54:海を行く船
「テスト終わり~! あー、疲れた!」
「お疲れさま。やっとだねぇ」
テストの終わった放課後の廊下で、由里が両手を高く上げて伸びをした。
夏服なのでシャツ一枚。形が良くて大きな胸が持ち上がり、すれ違った男子の目を釘付けにしている。由里は相変わらずなかなかの罪作りだ。でも見んな、あっち行け。
「南海、出来はどうだった?」
「普通? 長い文章で答える問題がちょっと少なめだったから、教科によってはまぁまぁかも」
「あー、それがあったわね南海は。ったく、うちの学校いつまでアナログなのかしら。いい加減にして欲しいわよね」
それは本当に同意する。手で書かなくて良いなら私も百点だって……教科によっては夢じゃないかもしれない。まぁ、そこそこ取れれば別に良いけど。
「全くね。あ、ところで私今日はこのまま買い物行くけど、由里はどうする? 休みの間の食料多めに買い込んで配送頼もうかと思ってるんだけど」
「あ、行く行く。私もおやつとか買うわ。暑いとできるだけ外に出たくないわよね。ホント、そろそろ夏がなくなっても良いのに」
それにも同意だ。今はもう気象コントロールで年中丁度良い気温にしてある都市もあるというのに、私達の街はそれを採用していない。四季が諦めきれないノスタルジックな大人達の気持ちもわからないでもないけれど、住宅街くらいはいっそきつい季節を除外して欲しいと願ってしまう。
いつもは一応気休め程度の運動を兼ねて自分で買い物に行っているけど、今日の買い置きがなくなったら、夏休み中は全部ネットスーパーにしよう。運動は家の中でする。多分。
「この街は半端にアナログだからねぇ……まぁ、もっとアナログな世界に入り込んで遊んでる私達も、人のことは言えないかもね」
「それも言えるわね……まぁいいわ。とりあえず南海、試験も終わったんだし一緒にクエストでもやろうよ」
「う、クエストかぁ……いまちょっと転職クエの準備で忙しいんだよね……」
私がそう言って目を逸らすと、由里がむぅと唇を尖らせて視界に割り込んでくる。
「まぁた本!? 本ばっかり読んでないで私とも遊んでよ! この前ミツとは会ったんでしょ!?」
ええ、なんで知ってるんだ。ミツから無理矢理聞き出したのかな。そりゃ口止めなんかは別にするようなことじゃないけど、なんかちょっと浮気をとがめられた男のような気分になった。
まぁこのところ試験終わってからと言ってユーリィとは会ってなかったから怒られても仕方ない面もある。試験勉強もしないでずっと本読んでたし……いや、あの図書館、本当に読み出すと止まらないんだよね。
RGOの本はどれも一冊一冊の情報量はそんなに多くないけど、その分読み終わると疑問が残る事が多いのも問題だ。その疑問について口に出すとどこかから新しい本が飛んでくるのだから終わりがないのだ。本当に、最近の私は海で溺れるみたいに文字の中に浸っている。多分もう結構な数の本を読んでいると思うのだが、終わりも全然見えないし。
けど、よく考えればどうせ終わりが見えないなら、適当に切り上げて息抜きがてら由里と遊びに行くのも悪くないな。
「ちょっと頼み事をしてたんだよ。転職クエがフレンドの手助けがいる奴だったから。由里にも頼みたかったんだけど、試験と、もうちょっと準備が終わってからにしようと思って」
「え、転職クエで手伝いありって珍しいのね? どんなの?」
「どんなのになるかは、まだ良くわかんないんだけど……ちょっとお願いもあるから複雑なんだよね。あ、でもそっか。ユーリィの事も、もっと知らないといけないのか」
そういえばそれもあった。ステータスやスキルを教えてくれってお願いしても、それだけ聞いてもどんな使い方をするのかわからなくてはちゃんと知ってるとは言えない。
なら、一度見せて貰いたいな。前にパーティ組んだ時はあまり詳細は聞かなかったし、あれからまた変化したところもあるかもしれない。
「じゃあやっぱり休みに入ったらすぐどこか遊びに行こうか? ついでにユーリィの戦い方、ちょっと私に詳しく教えて欲しいんだけど」
「え、ほんと? やったぁ、そんなの何でも解説しちゃうわよ! じゃあ良さそうなクエ探しとくね! あ、せっかくだから何かリゾートっぽいとこ行く? 夏休みだし観光兼ねて」
「あ、いいね、楽しそう。じゃあ、私もちょっと行きたいところあるか調べておこうかな……」
その分野はそういえばまだ図書館で確かめてない。
今日ログインしたら早速調べてみよう。夏に行きたい、グランガーデンの観光地……そんな本、あるといいなぁ。
「夏にお勧めのグランガーデンの観光地を知りたい……あ、いやちょっと待った中止!」
ごそっとどこかから大量の本が動き出す気配を感じ、私は大慌てでストップを掛けた。指定が悪いと大量の本がやって来て埋もれかける事があるのだ。すでに一回やっている。もっとちゃんと指定しないと駄目なようだ。
どうせいずれ他の本も読むだろうけど、読み出すと完全に目的を忘れて没頭してしまうから絞らないと。
「ええと、夏だし、ユーリィは結構定番が好きだから……そうすると海? 海ならセダかの……セダ周辺に限定して観光名所が紹介された本を」
今度はきちんと指定したおかげか、やって来た本は二冊だけだった。良かった。
「ええと、一冊はセダの、もう一冊は周辺の村の記録かの」
