6:初めての魔法
「えーっと、『来たれ来たれ炎の子。其は暖かき灯火、燃え盛る焚き火。地を舐め風に踊るものよ、大いなる怒り宿した一筋の矢となれ』」
そこまで呪文を唱えると一瞬言葉を切り、本を手にしていない右手で目標のモンスターをぴたりと指差す。
『射て、炎の矢!』
呪文の最後の一節が高らかに響き、それを合図として私の斜め上に浮かんでいた腕と同じくらいの長さの細長い形をした炎の塊が、指差した方向に向かってかなりの速度で飛んでゆく。
目標地点にいるのは猫くらいの大きさの可愛らしいネズミのような生き物だった。
クルと言う名のその生き物はファトスを囲む草原を住処とする獣の一種らしい。草原に広く分布しており、冒険者が街を出てまず最初に見つける獲物の一つだと記憶している。
勢い良く放たれた炎の矢は十五メートルほど離れたところにいたクルの一匹に狙いを外さず着弾した。キィィ、と細い悲鳴が聞こえ、草を食んでいた獣が火に包まれる。
私がじっと見つめる目の前で小さな獣はあっという間に焼き尽くされ、やがてその体はパチンと砕け散り光の粒子へと姿を変えた。チラチラと瞬く光の粒は私の方へと飛んでくると、体に吸い込まれるようにして姿を消す。
クルが炎に包まれた時はちょっとエグイと思えたが、こうして跡も残さずに消えてしまうならさほど気分は悪くない。そもそもこれはどんなに可愛くても所詮データなのだ。
私はそう己を納得させると、少し後ろに立って見守ってくれていたミストを振り返った。
「どうだった?」
「ん、まぁあんなもんじゃないか。初めてにしては噛んでないし、上出来だと思うぜ」
ミストからの評価にほっと息を吐くと、左手に持った本をパタンと閉じた。
「けど、いちいちこれは確かにちょっと面倒だね。最後の炎の矢ってだけで十分に思えるんだけどなぁ」
「そうだよな。やっぱり同じような陳情がユーザーから山ほどあるらしいぜ。でもまぁ、実際魔法の火力はかなりのもんだからなぁ。
今倒したクルだって、近接職が初めて狩るなら、四、五回は攻撃しないとだめなんだぜ? 弓だったら獣に対する補正があるからもうちょっと効くけどやっぱり二、三回くらいは当てないとで、初めてじゃそれも難しいからナイフとかのサブの装備がないと辛いし。
その点魔法なら、さっきの魔法一つでクルの上位のポクルとポルクルまではどうにか一撃でいけるらしい。ステータスが上がれば、だけどな」
ミストの言葉に私はなるほどと頷いた。しかしある程度は納得したものの、それでも魔法を唱える時の不便さを思うと顔は明るくはならない。
「敵がノンアクティブでリンクもしないこの辺ならいいだろうけど、それ以上の場所へ行こうとすると苦労しそうで火力が単純なメリットになるとは言いがたいかなぁ」
「まぁ、そんなに心配しなくても、もうちょっと魔法に慣れたら俺と一緒に遊べばいいさ。俺にも仲間がいるしさ。それに初級の呪文ならどれも大体今のと同じくらいの長さだから、暗記したら杖装備にしたらいいよ」
「そっか、そうだね」
私は手に持っている魔道書と同じようにミストに貰った杖を思い出し頷いた。
貰った杖は魔道書と一緒に装備することはできないため、アイテムとしてしまったままだ。
「とりあえず、まずは雑魚を倒して経験値を溜めて、レベルを一つ二つはあげたいとこだな」
ミストの言葉に私も深く頷いた。
私とミストの二人は連れ立ってはいたがまだパーティを組んではいなかった。
私は今日ゲームを始めたばかりなのだから当然レベル一だし、ミストのレベルは十九だ。よって今組むとレベルに差がありすぎて、入手経験値から言ってもどちらの得にもならないからだ。
遠くの狩場へ行けばその限りではないのだろうが、まだ私は魔法どころかこの体の扱いにも慣れていない。
話し合った結果、何よりまずはこの世界での体や、魔法の扱いに慣れるべきと言う事でファトスの街を出てすぐの草原を私達は訪れていた。
RGOは一応レベル制を採用したゲームだ。しかしそれだけではなく、スキル制も半ば併用するような形で少々変則的な育て方ができるようになっている。
初期の職業はたった二種類と極めて少なく、戦士と魔道士しか選択の余地はない。その最初の職業の選択も初期のステータスと最初に装備できる武器防具の種類くらいにしか影響がなかったりする。
