53:次の日は寝坊した
「ほう……貴方はなかなか、見た目にそぐわず冒険心や挑戦心の旺盛な方のようだ。それとも旅人というのはそういうものなのかな」
楽しそうな私に少しばかり驚いたような顔を見せ、アカシアはそう言って首を捻った。
「さて? まぁそうかもしれぬ。見たことのないものを、まだ知らぬ場所を、誰も倒したことのない新しい魔物を。旅人は皆、それらを求めてこの大陸に来たのだろうからの」
「なるほど……では、望むならこれを貴方に。これが試練への鍵だ」
アカシアは頷くとどこからか一冊の本を呼び出した。
彼と同じくらいの大きさの茶色い革張りの本で、背表紙には金箔で模様が描かれ飾られている。しかし表紙にはタイトルも何も書かれていない。
アカシアはそれを浮かせたまま私の方に差し出してきた。
「ああ、投げられた問いには、出来れば知る限りの事を答える事をお勧めするよ」
「ありがとう。どれ……」
私は礼を言い、手を伸ばしてその本を受け取った。本は私の手に渡るなりまたふわりと浮き上がり、今度はパラパラと勝手に開いて行く。そして止まったページにじわりと黒い文字が浮かび上がった。
『貴方は誰?』
なるほど、問いかけね。知る限りのことと言われても……これは普通で良いかな、取りあえずお試しだし。
「ふむ……わしは、ウォレス。旅人だよ」
そう答えると、途端に本が膨らんだ。
「っ!?」
膨らんで巨大化した本に覆い被さられ、私は驚いて腕で顔をかばって目を瞑った。しかし、衝撃は来ない。恐る恐る目を開けると、辺りの景色は一変していた。背の高い石柱と、白い壁に囲まれた空間。
「ここは……始まりの神殿かの?」
最初に見たっきり、その後用がなく行っていないあの神殿の景色のような気がする。色鮮やかなモザイクで飾られた石畳と、巨大な石柱が並ぶ景色に、確かに見覚えがある。
きょろきょろと見回せば、私の横にさっきの本が浮いている。そして私の体の少し外を、文字で出来た三センチくらいの細い帯が輪になって取り巻いている。魔法学者の本を探した時に出てきたものと似ている。
それに気を取られていると、私の目の前にまた新しい本がどこからかやって来た。
『貴方はウォレス。旅人とは何?』
旅人の定義? それはどこかで読んだ。多分ファトスの魔法ギルドで。ええと、アレは確か――
「旅人とは、別の世界よりグランガーデンに招かれる異邦人の事。周期はまちまちで、百年から数百年と幅があるが、文明が停滞期から衰退期を迎えた時に、世界によって招かれると言われている。好奇心と冒険心を持ち、強さを手に入れ世界を踏破する事を望む者。一所に留まらぬその性質から、旅人と呼ばれている」
そう、確かそんな風に、『旅人についての覚書』というガイドっぽい薄めの本に書かれていた。
するとまた目の前の本が大きくなり、私を飲み込む。次にいたのは街の広場の噴水の前だった。そしてまた目の前に新しい本。
『貴方は旅人。ここからどこへ行った?』
「私は……最初は、ファトスの街……グランガーデン大陸の東の端にある地方都市ファトス……始まりの神殿がある、旅人が最初に訪れる街だの。そこの、南門から出てすぐ外の草原へ向かったよ」
最初に行った場所を思い浮かべる。ミストと一緒に南門を抜け、その草原でクルを倒した。そうそう、何だか懐かしい。
次に連れて行かれた場所はやはりその草原だった。
『最初に出会ったものは?』
「クルだ。齧歯類の動物で、見た目は丸くて大きめのネズミのような姿をしている。魔物深度は一。ファトスの周りの草原に広く分布する。草食性で草原に巣穴を掘り、テリトリーを作って暮らす。昼行性で、こちらから手を出さなければ襲ってこない大人しい生き物。クルの系統は総じて火が弱点だ」
周りにクルの姿がちらほら見える。久しぶりに見たな。
『貴方は何を手段とした?』
「炎の矢の魔法だったかの。火の初級魔法で、赤の魔道書Ⅰに載っている。五十センチから七十センチくらいにまでなる、槍の穂先に似た炎を指定した敵あるいは場所に向けて飛ばす魔法だ。初期の矢数は一本、射程は十五メートルほど……呪文は――」
呪文まで読み上げるとまた本に吸い込まれ、場所はファトスの魔法ギルドへと移った。