セダは結構回ったんだよね、裏路地中心だけど……。外国の下町みたいな感じの雑然とした場所でも、別に治安が悪かったりしないので楽しかった。でも一応読んでみよう。
「んん……オークションハウスに、大きなバザール、屋台街、職人街、港……みな回った気がするのう」
パラパラと読んでいけば、行った覚えのある場所ばかりが上がっている。やっぱり有名なんだな。
セダのバザールなんかは本当に外国の市場のようですごく楽しかったし、ランプとか絨毯とか気になる小物が沢山あった。しかし飾る場所がない今は買っても仕方ないと涙を呑んで通り過ぎた思い出がある……。
いつか買いたいと思っているんだけど、個人の家はまだ買ったり借りられるっていう話が出てないからなぁ。旅団用のいわゆるクランハウスとか言われる部屋はそれなりに改造したり飾ったりしたり出来るらしいけれど、まだ特に所属していないし。
早く個人ルームとか家とかそういう話が出ないかなぁと思いつつ、もう一冊の本を手に取った。
こっちはセダの周辺の海辺の特徴や、町や村の紹介が載っている。どこも小さい町や村のようだが、漁業が盛んで魚料理が美味しいのは共通らしい。あ、果物も美味しいらしいのでちょっとそれは気になる。
泳げるようなところも沢山あるようだが、私は泳げないのでパス。ユーリィは泳ぎたがるだろうか? ない気がするな。今オカマプレイ中だし。
「お、セタラ村……ここは良いかもしれん。海辺の洞窟が有名、船で洞窟巡りができる、と」
観光用の船も出してくれるらしい。楽しそうだから、ここを提案してみよう。
あとは釣りとかも近くでできるらしいが、それはスキルなしで出来るんだろうか? 生産で漁師ってあったよね確か。セダのギルドの資料室で見た記憶がある。そうすると何もなしで釣りは無理かな。
じゃあやっぱり観光船目当てで出かけて、周辺でクエストがあったらそれも良しってとこかな。
とりあえず私はユーリィにその提案をメールしておいた。すぐに返事があって、そこの周辺で良さそうなクエストを探して来てくれるらしい。さすがに行動が早い……。
よし、とりあえず夏休み最初の予定も決まったし、今日も残りの時間は読書……さて何から始めよう? などと思いながらパタリと本を閉じると、ポーン、と電子音がした。
「ん?」
ステータス画面を開くと、新しいスキルを取得したと書いてある。どうやら今の本の読了がきっかけらしい。
「えーと、スキル……お、これは!」
『行動条件の達成により、以下のスキルを取得しました。
・図書鑑定
・図書記録
・図書検索
・図書探索
・図書館探索
一部スキルは獲得している職業等への影響があります』
やった、嬉しい! これが多分、私の船だ!
私は嬉しくなってこの広大な図書館をぐるりと見回し、それから中央にいるアカシアの所に急いだ。
「アカシア! ついにスキルが出たぞ!」
「おや、おめでとう。ふふ、ここに随分入り浸っていたものね。そろそろだと思っていたよ」
「ありがとう! これは鑑定したり検索したり出来るようじゃが……後は何ができるんじゃろう? よくわからんものもあるかの?」
「少し落ち着いて。貴方がそんなに興奮するなんて珍しいこともある。よほど嬉しかったのだね」
う、笑われてしまった。子供でも見るような微笑ましい視線を向けられて少し恥ずかしくなる。
「すまぬ、あまりに嬉しくて……」
「本を読むためのスキルを手に入れただけでそこまで喜ぶ者も珍しい。貴方は真に、我らの友だね」
にこにことそう言われ、私も思わず笑みを浮かべた。
それから、言われた通りちょっと落ち着こうと椅子に座り、深呼吸を一つする。
深呼吸してもこの嬉しい気持ちはなくならない。本を読むだけだが、私にとってはこれも冒険のひとつだからだろうか。
運動が全く出来ない私には、文字に関する事柄しか取り柄がない。だから昔から文字や本が好きだ。周りに何もないと、つい広告にも目を通してしまうくらいには。だからその行動が一つの形になったことが、とても嬉しいのだ。
「ふう、落ち着いたよ。ありがとう」
「いいえ、こちらこそ。貴方がこの海を渡るための船を手に入れたのは私にとっても嬉しいことだ。知を愛する者がいてくれると、我らも力を持つのだよ」
「ほう。それは良いな。貴方が元気でいてくれれば安心して本が読める」
私の言葉にアカシアはまた笑い、それからおもむろに歩き出し、私のすぐ前までやってきた。
「頭を下げてくれるかな」
「こうか?」
アカシアの前に顔が来るように座ったまま上半身を屈ませると、アカシアが皺の寄った小さな手で私の額に触れた。
「我らの友に、知の精霊アカシアより祝福を。知の道に果ては無く、大海のごとく広く深い。その海を行く友の旅路が明るく幸い溢れんことを」
ふ、と額が温かくなる。小さな手がくすぐったい。その手が離れるのを待って、私はアカシアに深く頭を下げた。そっと手を出すと、アカシアが私の指を握る。
「ありがとう、アカシア。ここに来られて、貴方に会えて良かった。妖精達にも感謝せねばな」
「ふふ、伝えておくよ。さぁ、そのスキルの使い方を教えよう。そのくらいは良いだろうから」
「よろしく頼むよ。これで読書が捗る」
「はは、貴方の読書が滞っているのを見た記憶は無いがね」
それは言える!