64:補助輪二段構え
「……なるほど、そうくるか」
「冷静に感想を言われると辛いのだがの……」
私の視界に入るのは、しなやかに伸びる木の枝とそれを覆う銀の葉、そしてその手前にフワフワ浮いている私の杖と、覗き込むアカシアの姿。
アカシアは面白そうにひっくり返った私を見下ろし、うんうんと頷いた。
「いや、感心していたのだ。その技能は多少身体能力が劣っていてもそれを補うだけの特殊なものなのだが」
それは私がそれでも救いようがない運動音痴だと暗に言っているのだろうか。頼むからそんな事に感心しないでほしい。
何となく悔しくなって、勢いを付けて起き上がる。
RGOは基本的に痛みのないゲームだ。腰ほどの高さから落ちて地面に背中を打ち付けても多少の衝撃があるだけで痛くは無い。痛いのはみっともないところを見られたという心の方だろう。
「もう一回じゃ!」
浮いたままの杖をもう一度手に取り、今度は慎重に両手でしっかり捕まえて乗ってみ――
「お、う、この、わ、あわわっ!?」
――ようとしたのだが、またバランスを崩してどしゃりと背中から落っこちた。
「ぐぬぬ……!」
すぐさま起き上がり今度はローブの裾をまくって跨いで乗ろうと足を上げた。
これなら、何とか……と思ったのだが。
ちょっ、何かふらふらする!
杖を跨いでしっかりと両手で握り、地面から足を離したところまでは何とかなった。
しかしその途端杖がふらふらと左右に揺れ、ついでに私も左右に揺れ――最後には握った杖ごとぐるんと半回転して頭が地面を擦り、帽子が落ちて傍に転がる。位置固定してあるので斜めに被っても帽子は落ちないはずなのだが、さすがにひっくり返ると落ちるらしい。新しい発見だが、残念ながら全く知りたくなかった。
完全に逆さまになったところで力尽きて手が離れ、また私は地面に背中を付ける羽目になった。
「ここまでとは……」
「ぐぬ……」
私だってここまで運動音痴とは思わなかったんですけど!
スキルだっていうなら、使ったらするっと嘘みたいに上手く乗れるようにしとくべきなのではないのか!!
あまりの不親切設計に地面に寝転がりながらジタバタと駄々をこねたい気分を堪えて小さく唸る。
今ウォレスじゃなかったら絶対やっていたところだ。ゲームでまで何をしても運動がダメだなんて……!
歯がみしていると、不意にホホッと誰かに笑われた。
「おや、ソフィア」
アカシアが振り向いて呟き、少しばかり高度を上げた。
私の上にはまだ杖が浮いたままだったが、そこにバサリと大きな羽音と共に、影が差した。
バサバサと羽ばたき杖の上にふわりと降り立ったのは、いつも置物のように木の下の止まり木に止まっていた、大きなミミズクだった。
私はそのミミズクの姿に思わず目を見開いた。いつここに来てもミミズクはちらりとこちらを見るだけで身動きもせず、ほとんどの時間目を瞑って寝ていたのだ。
その為に、私はこのミミズクを半ば背景や飾りのように感じてしまっていた。それがまさか動いて飛んでくるだなんて。
しかも悔しいことに、浮いた杖の上でバランスを取って揺らぎもしていない。
ミミズクは半身を起こした私を見下ろすと、またホッホ、ホホゥと笑うように鳴いた。
『おかしなエルフだこと。こんな物にも乗れないだなんて』
喋った。
というか、喋れるなら、やっぱり今の鳴き声は笑われてたのか……!
いや、私だって一応エルフだから敏捷とか器用の値はそれなりにあるんだよ! あるだけ疑惑がすごいけど一応あるの!
「そんな事を言うものではないよ。まぁ、知に特化したような者にはたまに……稀に、ある事ではないかな?」
自信なさげなアカシアのフォローが辛い。
「すまないねウォレス。彼女はソフィアと言うのだが……私と同じ、知のある場所を愛し、住み着いている存在だ」
ソフィアと呼ばれたミミズクはアカシアの言葉にまた可笑しそうに鳴くと、くるりと首を回して私を見下ろした。
『面白いものを見せてもらったわ。だから、私からも贈り物をあげる』
「……贈り物かの? しかし、貰う謂われは」
『この場所を気に入って住み着いたけれど、新しい人も随分来ないし、このところ退屈だったのよ。だけど貴方、たまに私にも食べ物をくれたし。それに、なかなか面白かったわ』
確かに、ここのテーブルでアカシアとお茶をしている時に起きている彼女と目が合い、なんとなく気が向いて、持っていた肉や魚をお裾分けしたことが数回ある。もし食べるならやってくれとアカシアに渡したんだけど……。
しかし最後のは、どういう点が面白がられているのか、知りたいような知りたくないような。
そんな複雑な気分でソフィアを見上げていると、草むらに座り込んだ私の膝の上に何かがぽたりと落ちてきた。コロリと転がった細長い何かを手に取ってみると、それを見ていたアカシアとソフィアが面白そうに顔を見合わせくすりと笑う。
「これは……豆?」
「それは、銀葉の種のさやだね」
『やっぱり面白いわ。貴方、銀葉にまで同情されたのね』
「いや、お礼かもしれないよ。ウォレスは時々肥料を分けてくれたから」
銀葉と言われて私は上を見上げる。頭上にあるのは、銀葉アカシアの木の枝葉だけだ。この木が私に種をくれた、ということだろうか?
