んだ本を頭の中で次々開く。そして私はついに、一冊の本の内容をはっきりと思い出した。
「わかったぞ! 此奴の正体は……!?」
私がその名を口にし掛けた途端、ピロン、と聞いたことのない電子音が響いた。そしてそれと共に私の視界の端に見慣れない青いバーが現れ、思わず言葉を止めてしまった。
「ウォレス、どうした!?」
不自然に言葉を途切れさせた私をミストが振り返る。
いや、ちょっと待ってね。何これ……何か、バーの左脇に『語り部パワー』とかいうどことなく間抜けな言葉が書いてあるんだけども。
ええと、ヘルプ……ヘルプは!?
視界に浮いたそれに指を伸ばして触れると、その横に小さなハテナマークが出る。それをつつくと詳細が出てきた。
『スキルチャージバーについて:特定のスキルを使用した際、指定された条件に当てはまる行動をとることでこのバーにエネルギーがチャージされます。そのチャージの%でスキルの威力が変化します。特定の行動の詳細はそのスキルによって異なります。このスキルはチャージがMAXになった際に自動で発動します。それ以外はバーをダブルタップすることで任意で発動が可能です』
青いバーは僅かにその左端が赤くなり、右脇には3%という表示。特定のスキルに、特定の行動……ってことはこれは……。
「それっぽく語って、チャージをせよ、と?」
そう小さく呟くと、数字がピコンと2%になった。
減ったし……うむ、わからん!
そもそもそれっぽくって何!? ジジイっぽくってこと? それともかっこよく?
「もう少しわかりやすく頼む……」
「ウォレス、まだー!?」
考え込む私に、もちスライムを持ち上げて返しながらユーリィが叫ぶ。
うう、もうちょっと待って!
私は慌てつつ、思い出した本の内容をもう一度頭の中でおさらいした。この本に出てきたモンスターについて、語り部っぽくかっこよく語れということだと思うんだけど、それがまず難しい。
あとちょっと恥ずかしい気がする。
いや、普段からジジイのロールプレイをしてるんだから今更っていえば今更なんだけど……語り部っていうのが謎すぎて困る。
「とりあえずやってみるべきか……皆、此奴の正体はかつて水の都を騒がせた魔物じゃ! 名を――」
そう語りつつスキルチャージバーを見ていると、バーの赤は私の言葉と共にジリジリと右に伸びていく。しかしその伸びはいまいち遅く、言葉を止めると全体の一割行くか行かないかというところで止まってしまった。
「ちょっとウォレス、続きは!?」
「ちょ、い、しばし待たれよ!」
9%って、何その微妙な数字!? 思わず言葉遣いが彷徨っちゃうじゃん!
何か足りないってことなのかな……よくわかんないし、多少でも上乗せがあるなら良しとしてこのまま進めるべき?
「妥協……いや、なしじゃな」
上乗せがわかるかどうかも微妙な、そんな半端な数字で妥協するなんて私らしくない。
私なら……ウォレスなら、もっといけるはず!
かっこよく、何かこう、知識を語る老魔道士っぽく……うん、この際恥ずかしさとかはゴミ箱にポイだ。
あ、そうだその前にスキルなんだし、あれが使えるかも!
『――来たれ来たれ、秘密の護り手、宵闇の子供。紡がれし記憶、語られし言葉、全ての叡智はその帳の中に。我らが育みし技は、其の帳を潜り力を持つ。届け、闇の囁き。スキル指定、汝、語り部たれ!』
スキルの効果を上げる呪文を急いで唱え……ようとしたら語り部ゲージが微上昇したので、ちょっと詠唱速度を落としてなるべく重々しく唱えた。
ピコン、と音がして私のスキルに魔法効果が掛かったというログが視界の左下に現れる。これで準備は良し。さて、上手く行くかな。
銀葉の庵で読んだ本の内容を思い出しながら、語るべき言葉を考える。右手に持った杖を何となく大きく振り上げ、私は口を開いた。
「書は語る――その昔、麗しき水の街セーヴルにて異変あり。突如として街のあちこちで魔物が現れ、無力な住人たちが日に日に連れ去られたという」
魔法を一つ唱えた後、唐突に語り出した私を前にいた仲間たちが不思議そうに振り返る。
ちょっと今こっち見ないで恥ずかしいから! と言いたいところをぐっと堪え、必死で何でも無い顔をしながら、左手の人差し指を立てて口の前に運び、静かに、と合図をした。
皆は怪訝そうにしつつも頷き、敵に向き直ってまた防御や牽制に戻ってくれる。
それにホッとしつつ、私の視界に映る語り部パワーが少しずつ伸びてゆくのだけを見つめてさらに言葉を続ける。
「その魔物は霧を身に纏い、対峙した者らの心を盗み、幻を映し出す。それ故に、魔物を追った者たちはそれぞれが違う魔物だったと語り、街には混乱が広がっていった」
私が語るごとに語り部パワーとやらが少しずつ溜まり、同時に敵の姿に変化が起こった。
大トカゲの体の周りに少しずつ、薄らとした白いモヤのようなものが現れてきたのだ。
「なんか白いの出てきた!」
「ウォレスの言う通りなら、霧かしらね?」
スゥちゃんとユーリィが戦いながらそう話し合っているが、多分当たっていると思う。
巨体を取り巻くように現れた霧と思しきモヤは少しずつ色を濃くし、やがてざわりと動いてトカゲを包み込んだ。そして、トカゲの姿がトレントへと変わる。
「本体は霧なのか? っと、危ね!」
横合いから襲ってきた木の根をミストが防ぎ、少し下がる。
早くしなければという焦りを堪え、私は次に言うべき言葉を探しつつさらに声を張り上げた。
「謎の魔物は街を守る騎士たちを大いに惑わせ、時には罠に掛け命を奪った。恐怖と嘆きが広がり、暗雲に包まれた街を救ったのはふらりと現れた旅の騎士と魔道士だった。魔物の正体を推測した魔道士レンドルは自らを囮として敵をおびき寄せ、現れた魔物を前に呪文を唱えた――」
と、ここで攻略法を兼ねた、かっこいい(多分)演出を挟む!
