50:螺旋の終点
残り二割の本を読むのは、それから二日ほど掛かった。
大した手間では無いが間に学校だの何だのもあるから仕方ない。
もうすぐ試験だけれど、試験対策は自分がまとめた授業のデータをちょっと見返して終わりだ。あたふたしたところで私の場合成績には大して変わりが無い。気をつけるべきは、うっかり手を怪我したりしないようにとかそっちの方だし。
さて、そういうわけで、ついに今日この図書室の全部の本を読み終わる訳なんだけど。
『魔物図鑑サラム~フォス編』を読み終え、棚に戻す。
図鑑系はちょっと時間掛かる気がするな。まぁ、速読さんのおかげで誤差だけど。もう様を付けた方が良いだろうか。
トン、と下の方の棚にそれを戻した瞬間、どこかでチリンと鈴の音のような音がした。
「……ん?」
周りを見回せば、部屋に置かれた机の上に、何かチカチカと光るものがある。
慌てて近寄ってみれば、それは銀色の小さな指輪のようだった。それが縦に机の上に立ち、くるくると回っている。これは手に取っても良いのかな?
そっと手を伸ばしてそれに指先で触れる。すると指輪はピカッと一瞬強く光って浮き上がった。
「わっ!?」
目の前に浮かび上がったそれは、くるくると回り続けている。ちょっと身を引くと何故か付いてくる。どうしたらいいんだろう? 受け取る?
手のひらを上にしてそっとその指輪の下に出してみる。少し近づけると、指輪は不意に回転を止め、一瞬の間を置いてからぽたりと手のひらに落ちた。
「ええと……これは、何じゃろうの? 鑑定するにも、スゥちゃんはおらぬし」
RGOで鑑定技能を持つのは商人くらいだ。しかしこれは多分クエストのキーアイテムだから、持ち出すのは少し怖い。消えてしまったら嫌だし。
「ええい、ここは度胸か。指は……小指がいいかな?」
サイズ的には小指にはめるピンキーリングくらいだ。自動調整される可能性もあったが、取りあえず少し迷ってから右の小指にはめてみた。
飾り気のないシンプルな銀の指輪はするりと丁度良くそこに収まった。
「……さて?」
はめてみたが、呪われたとかそういうアナウンスも特にない。これは一体と考えていると、ゴ、と一瞬部屋が揺れた。ふらりと体が揺れて慌てて机に掴まる。何が、と思って周囲を見回すと、なんと図書室の入り口が消えている。そしてその代わりに、別の場所に扉が一つ出現していた。
「……書架がずれたのかの?」
いや、揺れたから部屋ごとちょっとだけ回った可能性もあるか。
で、これが全ての本を読み切った私への誘い、かな?
扉に近づいて見ると、それは一見この図書室への入り口の扉によく似ていた。落ち着いた茶色の木製の扉で、縁に細い葉を茂らせた木の枝がぐるりと彫り込まれている。レバーハンドルは鈍い銅色で、鳥の風切り羽のような形をしていた。
ただ、ここへの入り口は確か右開きの扉だった気がするが、こちらの方は左開きだ。私は指輪をした右手をチラリと見下ろし、その手でレバーハンドルを握って軽く扉を押した。開かない。方向が違ったらしい。
手前に引くと今度はギッというわずかな軋みの後、思ったよりも軽く扉が開いた。開いた先は……暗い。私は杖をインベントリから取り出した。
「ふむ……『来たれ来たれ、光の子、その小さき羽根に光宿し、我を包む闇を照らしたまえ。灯れ、導きの光』」
呪文を唱えると前に出した杖の先に明かりが一つ灯る。街中でも普通に使える初級光魔法だ。今まであんまり用はなかったけど、一通り憶えたので使うことは出来る。
杖をかざして扉の奥を覗き込むと、暗闇の正面は壁で、横に伸びる短い通路がある。その先は下へと続く階段だった。ここを下りろと言うことらしい。
この図書室は窓が無いし、転移陣でここに来るため忘れがちだが、魔法ギルド塔の四階あたりにあるはずだ。そこから下りるとなれば、三階、あるいはもっと別の場所か。
私は足下を慎重に確かめると、ゆっくりと階段を下り始めた。階段の横幅は人間一人と半分くらいだろうか。広くはないので杖を持たない片手を壁に付けて歩く。足を踏み外したら困るので気をつけて。
階段はどうやら塔の壁の中か、その近くにそった形で作られているらしい。下りていくと緩やかなカーブを描き、塔に沿っての螺旋状であることが予想出来た。
途中で上の方からバタン、ゴゴ、と言う音が聞こえたので、扉が勝手に閉まり部屋が元に戻った事が何となくわかった。帰りは別の所から行けるのだろうと信じて下り続ける。
暗闇だとどのくらい歩いているのかすぐに忘れそうで困るが、結構長い。私は下りながら、図書室で読んだこの街の歴史書について思い返していた。
「……サラムの街を作ったのは、始まりの王と無二の友だったという銀葉の賢者とやらだったかの。王が退位する少し前に魔道士を集めてこの街を作り、しばらく暮らした後ある日突然弟子に全てを託して姿を消した……だったか?」
眠る王と共にいったのではないかと言われているとか、歴史書には確か書いてあった。けど、その賢者がどんな人かというのははっきりと記してはなかったんだよね。男か女かとか、年齢とか種族とか。例えば人間かエルフかで、王と共にいった、と言う言葉の意味だって変わってしまうけれどその辺もはっきりしないのだ。
銀葉って言って思いつくのはなんだろう? 白き木の葉とか? いや、でもそれは安直かなぁ。
どんどんと下りていくが階段はなかなか終わりがない。身体的な感覚に自信がないので、何階分下りたかとかも見当が付かない。段数とか数えておくべきだったかな……取りあえず体力に自信が無くてもHPさえ減らなければ歩き続けられるのは助かる。
けどもしこの先がダンジョンで、敵が出てくるとかだったら、時間的にも下りきったら少し何か食べた方が良いかもしれない。
取りあえずこの階段には途中で侵入者を驚かすような仕掛けとか、幽霊が出て来るとか、そういうことが無くて良かった。足を踏み外したら困るからね……。
落ち着かないから色々考え事をして歩いていると、ようやく階段が行き止まった。階段の終わりにはまた扉が一つ。さて、今度はどこに出るんだろう?