私はそこで周りを見た。私の横や後ろに、合わせて五冊の本が浮かんでふわふわと揺れている。そして私の周りには、五本の光の帯がキラキラと回っている。これは……ずっと増えていくのかなひょっとして。
「これはちょっと……格好」
あ、いや、口に出してはいけない。それが問いの答えと見なされたら困る。心の中で叫ぼう。
わし、格好良くない!? と。
気を取り直して次に魔道士の定義を問われ答えると、今度はこのギルドで何をしたかを聞かれた。魔法の鍛錬と瞑想と読書について答え、移動先は図書室へと変わる。
『この図書室で一番厚い本は?』
「それは、確か種族についての本だの。『グランガーデン大陸の主な種族とその特徴について』と書かれた本で、人を初めとしたエルフ、ドワーフ、獣人、その各種族の主な特徴が書かれた本であったよ。身体的特徴、好む住環境、簡単な文化の違いや種族間の確執などがかいつまんで書かれておった」
そう答えるとその本が本棚の中から飛んでくる。そう、確かにこれだ。
パラパラと開いた本は今はほぼ真っ白で、また問いだけが書かれていた。
『貴方の種族は?』
「わしはエルフじゃよ……」
そう答えて少し考える。種族についてはこの本に少し書かれていたくらいであまり詳しい事はまだ知らないのだ。
「エルフとはグランガーデン大陸の一種族。豊かな森を好んで住み、自然との交信が得意で、総じて魔力が高い。身体能力は個人差によるが、耳が長く、体型は長身痩躯が一般的。体色は薄い場合が多く、種族的に長寿である。あまり森から積極的に外には出てこないため、他種族との交流は少ない。ただ、旅人のエルフはそれとは異なる存在だと言われている」
そこまで言って本にのみ込まれた。今度の場所は……サラムの魔法ギルドの図書室だ。
『長く生きる貴方は、この先どの道を選ぶ?』
「それは……」
魔法学者を、と言おうとしたところで、ふと気がついた。エルフについて問いかけてきた本の色が、他の本と比べると随分と薄い。色がと言うより、存在的な何かが薄いというか。向こうがうっすらと透けて見えそうだ。
これは……もしかしてきちんと問いに答えきっていないと言うことかな?
少し考えて、私は本の問いには答えずウインドウを開いた。
『転職クエスト:魔道学者への道(1)を破棄しますか?』
クエスト名を押して出てきた問いに、ハイと答える。すると景色がぐにゃりと歪み、気がつくと私は銀葉の庵のテーブルセットに座っていた。
「おかえり。どうだったね?」
「ああ、思いのほか簡単な質問ばかりだったが……どうも種族についての知識が足りぬようだったので途中で戻ってきた。また後で挑戦するよ」
そう答えるとアカシアは面白そうに笑いをこぼした。
「貴方はやはり学者に向いている。普通は今まで読んだ本に偏りがあれば、その得意分野を掘り下げた事を聞かれるのだよ。様々な魔法についてや、魔物の知識について色々と、と言う風に。そうでない場合は一般的な事から徐々に入るのだ」
なるほど、そういう感じなのか。そうするとまだまだ続くはずだったのかな? 後で何度かやってみようかな。
「足りぬ知識はここで埋まるだろう。好きなだけ楽しむと良いよ」
「うむ。そうさせて貰おう。ところでもう一つ聞きたいのだが」
「うん? 何かな」
「ここでの飲食は許されておるかね? それと、貴方はお茶は飲めるのだろうか?」
その後、私はアカシアと、魔法爺二人のお茶会を楽しんだ。飲食は真ん中のテーブルで、そばに本がなければ好きにして構わないそうだ。お茶や軽食を色々買い置いてあって良かった。途中、ラウニーが訪ねてきて乱入したりしたがそれも含めて実に楽しい時間だった。
アカシアとラウニーは私が出した大きなティーカップの紅茶を、自前の小さなカップで掬って飲んでいてとても可愛かった。
さて、その後はお楽しみの時間だ。今日はログアウトまでまだ時間がある。
私はさっき足りなかったらしいエルフについて書かれた本を呼び出した。書架のどこか遠くから、数冊の本がやってくる。種族についての本が一、二冊、エルフが関わったとされる歴史的な出来事がまとめられた本が一冊、あとはエルフが出てくる物語のようだ。長命で秘密主義な種族は物語の題材にされやすいのかもしれない。
私は腰を据えて、早速読書に勤しむことにした。というか、呼べば本の方が来るって最高かな? ああもういっそここに住みたい……。