補助陣起動、と小声で呟き、杖の先で円を描く。円は二重に、そして真ん中に十字の印を書き加え、杖の先をその陣に触れさせて呪文を唱えた。
『来たれ来たれ、光の子、その小さき羽根に光宿し、我を包む闇を照らしたまえ。光の衣を二重に纏い、その輝きで昼をも照らせ。灯れ、導きの光!』
高く上げた杖の先に眩い光が灯る。
小さな明かりを灯すだけの魔法は補助陣によって視界を白く染めるような強さに変わり、周囲を明るく照らしだす。
「皆、離れよ!」
私がそう叫ぶと、スライムの周りにいた全員がザッと後ろに飛び退く。一瞬振り向いたミストは眩しい光に目を細め、慌ててまた前を向いた。
光に照らされたスライムがもにょりと身を捩り、丸い体のあちこちから白い煙を吐き出すように霧で包まれる。しかし私が杖を掲げたまま前に出ると、強い光を浴びて霧は徐々に色を薄めてゆく。そしてついに、その向こうに隠れた黒い魔物の姿が照らし出された。
よし、ゲージは……くっ、まだもうちょい足りてない! えっとえっと、何かかっこいい感じのセリフ……!
「現れたな、セーヴルを襲いし邪悪なる賢き獣、ブルノックよ!」
姿を見せたのは白い紙に墨を落としたような肌の、馬っぽい生き物だった。
ケルピーと呼ばれる魔物に似ているが、下半身も一応馬で、尻尾が魚のヒレのようになっている。たてがみや耳の後ろにも同じようなヒレがあり、何だかちょっと中途半端な感じの姿だ。
口からは鋭い牙が覗き、その間から白い霧を吐いて威嚇している。
「汝はその正体を魔道士レンドルに暴かれ、騎士トーレスの剣によって街を追われた。今はただ逃げ隠れする惨めな獣に過ぎぬ。その右胸には騎士トーレスが付けた古傷が未だある。火を嗤い、水を愛し、風を友とす、汝が敵は土。その土に埋もれて消え去るが良い!」
って本に書いてあったから、多分弱点ってことだと思うんだけど。
で、ここで渾身のドヤ顔を決める!
ピロロン! と軽快な音が鳴り響き、突然私の体が強く光った。その光はパッと散ったかと思うと仲間たちへと飛び、皆の体を青白い光が包み込む。
「うわっ、ウォレス、何したんだ!?」
「何これ? バフ?」
私の語り部パワーとやらが100%になったんだよ……と説明する時間が惜しいし言いたくない。
目の前で高く嘶き、足を踏みならして威嚇する魔物に杖の先を向け、隣に立つミストに顔を向けた。
「皆、今じゃ! ミスト、剣で右胸を狙え!」
「お、おうっ!」
私の声に押されてミストが前に走り出し、その後を追うように残る皆も駆け出す。
杖に灯る光はそのままに、私はまた魔法を唱えた。
『踊れ踊れ大地の子、優しき揺り籠、命の運び手。その緑の御手に、地を行く全てを絡み取れ。縛せ、大地の鎖』
ミストたちを蹴ろうと持ち上げかけた馬の前足が太い蔓に絡め取られる。馬は当然暴れようとしたが、バフの掛かった私の魔法はそう簡単には破れない。
その隙に銃弾とクナイが足を狙い、大きくバランスを崩した体にミストの剣が突き刺さる。
悲鳴を上げたその頭や首元に、スゥちゃんの斧とギリアムのメイスが鋭く叩き込まれた。
さて、私ももう一仕事。
『集え集え大地の子、其は転がる礫、荒ぶる巌。大地を駆ける慈悲なき武者よ。その行く手を塞ぐ全てを押し潰せ。降れ、岩の拳!』
ブルノックが弾けるように消えたのは、それから少し後のことだった。
大変遅くなってすみません!
転職編の終わり、すごい難産でした……。
もうちょっとだけ続きます。