入ってきたのとまたもよく似た扉を少しの緊張と共に押し開くと、隙間から光がこぼれた。
「は……え……?」
踏み出した足がさく、と草を踏む。天から降る光は強すぎる訳ではないが、暗がりを歩いてきた身には眩しい。私は一歩、二歩と中に踏み入り、そこで止まったまま呆気にとられて周りを見回した。
「地上……?」
いやまさか。だってあれだけ下ってきたのだ。位置的にはむしろここは地下のはずだ。
そこは円形の広い広い空間だった。さっきまでいた図書室よりも遙かに広い。そして何故か地面は芝生のような、所々に小さな花の咲く背の低い草で覆われ、上を見れば青空がある。天井は絵が描かれている可能性もあるが、どこからともなく差す光で室内は昼のように明るい。本当にここは室内なのか疑うくらいにおかしな光景だ。
室内だとかろうじて思うのは、円形の空間を作り出している、壁のほぼ全面を埋める途方もない書架の存在があるからだ。上の図書室と同じような天井まで埋める作りだが、その規模は桁違いだ。
これだけの本を読むとしたら、一体どれだけの時間が掛かるだろう。私はそんなことを思いながら立ったままくるりと回った。
不意にバサリと音がした。鳥の羽音のような、そんな音だ。
視線を下に戻すと、部屋の真ん中に生えた一本の木が目に入る。細かい葉が沢山付いた木で、あの扉に彫り込まれていたものに似ている。幹はさほど太くない。
羽音の主は、その木の下に設えられた止まり木の上にいた。大きなフクロウ……ミミズクかな? 頭の両脇に耳のような羽が立っているから。銀を帯びたような白と灰色の中間くらいの羽色で、胸に少しだけ黒い羽が散らばっている。こんな大きな鳥を見たことがないので少し緊張するが、目は優しく賢そうだ。フクロウは片羽をバサリと開くと、私を招くように羽ばたかせた。
「ようこそ、知の海へ。久方ぶりのお客人」
フクロウがしゃべったかと思ったが違った。木の下、フクロウの少し手前に優雅なアイアンワークのテーブルセットが置いてあり、そのテーブルの上に誰かいる。妖精のような小さな人影だ。
知の妖精かと思って近づくと、そこにいたのは少し姿の違う存在だった。
「ふむ……お邪魔するよ」
動揺と緊張を隠す為、そっと顎に手をやり髭を梳く。
このさらさらとした手触りは私の心を癒やしてくれる。ああ、髭があって良かった。
「こちらへどうぞ」
私をテーブルへと招いてくれたのは、長い白い髪をテーブルまで垂らし、金糸で刺繍が施された白いローブに身を包んだ、優しげな風貌の老人の姿をした小さな人だった。ふさりと長い眉も、胸の半ばまで下りる髭も真っ白だ。小さな体と同じくらいの長さの小さな杖を持っていて、そこも愛らしい。
はっきり言ってすごくツボだ。良い! 歳経た賢者って感じがすごくする! ああああ、お友達になりたい!
「どうなさったね?」
「あ、いえ、では失礼して」
危ない。うっかり握手を求めるところだった。いきなりそんな個人的な趣味を全開にしたらこの小さな人を驚かせてしまう。
テーブルに近づき、椅子を引いて腰を下ろす。ちょっと息が上がったのをごまかすようにため息を吐いた。
「階段は堪えたかね?」
「いや……さすがに未知の場所へ来るのに少しばかり緊張を。あの……貴方は?」
問いかけると、彼はゆったりと腰を折って優雅にお辞儀をした。
「私はアカシア。この銀葉の賢者の庵を守る、知の精霊だよ」
か……かっこいいぃ~!
ナミちゃんは好みの爺に対しては脳内がうるさい。