手にした細長いものは、豆をさやごと薄く引き延ばしたような形をしていた。所々ぷくりと膨らんでいるので、そこに種が入っているのだろう。
そういえば、街中で受けたクエストの報酬に何故か肥料というのが入っていた事があって、それを持ってきた事もあった。
多分アレは農業とかの生産をしている人向けの報酬だったんだろう。私には必要ないので、これも気が向いた時にアカシアに良かったら使ってくれと渡した記憶があるけど……。
「その種を、杖に当ててごらん」
アカシアの言葉を聞いたソフィアが羽ばたき、杖から離れて木の上に止まる。
私は立ち上がって、言われたとおり手にした豆のさやを浮いたままの杖にピタリとくっつけた。
変化は一瞬で、幻想的に現れた。
さやは杖に触れた途端銀色の光を放ち、パカリと二つに割れて中から何粒もの種が転がり落ちる。落ちた種は地面には向かわず、杖の周囲に浮いたまま次々に芽を出した。
「おお……?」
その芽はたちまち細い若木となり、お互いに枝を絡め合って、杖の周りに広がってゆく。やがて数本の若木はくっつき合って一本の枝となり、白木の杖の下半分を包むように絡みついて変化を止めた。
手に持つのに邪魔にならない程度に繁った銀色の葉が白木に絡んで色を添え、それはそれで、初めからそんな杖だったかのような風情がある。
「これは一体……?」
「これが君が乗る時の補助をしてくれるということだろう。ふむ……若木よ、下に足場を作る事はできるかね?」
アカシアが枝に声を掛けると、杖がふわりと立ち上がる。今まで横に浮いた杖が斜めになり、その石突き部分を包んだ枝がパキパキと音を立てて広がって、足を載せる台のような物が出来上がった。L字が少し傾いて斜めになって浮かんでいる、と言えばわかりやすいだろうか。
「ここに足を掛けて、しっかり掴まってごらん」
「う、うむ……」
ちょっと躊躇いつつも、勧められるままに杖の上の方を握り、L字の短い部分にあたる足場に足を掛けてみる。幸い杖の下部は低い場所で浮いているので、乗りやすい。
「お、さっきよりは……ど、どうにか!」
ちょっとふらふらするが、どうにか足場に両足を載せて杖に縋ることで浮くことができた。
するとソフィアがホホッとまた笑う。
『へっぴり腰で、見てられないわねぇ。銀葉に先を越されたけれど、私からも贈り物よ』
そう言うとソフィアは顔を上げて、ホッホウ、ホッホウ、と音高く鳴いた。
するとどこかから、再びバサバサと羽ばたく音が聞こえてくる。
「おや……ソフィアは君のことが随分気に入ったらしい」
上を見上げたアカシアに釣られふらふらしながら羽音のする方を見ると、ソフィアとはまた違う別のミミズクが一羽現れ、ふわりとこちらに下りてきた。
そのミミズクはバサバサと翼をはためかせながらぐるりと木の上を一周し、そして私の元にやってくる。驚いて見ていると、ミミズクは私が縋る杖の先端の蛇の頭を掴むように足を掛け、ふわりと降り立った。
「え……おお?」
ミミズクがもたらした変化は劇的だった。ゆらゆらと不安定に揺れていた杖がピタリと止まり、私の体までもが何故か安定したのだ。
杖に両手で縋っていた体を試しに起こしてみてもそれは変わらず、私は杖に片手で掴まり、枝が作る足場に危なげなく立って浮かんでいる事が出来た。
「す、すごいなこれは……」
『それなら何とか乗れそうね。この子は私の孫なのよ。外に興味がある子だから、その子を眷属として連れて行くと良いわ』
え、それはまさか。
『名を! 名をよこす!』
孫と言われたミミズクは甲高い、少年のような声でそう私に呼びかけた。
「名を……ええと……ではやはり君たちは、『賢き獣』の一つであるという事なのかの?」
『ええ、そうよ。眷属を持つ資格を得た者にだけ、私たちはそれを明かし、語りかけるの』
なるほど。それで、今までは何度会っても知らんぷりだったのか。
納得してミミズクをもう一度見上げる。多分彼であるのだろうそのミミズクは、孫と言うだけあってソフィアとよく似た姿形をしていた。
体はソフィアより一回りか二回り小さいが、銀を帯びたような白と灰色の中間くらいの羽色に、胸に少しだけ黒い羽が散らばっているところはそっくりだ。
賢そうな光を宿した金色の瞳は、好奇心に煌めいているかのように見えた。
「わしと共に来てくれるのかね?」
『行くよ! 外、行く! 杖乗るの、手伝う!』