経験値を溜めてレベルを上げるところは変わらないのだが、レベルが上がっても変化があるのはHPやMP、腕力や体力その他といった基本的なステータス、後は幾つかの種族、職業特性くらいだ。
剣技や魔法といった戦うためのスキルは、実際に武器を振るったりクエストをこなしたり、道具や魔道書を使ったり、といったことで覚えられる。
スキルには個別に熟練度があり、覚えた後はそのスキルを使うことでそれをひたすら高めていくこととなる。
そしてそれらのスキルやその熟練度、あとはレベルアップした時に使用していた武器防具の種類などによって、レベルが上がった時のステータスの上昇値にも多少の差が出てくるらしい。
例を挙げれば、重たい大剣を装備して敵を倒しレベルが上がったとしたら、ステータスの腕力に+1の上昇があったりするのだ。
そのように武器防具の選び方、得意とするスキル、戦闘スタイル、あとはクエストでの行動などで個人のステータス数値は次第に変化を見せ、その結果が上位の職業へとクラスアップする際の分岐点となる。初期職業が二種類しかない代わりにか、最初の転職が可能になる平均的なレベルは十五、六くらいからと、幾分早めに設定されているらしい。
職業は様々に分岐しているらしいが、一体幾つあるのか、条件は何か、などはわからないことが多く、まだ誰もが手探りをしている段階のようだ。
ちなみにスキルを覚えたり武器防具を装備する為にはそれぞれに必要なステータス数値というのが全て決まっている。よってそれさえクリアすれば、戦士が魔法を使おうと魔道士が剣で敵を切りつけようと自由だ。
ただし、当然それらもその後のステータスの成長や上位職業へのクラスアップに影響してくることとなる。
つまり、最初の道は二つだけだが、あとはそのプレイヤーの数だけ選べる道があるという訳だ。
レベルに差があれば総合的な数値にも差が出る事になるが、育て方によっては極端な特化型なども目指せる為、プレイスタイル次第で低いレベルの者が高いレベルの者よりも活躍できるということも大いにある。
これはこのゲームを始めたばかりの私にも嬉しい話だ。
プレイしているからには立派な魔法ジジイとなって、いずれはそれなりに活躍したりしてみたいもんだともちょっと思っている。
だがまずは千里の道も一歩から。
私はもう少し魔法の感覚を掴もうともう一度本を開いた。
魔道書は開くと勝手に真ん中辺りのページが出てくる。そこには三つの魔法の名が記されており、私はその一番上の『炎の矢』という文字に指で触れた。
すると書かれていた文字がすぅっと変化し、そこに呪文が現れる。
それを読むと魔法が発動するという仕組みになっているのだ。
魔法職における主な装備は杖と魔道書の二種類だが、その二つの一番大きな違いがここだ。
魔道書は数多く存在するらしいが、大抵一冊につき三から五種類ほどの魔法が書かれており、必要ステータスが足りていればそれを装備し、実際に使うことでその魔法を覚えることができる。ただしここで言う覚えるとは記憶するの方ではなく、その魔法が使えるとシステム的に記録されると言うことだ。
だが己のデータに使えると記録されている魔法が増えても、その呪文を正確に唱えられなくては結局魔法は使えない。
その点魔道書は開けば呪文が目に見える形で示されるので、それを間違えずに読み上げるだけでいい。
では杖の利点は何かと言えば、それは装備した時の魔法関連のステータスの補正の大きさにある。魔道書で使う魔法と杖で使う魔法はその魔法が上位になればなるほど威力に何倍もの差が出てくるらしい。
ただし、当然魔道書と違ってカンペは出てこないので、使いたい呪文の全てを己自身で暗記するしかない。
その辺が、ミストが前に言っていた「記憶力のいい人は魔法職に向いている」 ということの理由であるらしかった。
もっともさっき私が唱えた初歩の初歩の魔法でさえあの呪文の長さだ。上位の魔法の呪文の長さは推して知るべし。
結果、威力よりも正確さと言う事で大抵の人は魔道書を使うようだ。もっとも、それでも嫌になるほどの長さらしいのだが。
私は先ほどやったのと同じように書かれた呪文を詠唱し、最後に指で目標を指定して魔法を発動させた。
キィ! と高い声と共にまたクルが一匹炎に包まれる。
炎の矢の消費MPは少ないから、私の今のステータスならあと十数回は使えそうだ。先の長い作業を思いつつも、私は魔法を唱え続けた。