言葉はまだ不慣れなのか、ソフィアのように流暢ではないがそこがまた可愛いような。
『その子はまだ若いから言葉は少し拙いけれど、賢い子よ』
「沢山話しかければすぐに上手くなるさ」
「そうか……では、君の名は『ウィズ』でどうだろう。ウィズダムからとって、ウィズだ。わしの名はウォレスじゃよ」
『あら、良い名ね』
『ウィズ! ウィズ、良い名! ウィズ、ウォレスと行く!』
「良く似合っているよ」
少々安直かと思ったが、ソフィアからもアカシアからも合格点が貰えたようだ。
すると、その直後にワールドアナウンスが響いた。
『眷属を初めて得たプレイヤーが現れました。眷属システムの詳細については公式サイトをご覧下さい』
うむ、相変わらず雑なアナウンスだ。名前も詳細も何一つ告げないところがすごい。私のような人間の場合、それが逆に助かるのでいいけど。
しかし私が初なのか……。
「外ではウィズはどうなるのかの?」
「基本は君と常に行動を共にするよ。目立つのが嫌なら、ウィズは姿を消す魔法が使えるからそれを使ってもらうと良い」
『ウィズ、人多い、苦手! 隠れる、得意!』
それは助かる。じゃあもっと眷属持ちが増えるまではそうしてもらおう。
「せっかくだから、ここでもう少し彼と話をして、杖に乗る練習もしてゆくといい」
「そうさせてもらおうかの」
「その枝に頼めば、様々な形態になってくれるはずだ。さっきのように横乗りも出来ると思うよ」
それはますます有り難い。
さっそく一度下りて、杖に飛行スキルをかけ直す。また少し長めに設定して、絡みつく枝に真ん中辺りで椅子の形になってくれないかとお願いしてみた。
枝は銀の葉を揺らしながら、快く形を変えてくれた。
横になって浮き上がる杖の真ん中に、枝葉が絡んで小さな椅子が出来る。
杖の高さを少し低くし、そこに慎重に座る。杖の先端にはウィズが止まり、どうやっているのかバランスを取って私を支えてくれた。
「おお……乗れたぞ、アカシア!」
「おめでとう」
喜ぶ私にアカシアがくすくす笑うが、ちっとも気にならないくらい嬉しい。
「高さや速度は、君が願えば変わるよ。好きに飛んでみたら良い」
「うむ……」
高所恐怖症とかではないが、さっき思い切り落ちたので少し緊張する。しかしウィズと枝を信じて、私は高さを上げるよう願った。
「お……浮いた! 安定も……大丈夫そうじゃな」
ふわりと浮いた杖はさっきのように不安定に揺れたりせず、私の頭くらいの高さにするりと滑らかに上がる。前に進むことを念じると、杖は宙をすべるように移動し始めた。
そのまま広い部屋の端を、本棚に沿ってぐるりと一周回ってみた。
これは……早いし、楽しい!
運動音痴過ぎて自転車さえも避けて人生を過ごしてきた私には、まったく初めての感覚だ。
更にもう一周して部屋の中心へと戻る頃には、私はすっかりこの移動が気に入っていた。
「良いようだね。気に入ったかね?」
「ああ、とても! ありがとうアカシア! ソフィアも、ウィズも、銀葉も……皆に感謝を!」
『孫に良い経験をさせてやってくれれば、それで良いわよ』
「元はといえば、君がここの本を全て読んだ褒美のようなものだ。気にせずとも良いよ」
「それでも、これがあればわしはもっと簡単にあちこち行けるようになって、新たな本を探すことが出来るぞ!」
そう言うとアカシアが嬉しそうに笑う。
「君らしい喜び方だ。だが、その在り方こそ我らの友だ、ウォレス。旅先でここにない本を見つけたら、いつか気が向いたら戻ってきて教えておくれ」
「ああ、必ず。気が向いたらなどと言わずとも茶を飲みに訪ねてくるとも。その時は、見つけていたら新しい本を持ってこよう」
素敵な爺友とのお茶の時間は、用がなくても価値があるのだ。たまにロブルの店にもちゃんと顔を出しているしね。
それに、まだ私にはここに大事な用事があるのだし。
「次は、転職か」
「うむ。次は仲間を連れて、また来るよ」
「待っているよ」
『ふふ、面白そう。見物してるわね』
ソフィアがホホゥと楽しそうに笑う。
その時こそは、見物されても恥ずかしくないかっこいい魔法爺姿を見せたいものだ。
さ、やるぞー!
ステータスの数字だけあっても、運動するイメージがまったく出来てない&失敗するイメージが身に染みついてる、なので体が動かないわけです。
体を動かす練習すればそれなりになる……かもしれない。